目指せ!映画批評家

時たまネタバレしながら、メジャーな作品からマイナーな作品まで色んな映画を色んな視点で楽しむ力を育みます★

人魚の眠る家 ★★★★

2019-03-10 16:07:22 | ★★★★
「人魚の眠る家」という映画を日本に向かう飛行機の中で見た。
今回は5泊7日の出張だ。3/2→3/8にアメリカに戻る。

人魚の眠る家は東野圭吾の小説を原作とした映画で篠原涼子と西島秀俊が主演。
東野圭吾が原作ということを知らずに見ていたが、エンドテロップを見ながら元DENSOのエンジニアだった東野圭吾氏らしいアプローチでのお話の組み立て方だったとしみじみ思った。

途中どこかスリラーかサスペンスみたいな演出が見られたのもまた、東野圭吾らしいと言えば彼らしい。西島秀俊の父親役が田中泯というのがまた東野圭吾の"お父さん像"を毎度のことながら表現してますよね。加賀恭一郎の父親もあんな雰囲気の父親だったけど、東野圭吾にとっては歳をとった父親というのはああいう類型があるということなのかなあ。
技術で横隔膜を動かして呼吸させたり、擬似的に脳波を送って手足や表情筋を動かす、というのは本当に出来るのだと思うが、人間の尊厳とは何か…という非常に難しい問題提起を仕掛けてきた映画だった。油断してるとどぎついダメージを受ける。

脳死は人の死か?というのもまた倫理面で難しい話で心臓死と脳死とで臓器移植を選ぶことで脳死判定を受けることになるという話もまた、なかなかに受け入れ辛い話だった。序盤のやりとりでもあったが、現実問題、6歳の娘に臓器移植のドナー登録や意思表示をさせてる親はなかなかいないだろう。私も流石にやらないと思う。そこまで自分の娘のことを「もし脳死したら」なんて仮定でも他人事のように考えられないし、冗談じゃない、と思う。そんなことを考えることを思わず、強く拒否したくなる。


私事だが、自分の娘がそろそろ3歳になる。
娘が段々、大きくなってくると、この手の映画も本当に鑑賞中ないしは鑑賞後の精神的なダメージが大きくなってくる。作り物と分かってるくせに投影してしまうわけですね。自分事ではないのだけど、シャレにならないレベルのダメージがある。どきっとするし、感情移入し過ぎてつらい。元から辛い映画だろうなあと思って観たのだが。

この映画で冒頭に起こる「子どもがプールで溺れる」という事態も可能性としては「いつでも起こりうること」だと考えると自分も家族も五体満足で生きてること自体、本当に有難いことなのだと、とみに思う。

昨夏、実家に帰った時に娘を海に連れて行ったり、アパートで夏はプールに入れたりもするのだが、どちらでも泳がせる時はまだまだきちんと親がしっかり手を握り、娘は1人では泳げないのだが、この映画に出てくるように6歳になったらそんなわけにもいかなくなってくる。よく考えたら私も6歳にはスイミングスクールに通わされていたし、小学校に入ったらプールにばっかり入ってた。そう考えると、この映画で描かれている事故は誰の身にも起こりうる話なのだなと思う。そして、昔まだ浮き輪なしでは泳げなかった時に海で溺れたのを父親に助けてもらったのを覚えている。ある意味ではたまたま助かっただけだが、人生って何がどうなるか分からないのだ…そう考えると、そういう想像ばかりしていると、本当に本当に恐怖で身がすくむ。

プールや海ではないが、娘がまだ歩き始めたばかりの時に、何も分からず道路の方に歩いていってそれを見知らぬ人に捕まえてもらったことがあった。あの時も自分たちの反応が完全に遅れてしまって本当にゾッとした。

今、自分の子どもが海外の地で元気に育ってくれているのは勿論毎日、仕事で私がいない間、妻が娘をみてくれているからなのだが、そのありがたさもまたしみじみ感じる。
自分の娘が元気にきちんと育ってくれるならこの身はいくら犠牲になっても自分の生涯をかけてでも頑張って育て上げなくては…と思う。
ただ、何はともあれ先立つ物としてお金は必要なわけで、仕事をゴリゴリすればするほど、家族との時間が減るわけで、どうやって効率良く、それでいて圧倒的な仕事をやり遂げるか?ということを最近考え込んでしまう。元来、仕事をバリバリやるのが、好きな自分もいるので、出張で娘と一緒にいられないことが悲しく、どうしたものか、と本当に思う。

今日も出張前に家を出る時、娘が「行っちゃうの…?」と聞いてきて娘を抱きしめてしばらくじーっとしていた。家族がいてくれることが本当に私にとっては幸せなことで、妻と娘にはずーっと幸せでいてもらいたい。

こんな自分ごと、ブログに書くような話でもないのかもしれないけど、なんだか、そんなこともまた強く思わされた映画でした。



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