目指せ!映画批評家

時たまネタバレしながら、メジャーな作品からマイナーな作品まで色んな映画を色んな視点で楽しむ力を育みます★

ストロベリーナイト ★★★

2013-01-30 20:53:01 | ★★★
ストロベリーナイト

TOHOシネマズ上大岡で鑑賞。
ネタバレします!盛大に!


ええと、原作ストロベリーナイト、インビジブルレイン、ブルーマーダーちゃんと読んで、ドラマもTVSP2本とTVシリーズも全て観た上での鑑賞です。

誉田哲也は武士道シックスティーンなんかも読んでたりして結構語り口は好きな作家です。東野圭吾や伊坂さんの次に好きな作家かな。姫川玲子というキャラクターも中々にいいキャラだと思ってます。ガンテツも井岡も國奥センセも少々無理あるというか、漫画的なキャラ造形は目立つけど映像化はしやすいよね。読者もイメージしやすいし。

ドラマシリーズはなかなかに力の入った展開が多く見応えもありました。毎週楽しみに観ていました。第一話のシンメトリーからなかなか見所も多かったし、その前のテレビスペシャルもかなり楽しめました。Fのキャラ造形は難しかったのだなあ、とも感じましたが。
映画化はなんとなく予想はしていましたが、それにしても、ドラマだと楽しめるのに映画館で観ると、ちょっとパンチの足らない映画だなあと感じてしまいました。全編雨降らせたり、結構お金のかかることやってる割には晴れた日も無理やり雨降らせてて完全に画面奥の方で晴れてるのがわかっちゃったりして、もう少しこの辺りの処理は頑張って欲しかったけど、そもそも全編で雨を降らせる必要があったのか、と言う気もする。梅雨、とかほんと、雨多いわね、とかそういう発言もないし、雰囲気演出だとするならば、要所の印象に残るところだけ雨を降らせるというのでも、充分意味があったと思います。

林ゆうきさんのサントラは素晴らしいですね。というか、この人のテーマだけで映像作品としての格調がぐんと高くなってるように思います。メインテーマでのエンドロールもなかなかに素晴らしい。雨からのストロベリーナイトを想起させる血まみれの…というね。

原作小説からの改変で良かったところは菊田が積極的に姫川玲子の動きに絡み、牧田との密会を尾行してたり車でのアレを目撃してしまう展開。別に菊田にとっての彼女ではないのだけども、お互いに意識する存在ではあっただけに、あの瞬間は決定的だし、原作の続編ブルーマーダーでの菊田のまさかの展開に繋げるにしてもこの方がすんなりと納得のいく展開だと思います。そういう意味では原作で物足りなかった点をしっかりと補足してくれてるようにも感じる良い改変だったと思います。
牧田と菊田が直接出会って、牧田が「お前に姫川は無理だ」とはっきりと言い切るシーンもよかった。この辺りの改変ポイントはかなり良い点でした。

逆に牧田が作中で、積極的に自らの手を犯すシーンについては少し残念でした。少なくともその点では牧田は自らの手はくだしていない、という点を姫川に誤解されたまま、牧田は息を引き取ったことに姫川は苦悩する、と言うのは必要な描写だったと思います。なんか、苦悩してなくて、あっけらかんとして菊田とも別れてしまったのがとても残念…。まーそれが竹内結子の姫川玲子なのかもしれないけども。

後は捜査一課和田課長周辺エピソードの部分が少々物足りなくて完全版やらディレクターズカット版なんかが出るならば補足されることを祈ってます。たとえば、最後のシーンの記者会見の記者の描写とか、たぶん、準備はしてたけど、カットしたっぽいし。あと、和田課長の人柄を想起させる描写があまりない。深夜番組で展開したストロベリーミッドナイトでは多少言及がありましたが、それはやはり映画内でうまく見せて欲しかった。
今泉係長を入院させてたのも何故なのか謎…。この辺りの改変は少し不思議な点でした。

大沢たかおの牧田は割と悪くなかったですね。ホテルでのヤクザとの格闘シーンはもっとアクション映画っぽくてもよかったけど。
背の高さもよかったと思います。もっとデカくてもよかったけどね。って、調べると大沢たかおは181cmあるんですね。私も同じくらいなので、意外です。竹内結子は164cm、西島秀俊は178cmなので、身長については絶妙なキャスティングでしたね。

結構原作は長い話なので、うまく割愛してまとめてあるなあ、と感心しましたが、その分どうしてもカタルシスも減ってしまった印象を受けてしまいました。
シリーズのファンですが正直、トータルの映画としての評価はイマイチですかね。そんなに悪くもないけど、パンチもない。ただ、次回作、ぜひ期待してます。大塚の墓参りのエピソードやブルーマーダーなどなど、魅力的な原作は今後も続いていくようですから。

東京家族 ★★★★★

2013-01-27 20:02:24 | ★★★★★
東京家族

TOHOシネマズ上大岡で鑑賞。

(映画解説)
「男はつらいよ」「学校」シリーズの山田洋次81本目の監督作。映画監督生活50周年を機に、名匠・小津安二郎の「東京物語」(1953)にオマージュをささげた家族ドラマ。瀬戸内海の小さな島に暮らす平山周吉と妻のとみこは、子どもたちに会うために東京へやってくる。品川駅に迎えにくるはずの次男・昌次は間違って東京駅に行ってしまい、周平はタクシーを拾って、一足先に郊外で開業医を営む長男・幸一の家にたどり着く。すれ違った周平も遅れてやってきて家族が集い、そろって食卓を囲む。「東京物語」の舞台を現代に移し、老夫婦と子どもたちの姿を通じて、家族の絆と喪失、夫婦や親子、老いや死についての問いかけを描く。
(以上、映画.comより)

展開やあらすじは東京物語のあらすじを知っていたので、大まかには想像していた通りだったのですが、それでも、泣かされてしまいました。

ネタバレします!というか、あまりネタバレとかを気にしなくてもいい映画です。

東京で開業医で生計を立ててる立派な長男、理髪店を営む長女、兄といつも比べられながら不安定な舞台芸術の仕事で食いつなぐ次男。この三人の人物造型も、昭和から平成にかけての家族の普遍的な形だと思うし、小津監督が昔描いた東京物語の骨子がどれくらいしっかりとした土台の話か思い知らされる思いでした。

私からすれば、家族が揃って食卓を囲んだりするなんて、とても羨ましい話でして、この美しいながらも、現代の東京や日本の家族の形の古き良き美しいところを見せ付けられたような気がしました。(ただ、よくよく考えると、この映画、この家族が食事を一緒に食べるシーンはついぞ描かれていないのです。食後のシーンは描かれるのですが。ホテルで夫婦が食事を共にするシーンはあるんですけどね。この辺りはよく計算されているなあ、と感じます。)

私の父も定年し、いつか、周吉と同じように誰が世話をするのか、みたいな話が交わされる日が来ると思うと、誰にでもいつか訪れるんだな、と感じるのです。

この映画に悪人はいません。みんなが一人一人の都合があって、生きている。家族だけど、夫婦は他人、それでも一緒に生きていくことを決意して艱難辛苦にも耐えて生きていく。たぶん、人生も同じで、みんなそれぞれの事情があって一緒に生きていこうと思った人と歩いていくのだなあ、とそんな気持ちにさせられたのでした。

「感じのいい」人ね、というセリフが何度か出てきます。主には、蒼井優が演じる紀子や吉行和子が演じるとみ子が人物評に使っている言葉です。最近ではあまり聞かなくなった気がします。感じのいい人というのはどういう人か、と言うのは具体的には言及されないのですが、役者の一つ一つの丁寧な所作の積み重ねや表情で、感じのいい人と言うものがどういうものなのか、と言うのはセリフでくどくどと説明しなくても観客には強く伝わるのは素晴らしいと感じました。たとえば、部屋の片付けをする紀子もとみ子も脱ぎ捨ててある上着をそっと椅子にかけてあげたりするシーン。ちょっとした所作なのですけど、こういう所作がきちんと随所に差し込まれることで、感じのいい、ということが伝わるようになっています。
また、一つ一つの言葉選びも素晴らしいなあ、と感じました。「おばあちゃん、こんなんになってしもうた」と言われて、揺り動かされない人なんていないですよね。

中盤、とみ子は紀子に大金を渡し、映画終盤では周吉は紀子に正式な形見分けの前に、とみ子が30年も使っていた時計を渡してしまいます。お金だって、たぶん、年金暮らしのとみ子がコツコツと老後のために貯めていたものだろうし、時計だって、周吉がいつまでも持っていたって、よかったものを渡す。映画序盤、この老夫婦はお土産を長女や長男の嫁には渡すけれど、本当に老夫婦たちにとって大切なものは実の子どもたちではなく、いずれも紀子に渡ります。家族と言うものはこうしたことを通じて強く結び付いていくことがある、ということなのかな。紀子は島から出るフェリーの中で、周吉の思いを噛み締めながら、昌次に話すのでした。

あと、周吉の自宅の近くに住んでる女の子があまりに快活で素直で、甲斐甲斐しいところや瀬戸内の美しい島にたった一人で住むことになった周吉のこれからを思うとまた、とても切なくなるよい演出だと思います。

音楽が前面に流れるシーンはあまりなく、これぞ、久石譲!という旋律はエンドロールの余韻で初めて流れ始めます。久石譲という大物を起用しておきながら、足し算ではなく、引き算の劇中音楽にまたもや、感服させられ、涙を流していました。

その他にも色々と、胸を打つシーンがありました。正直、そのどれもが心に響きました。

劇中、平山周吉の旧友である沼田君が飲み屋で、「お前はいいじゃないか。息子は医者になって…」というようなことを言われて、「いや、そうでもないよ」と返すシーンがある。

このシーンは周吉がなぜ、お酒をやめていたのか、寡黙な彼が声を荒げたり、その後、娘の家で暴れたりすることで、彼の人となりが少しずつ浮き彫りになっていく面白みのあるシーンなのですが、(しかも、周りにいる客に「嫌なもん見せられた」「でも、部長もいつかああなるんですよ」と言わせることで、年寄りの愚痴が世間的にはみっともなくはた迷惑で、それでいて、誰にでも避けられないことであることも描いてる秀逸なシーンだと思います。

お葬式のあと、近所のおばさんや紀子が朗らかに笑いながら、お皿洗ったりしてるシーン。お葬式を実際に何度も経験してる人ならよくわかると思うのですけど、よくある光景でして、お葬式にお手伝いに来てくれる人たちや遠縁の親戚はその場が悲嘆に暮れすぎないように(意識せずに)明るく振舞ったり、健やかな笑顔が交わされたりするんですよね。こういうシーンをきちんと丁寧に積み重ねていくのは小津監督へのオマージュでもあるのでしょうね。
横浜の観覧車をボーッと見ながら、滅多に観られるもんじゃないからゆっくり見よう、と語りかける周吉ととみ子のシーンも、同じ瀬戸内の片田舎の人間からすると、膝をうつようなセリフです。東京や神奈川の人からしたら見飽きた光景なんでしょうけどね。このシーンで、悪気なく、東京生活に疲れてる長女や長男は善意から両親である老夫婦を横浜のホテルに泊めさせるわけですが、結局、一泊するだけで、二泊目はキャンセルしてしまうわけです。これもまた、わかる気がします。長女に対してホテル代がもったいない、と周吉は言いますが、初日に惜しげもなくタクシー代で一万円以上支払ってたりするあたり、本心ではないのだろうな、と感じるのです。もう東京には二度と行かん、と言うのも意固地で言っていると言うよりは、息子たちに迷惑に思われたくはないという気持ちからくるものなのだろうな、と。
昌次と紀子が震災復興のためのボランティアで出会ってる、と言うのもまた今という時代を象徴してる。父周吉が心配するほど息子はその日暮らしではないし、多少屈折したにせよ、本当に心の優しいいい子なのだと思います。瀬戸内の温暖な気候で育った快活な心根を持ってるのだ、と今の時代の人たちにも響きやすくキャッチーな表現だと思いました。

私はこの映画を撮ってくれた山田洋次監督にお礼が言いたいなあ、と強く思わされました。同じテーマで巨匠の伝説的作品にオマージュを捧げる、というのは勇気の要ることだし、根気の要ることだと思うけど、それでもこういう形でこの話を楽しめて本当によかったと思う。また、歳を重ねながら折に触れて観たいと強く思わされる稀有な作品だと思います。