(wikipediaより)
社会人2年目の井上芽衣子は、将来に希望を感じられずにいた。社会や大人に対し不平不満がありつつ、しかしどうすればいいのかわからないまま、ついに勢いで会社を辞めてしまう。
芽衣子の同棲相手であり恋人の種田成男は、大学時代のバンド仲間である加藤、ビリーと定期的に会い、デザイン事務所のアルバイトの合間を縫ってバンド活動を細々と続けていた。喧嘩し、互いに励まし合いながら、先の見えない生活を続けていく芽衣子と種田。やがて、自身の音楽の才能は平凡と言い張り、逃げの姿勢である種田に対し芽衣子は苛立ちを隠せなくなり「バンドをやってほしい」と自分の思いをぶつける。その芽衣子の一言から種田はアルバイトを辞め、再びバンド活動に熱を入れることを決めた。そして加藤、ビリーらに声をかけ、自身の新曲である『ソラニン』をレコーディングする。
さてさて、同名漫画原作の映画化、宮崎あおいと高良健吾が主演。というわけで、劇場で本当なら観たかったのですが、タイミングが合わず、ようやくのDVDでの鑑賞です。期待していたといえば、期待していたのですが、予告編があまりに「NANA」だったので、(宮崎あおいのモノローグの感じとか)ちょっと地雷かも、と思って躊躇している間に公開が終わってしまいました。
「ソラニン」の漫画原作は未読です。その上で好き勝手語るとすると、この映画、私は本当に好きですねー。
この映画を語ろうとすると、どうしても自分語りになってしまうのですが、私は大学時代に軽音楽部に入っていました。
軽音楽部にのめりこんでしまい、大学の授業にもろくに行かずにだらだらと目的もなく青春時代をすごしたようにも思います。自分で曲を作るも、プロになる、とかそういう大それた目標があるわけでもなく、仲間内のライブで演奏して天狗になっていた、そんな自分と大学生活。あの頃はバンドが全部で、大して自分の上手くもない歌が何かを変えてくれるんじゃないかって大それたことをなんとなく夢想する日々だった。
そんな毎日も今となっては嘘のように毎日しっかり社会人として仕事をやっているわけです。日々の忙しさに押し流され、満員電車で人並みに飲まれ、客に怒られ、ぺこぺこする毎日。大学でステージの上で見ていた景色とはまるで違う世界。本当に自分がしたかったことってこんなことなのかな、って疑問に感じた日々。転職したりして、今は東京で満員電車に揺られて仕事に没頭する毎日。
ソラニンで主人公の芽衣子が日々感じているもやもやを観て、ああ、あれは自分だ、と思ったのは間違いないことで。ある日突然会社やめてしまおうかな、だなんて思ったことだって無いと言ったら嘘になる。芽衣子は女の子で私は男ですけど、彼女に結構感情移入しちゃったわけで。。それは別に芽衣子を演じているのが宮崎あおいだからっていうこと以上にこの映画の描こうとしていることが自分の琴線に触れたからなんだと思う。
彼氏の種田はこれまたどうしようもないやつで、バイトしながらバンドで食っていこうという気概もなく、バンド仲間と音を出すだけの毎日。彼を見て、また、やっぱり考えてしまうわけです。自分が彼のようになっていたって、何にもおかしくない。だから、やっぱり彼の気持ちもよくわかる。重ねて見てしまう。
この映画は結局種田のギターを使って芽衣子がライブで歌うその姿で幕を閉じるのだけど、芽衣子は笑顔で映画は終わるけれど、彼らは前進したかのように見えてやっぱりぐるぐるまだ同じところにいるだけ。本当は周りから見たら何も変わっていないし、これからまた彼らは社会に身を投じていかなくてはいけない、生きるために。音楽は彼らのことを突き放したりもするけれど、でも、たまに微笑んでくれる、そっとそばにいてくれて、彼らを癒してくれたりもする。芽衣子たちのライブはある種、葬式みたいな、別れの儀式、通過儀礼のようなものなんだとは思うのだけれど、それを経てなお、やはり厳然と立ちはだかる社会、人生、という大きな命題にもきっと彼らは立ち向かっていくのだろう、うじうじと後ろを振り返ったりもしながら。
そんなどうしようもない感じがするこの話は結構私の中で心をわしづかみにするような表現とか設定とかセリフがいっぱいあった特別な映画なんだと思う。
私はこの映画、結構好きだなあ。
また観たいと思う。
社会人2年目の井上芽衣子は、将来に希望を感じられずにいた。社会や大人に対し不平不満がありつつ、しかしどうすればいいのかわからないまま、ついに勢いで会社を辞めてしまう。
芽衣子の同棲相手であり恋人の種田成男は、大学時代のバンド仲間である加藤、ビリーと定期的に会い、デザイン事務所のアルバイトの合間を縫ってバンド活動を細々と続けていた。喧嘩し、互いに励まし合いながら、先の見えない生活を続けていく芽衣子と種田。やがて、自身の音楽の才能は平凡と言い張り、逃げの姿勢である種田に対し芽衣子は苛立ちを隠せなくなり「バンドをやってほしい」と自分の思いをぶつける。その芽衣子の一言から種田はアルバイトを辞め、再びバンド活動に熱を入れることを決めた。そして加藤、ビリーらに声をかけ、自身の新曲である『ソラニン』をレコーディングする。
さてさて、同名漫画原作の映画化、宮崎あおいと高良健吾が主演。というわけで、劇場で本当なら観たかったのですが、タイミングが合わず、ようやくのDVDでの鑑賞です。期待していたといえば、期待していたのですが、予告編があまりに「NANA」だったので、(宮崎あおいのモノローグの感じとか)ちょっと地雷かも、と思って躊躇している間に公開が終わってしまいました。
「ソラニン」の漫画原作は未読です。その上で好き勝手語るとすると、この映画、私は本当に好きですねー。
この映画を語ろうとすると、どうしても自分語りになってしまうのですが、私は大学時代に軽音楽部に入っていました。
軽音楽部にのめりこんでしまい、大学の授業にもろくに行かずにだらだらと目的もなく青春時代をすごしたようにも思います。自分で曲を作るも、プロになる、とかそういう大それた目標があるわけでもなく、仲間内のライブで演奏して天狗になっていた、そんな自分と大学生活。あの頃はバンドが全部で、大して自分の上手くもない歌が何かを変えてくれるんじゃないかって大それたことをなんとなく夢想する日々だった。
そんな毎日も今となっては嘘のように毎日しっかり社会人として仕事をやっているわけです。日々の忙しさに押し流され、満員電車で人並みに飲まれ、客に怒られ、ぺこぺこする毎日。大学でステージの上で見ていた景色とはまるで違う世界。本当に自分がしたかったことってこんなことなのかな、って疑問に感じた日々。転職したりして、今は東京で満員電車に揺られて仕事に没頭する毎日。
ソラニンで主人公の芽衣子が日々感じているもやもやを観て、ああ、あれは自分だ、と思ったのは間違いないことで。ある日突然会社やめてしまおうかな、だなんて思ったことだって無いと言ったら嘘になる。芽衣子は女の子で私は男ですけど、彼女に結構感情移入しちゃったわけで。。それは別に芽衣子を演じているのが宮崎あおいだからっていうこと以上にこの映画の描こうとしていることが自分の琴線に触れたからなんだと思う。
彼氏の種田はこれまたどうしようもないやつで、バイトしながらバンドで食っていこうという気概もなく、バンド仲間と音を出すだけの毎日。彼を見て、また、やっぱり考えてしまうわけです。自分が彼のようになっていたって、何にもおかしくない。だから、やっぱり彼の気持ちもよくわかる。重ねて見てしまう。
この映画は結局種田のギターを使って芽衣子がライブで歌うその姿で幕を閉じるのだけど、芽衣子は笑顔で映画は終わるけれど、彼らは前進したかのように見えてやっぱりぐるぐるまだ同じところにいるだけ。本当は周りから見たら何も変わっていないし、これからまた彼らは社会に身を投じていかなくてはいけない、生きるために。音楽は彼らのことを突き放したりもするけれど、でも、たまに微笑んでくれる、そっとそばにいてくれて、彼らを癒してくれたりもする。芽衣子たちのライブはある種、葬式みたいな、別れの儀式、通過儀礼のようなものなんだとは思うのだけれど、それを経てなお、やはり厳然と立ちはだかる社会、人生、という大きな命題にもきっと彼らは立ち向かっていくのだろう、うじうじと後ろを振り返ったりもしながら。
そんなどうしようもない感じがするこの話は結構私の中で心をわしづかみにするような表現とか設定とかセリフがいっぱいあった特別な映画なんだと思う。
私はこの映画、結構好きだなあ。
また観たいと思う。
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