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スズキ式ジュースマシン



鈴木糧食研究所制作のジュースマシンが届きました。
庭や菜園の野草の青汁を飲みたくて購入しました。

従来は、よくあるミキサーで野草ジュースを作っていたのですが、このタイプは栄養を壊すとのことで、性能の良いものを探していました。ネットで調べると機種がいろいろあって迷いました。

鈴木糧食研究所のこのジュースマシンは、いろいろある製品のなかでもっともお洒落でなく、自社ホームページもないので情報が得にくい・・・けれど農文協の本などに紹介されていたりして一番気になっていました。

思い立って桂子が直接この神奈川県相模原市の会社に電話してみると、鈴木社長が出てこられて直接説明を聞くことができました。そんな流れで購入を決めたんです。
http://www.navida.ne.jp/snavi/2452_1_1.html

機械が届いてみると、いかにも町工場で一台一台手作りされているような姿。さっそく試運転しました。



桂子が庭や菜園で摘んできました。
ハコベ、日本ハッカ、ツユクサ、ヨモギ、レモンバーム。
これに地元のスーパーで買ったリンゴとニンジンを加えました。



この機械だとジュースというよりペースト状のどろっとしたものができるようです、それにヨーグルトを混ぜてできあがり。庭や菜園で摘んですぐに摂取できて贅沢なことです。これから毎日二回摂りたいと思っています。

これだと多様な野草を美味しくいただけます。セリ、ミツバ、フキ、タンポポ、ユキノシタ、オオバコ、ヨメナ、アザミ、クズ、クローバー・・・、柿の葉や松葉、杉葉、桜、ナンテン等も使えるようで、まさにこの自然環境が“宝の山”であることが実感できそうです。

これからは庭・菜園は、ジュースとして利用できる雑草をできるだけ生かし、雑草のなかに野菜もある、というような構想でやっていきたいと思います。雑草たちは野菜よりパワーがあります。人間が世話しなくても勝手に生えてくるたくましい方たちです。



マシンに添付されていた資料。
「生きたジュースの材料と効用」という題名。





“太陽の光を十分に受けて育ったものをお使いください”との説明。

近代文明の限界



4月の会津旅行のまえに取り寄せた本。赤い帯に“3.11大震災後の日本人の生き方を探求”とあります。忙しくてこれを開くことなく旅行を終え、今頃になって読んでいます。

哲学者の梅原先生・・・1925年仙台生まれ、元京都芸術大学学長。経済人の稲盛氏・・・1932年鹿児島生まれ、京セラ、KDDI創始者。2010年当時の首相・鳩山氏の依頼で日本航空(JAL)の立て直しのために会長に就任。

3.11

杜仲の収穫



裏山の杜仲(トチュウ)の樹。
ずいぶん前に植えた苗が育って立派になってきました。

杜仲(トチュウ)の葉の表面。
昨日、杜仲茶をつくるために葉を収穫しました。

杜仲の葉の裏面。
一本の木の樹のようでもあり、人間の血管のようでもあります。実は植物のクロロフィル(葉緑素)と、人間のヘモグロビン(赤血球)の化学構造は酷似しています。
http://m.webry.info/at/bloom/200702/article_2.htm



杜仲の葉を洗う桂子の手。
ていねい過ぎると思います。農家のかたが見たら身の毛がよだつでしょう。けれど桂子は販売のために杜仲茶を作るわけではありません。“魔女のお仕事”をしているわけで、能率・効率を考えているわけではありません。葉の一枚一枚に意識を向けることが重要だと感じています。機械的な作業ではありません。だから興味のない人、価値を認めないひとにまかせることができません。時給を払えばテキパキやってくれる人はあるでしょうが、そういうことではないんです。摘み洗い蒸し乾燥させることが、瞑想のような祈りのような行為でなければ、杜仲のチカラを生かすことはできないと魔女は思います・・・

植木温泉・あしはらの湯



先月福島県会津への三泊四日の旅をして以来、かつてないほど温泉通いをしています。

実は旅行前に桂子が家の階段からすべって、こういうときに頼りになる主治医にお世話になりました。先生は無用な治療はしない、無用なお薬は出さない方針なので、まあ結局“時間薬”という自然治癒力に頼るしかないという結論でした。旅行では、飛行機も新幹線でもレンタカーでも痛かった・・・そういうこともひきがねとなって、大分に帰ってから、できるだけ温泉治療=湯治に勤めました。

すぐに体感できたのは、肌の状態です。春になって急に夢中になって薬草摘みをしたことなどの疲れもとれてきました。そして気がつくと、階段からすべったことによるカラダの痛みは無くなりました。だから私たちは温泉“治療”と言います。

今日はここ、初めて植木温泉「あしはらの湯」で湯治してきました。
昨日ブログで書きました「山水苑」と同じ、熊本県の植木温泉です。
市町村合併などいろいろあって、「山水苑」は菊池市
「あしはらの湯」は熊本市北区になっているようです。



「山水苑」同様、ほのかなイオウ臭がします。熊本県菊池や山鹿、泗水の温泉の特徴であるラドンも含まれています。表示上は「アルカリ単純泉」となっていますが、レベル高い、というのが私たちの感想です。



ここには和風の坪庭があって、一人サイズの露天風呂もあります。
これで家族湯1200円。

このあたり広大な平野で豊かな農地が広がっています。
下調べせず農道を走っているとき、桂子が「あしはらの湯」の表示を見つけ、たどりついたのがここ。また行きたいと思います。

植木温泉・山水苑家族湯



先週、何の下調べもなく偶然通りかかった熊本県菊池市の山水苑。名前とは不釣り合いな民家のお庭の七棟の家族湯。家族湯二人で入って700円。母はいつものようにひとりで一棟をキープするも800円。桂子が念のために1時間ですかと聞くと「よかよか、いくらでんよか」との返事。



一時代まえの風情、嫌いではないけれど・・・というか結構好きなんですが、大丈夫かなと思いました。つかってみると素晴らしい湯! 少し硫黄臭があって、ツルツル感があり大満足しました。温泉から出たあともずっと肌がスベスベしました。

実はあの日、初めて西南戦争最大の激戦地・田原坂(たばるざか)を訪ねました。その慰霊碑のスペースで、非常にきついバイブレーションを感じました。私は後頭部、首、肩にかけてズーンとした重たい感じがし、桂子はより強い感覚があって耐えられないと言いました。

田原坂を去ってもこの感覚はカラダに残り、困ったなと思ったのですが、たまたま通りかかったこの温泉、熊本県菊池市植木温泉・山水苑につかったらエネルギーが変わって、その感覚が消えました。ここのお湯のエネルギーに感謝します。ちょっと遠い(片道約1時間半)けれど、また行きたいと思います。



こんな素晴らしい泉質なのに、私たちが訪ねたとき、客はひとりもなかった(それで少し不安になったんです)。近くに「温泉ドーム」というネーミングの巨大施設があり、そこには車がいっぱいとまっていました。循環式で塩素漬けの温泉の方が人気があるなんてと思いますが、そのおかげで私たちは待つことなく贅沢な湯治ができました。

バラのお酒



今日、桂子が菜園のバラの花弁を少し摘みました。
エンジェルファームのバラを使った初めての“バラ酒”を作るために。

上は、花弁を洗って干しているところ。
私たちは農薬を使わないので、バラにもさまざまな昆虫がやってきます。水(湧き水)を当てて彼らに去ってもらいます。



去年入手したガートルード・ジェキル(香水採取用に使われるバラ)。この花をメインに、30個の花から花弁を採取しました。

バラは多肥栽培が必要と言われ、美しい色、美しい香りをもたらすために多くのバラ園では化学肥料が使われます。ところがこの化学肥料は必ず“副作用”をもたらします。“病害虫”の発生です。

みなさん経験されたことがありますか?
バラ園に行くと、鼻の奥がツンときたりヒリヒリしたり、涙目になったり・・・それは農薬のせいです。化学肥料と農薬はセットです。化学肥料は速効性があります。が、副作用があって、それを解決するために農薬が必要になります。

私がこれまでバラを敬遠してきたのは、バラは化学肥料-農薬系の植物だと思っていたからです。でもどんな植物であれ、エンジェルファームにきたかぎりは化学肥料も農薬も与えられません。

バラたちはだいじょうかなと思いました。最初はやっぱりショックを受けるようです。いきなり化学肥料という食事を絶たれるわけですから。しばらく断食するような状態になります。それをのりこえると、化学肥料に頼らなくても生きていける植物本来の生き方に回帰していきます。回帰できないものはエンジェルファームでは枯れます。



まったくの無農薬のバラのお酒・・・現代では非常に贅沢なことです。
バラのお酒については、あらためて桂子が書くはずです。

それにしてもガートルード・ジェキル、いい香りです。
くらくらっときます。

ソラマメの住人たち



今朝、桂子がソラマメを摘んで生で食べてみると美味しくて甘かった。私たちはいつもそうして菜園で口に入れて味わってみます。キヌサヤエンドウもスナップエンドウも、そうしてみると自然な甘みがあって・・・明日には少し収穫することになるでしょう。ソラマメのことをブログで話題にするのは2008年以来です。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/09f1246123fb5a556e0b9e1c7a814c45

今年ソラマメにアブラムシがほとんどついていません。化学肥料をやらないことはもちろん、有機肥料もほとんどやらないからだと思いますが、去年の秋作あたりからカラスノエンドウ、レンゲ、クローバー等のマメ科の雑草をできるだけ除去せず残すようにしました。彼らの根に共生する根粒バクテリアがもたらすチッソ成分に期待するからなんですが、できるだけ雑草を除去しないことによって、多様な生物がこの菜園に棲息できることになります。

最近、菜園でエンジン草刈り機を使わなくなりました。昔ながらの草刈り鎌を使って、除去すべき雑草群か残すべき雑草群を見分けながら刈り込み作業をします。そのときに、何と多様な生物が菜園に棲息していることかと感嘆します。草を刈られると彼らは自分の住居を奪われて大慌てします。何度も写真をとろうと試みましたが、私の技術、私のカメラではその能力はありませんでした。彼らが激しく動くからです。

以下、ソラマメの葉にいた生き物たちです。もっといますが今日は5名をアップします。彼らが棲息するお陰で、アブラムシ等の害虫が大量発生することがないのだと思います。生物多様性が保たれている自然界では、一種類の生物が大量発生発生することが出来ません。それが自然界のしくみです。

エンジェルファームの菜園・庭が多様な雑草、多様な昆虫等の小動物が棲息するビオトープになってきていると思います。このビオトープという考え方、ますます重要だと思います。それは近代的思考にはなかった考え方ですが、江戸時代以前にもなかったと思います。近代でも前近代でもない魅力的な新しい考え方です。







横井小楠



昨日、小泉八雲記念館と共に訪ねた横井小楠旧居。
今は熊本市東区沼山津1-25-91という住所になっていますが
彼が住んだ幕末の当時は途方もない田舎だったはずです。

ここに坂本龍馬が三度もやって来た。
「五か条の御誓文」を起草した由利公正(ゆりきみまさ)、「教育勅語」の起草に参画した元田永孚(もとだながざね)、「大日本帝国憲法」の草案をつくった井上毅(いのうえこわし)等もここに来て、小楠の教えを請うた。

幕末の福井藩主松平春嶽(しゅんがく)は横井小楠をヘッドハンティングした。最後の将軍・徳川慶喜は幕府に召し抱えたいと言ってきた。

そんなことをこの畳の上に座って感じてみました。



この部屋の「ガラス障子」のことを説明しています。日本伝統文化である障子と、西洋の技術であるギヤマン(ガラス)の統合です。

元治元年(1864年)2月小楠は、やって来た坂本龍馬に『国是七条』を説きました。

1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。
将軍は、京へ行き、これまでの徳川家中心の政治を、朝廷に謝る。

2.諸侯の参勤を止めて述職となせ。
参勤交代制をやめて、各大名は、将軍に各藩の情況を報告する制度に改める。

3.諸侯の室家を帰せ。
各大名の奥方を、江戸へ常駐させず、各藩へ帰す。

4.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。
政治を司る地位には、これまでの伝統にこだわらず、優秀な人材の登用を行う。

5.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。
密室で、一部の地位の人だけで決めていく政治を改め、多くの人々の意見を集約する政治を行う。

6.海軍をおこし兵威を強くせよ。
外国の侵攻を防ぎ、日本を守るには海軍の増強が必要。

7.相対交易をやめ官交易となせ。
外国との貿易を、国の管理下に置き、国の財政基盤を強化する。



横井小楠旧居跡の外観です。



旧居跡のすぐ近くに、彼の墓があります。
本当の墓は彼が暗殺された京都・南禅寺にあります。
ここは彼の遺髪が収められているそうです。
墓の隣に大きな銅像があります。



明治維新というものが何であったか。
何を得て、何を失ったかということを見つめようとしています。
近代文明が何をもたらし、何を破壊したか・・・

築明治元年(1868年)のエンジェルファームの母屋は
それを問うには絶好の場所です。

明治維新以後の近代化の歴史の帰結として
1945年 原子爆弾投下
2011年 福島原子力発電所事故
があったと思います。

先月の会津への旅は、母のリハビリを兼ねて
そういうことを問う旅でもありました。

レイキヒーリング、マッサージ、ハーブ・薬草療法、温泉療法、アストロロジー、瞑想療法・・・古代文明の時代から長い歴史を持っていますが、近代文明によって非科学的であるとして否定されました。否定されているものこそ私たちエンジェルファームがシェアしているものです。

どうしてそういうものが否定されなければならないのか、根底から考えたいと思います。

横井小楠はあの時代の状況下で富国強兵の重要性を説きましたが、富国強兵だけではいけない、東洋の精神文明を高揚し世界平和に務めなければならないと説きました。そのために武士のように自分をみがき続けることの重要性を認識していました。

残念なことに、彼は明治2年に奈良十津川郷士たちによって暗殺され、明治維新は富国強兵に偏り走っていきます。

小泉八雲旧居跡



思い立って熊本市の鶴屋百貨店に走りました。
ここまでエンジェルファームから車で2時間です。



この鶴屋百貨店は売り場面積全国トップレベル。
何年か前に来たとき鶴屋の裏手に緑に包まれた一軒家があるのを見ました。このあたり熊本でもっとも固定資産税が高そうなエリアです。それなのに平屋で、それほど贅沢な作りでもない建物、不思議な家だなという印象を持ち、いったい何だろうと気になっていたのですが・・・



「耳なし芳一」や「雪女」の著述で知られるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が第五高等学校(現熊本大学)の英語教師になった時代に借りていた家でした。今日はここと横井小楠旧邸と阿蘇・夢の湯を訪ねました。



ここに来るきっかけは、会津藩士・秋月悌次郎(あきづきていじろう)でした。彼のことはNHK大河ドラマ「八重の桜」で知り、調べるうちに彼が明治維新後、熊本第五高等学校の倫理と漢文の教師になったことを知りました。そしてその時代に、ラフカディオ・ハーンが同僚だった。ハーンが去ったあとに赴任してきたのが夏目漱石でした。



前列左から二番目が秋月悌次郎、右から二番目がラフカディオ・ハーン。「秋月氏はしだいに齢を加え、高齢となり、だんだん神さまのような風貌を呈してきた」と書いています。

薬草茶



エンジェルファームの菜園、庭で採取した野草が干しあがりました。ほとんどは桂子が採取し、水洗いしました。

エンジェルファーム設立の原点に帰って、今再びこういうことに情熱を注いでいます。2007年のブログです↓
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/157a48866953f2a77953567c69a4f91a

手間のかかる手作業です。特に水洗いの作業が大変です。野草摘みはできても、ゴミや土や虫等を除去するための水洗いの作業は面倒です。その面倒さ、単調さ、退屈さをのりこえられたら「よろこびがやってくる」と桂子は言います。

本当はどんなことでも同じで、コツコツとした地道な努力の向こうに発見や成長や創造や成就があります。野草の水洗い程度の我慢ができないのであれば、少なくとも自然療法には向いていないと思います。

写真は主にヨモギとスギナです。



柿の葉も乾燥作業終了です。こんなふうに天日でコツコツ乾燥させた柿の葉のお茶がどんなに美味しいか、それを知っているひとは少ないと思います。これを上の野草に混ぜます。柿の葉が薬草茶の味を良くしてくれます。



私たちが飲んだ今朝の薬草茶。
この一杯を飲むために、ものすごい手間と時間がかかっています。だからこの一杯がありがたい。この一杯の意味を理解しているからです。太陽の光、大地のチカラ、雨の恵み、植物の生命力、人の努力・・・その結晶がこの一杯です。

成長



中庭のシロツメグサの花(盛期が終わり種を育てている時期。上に三つ残っている花はまだ受粉していないのでしょうか)の下で脱皮している小さなバッタを見つけました。田舎で暮らしていても、なかなかこういう脱皮には出くわさないものです。出くわしてもカメラを持っているとは限りません。私たちの場合は、エンジェルファームの菜園、庭、裏山のなかで被写体を見つけ、いつも大慌てでカメラを求めて家に戻ります。

それでもバッタの脱皮を撮れたのは2006年6月以来でした。あの時はいい写真が撮れました。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/d97ebbb25835aca636d7d785c9250c60



「成長」は自然界の“基本方針”だと思います。
基本原理、基本法則ではないでしょうか。
自然界の存在者は「成長」が宿命・・・

ニーチェは「脱皮せぬ蛇は滅びる」と言明しましたが、昆虫や花の場合はいつも決まったやりかたで成長していくのに対して、人間の成長の場合は、各自で選択しなくてはならないという特殊性があります。成長を選ばない選択もできる。安全安定のために不確定な危険な「成長」を選択しないこともできます。けれどそれは不自然な行為なのでしょう。肉体または精神に異常が起きてくる可能性があります。病気とか事件、事故という現象として。



これからこのバッタは自分の古い殻を食べるのでしょう。そういうのが自然界の流儀なんですが、人間は脱皮しない選択もできます、現状維持が安全安定を守る最適な方法だと思って。でもその選択はいつも失敗してきました。宇宙の本能は「成長」でした。

阿蘇・夢の湯温泉



ここは最近、桂子のお気に入り。皮膚が柔らかくなってツルツルするといって喜びます。JR阿蘇駅すぐの夢の湯温泉家族湯。家族湯が14室ずらっと並んでいます。ちょっと硫黄の臭いがしますがナトリウム・マグネシウム‐硫酸塩・炭酸水素塩泉。

最近、裏山や菜園での肉体労働、屋内の模様替え等で筋肉痛をかかえ、やや疲れ気味なので、こういう温泉がしみじみありがたいです。あきらかに優れた効果があります。

車で40分から45分くらいかかるんですが、行く価値があります。私たちにとって大自然の“お薬”“治療”です。日本で世界で、温泉が薬として治療として使われてきた長い歴史があります。ハーブ・薬草も、マッサージも、レイキヒーリングも瞑想療法もみんな古代文明からの長い歴史があります。

明治維新の時は合い言葉は“尊皇攘夷”“王政復古”でしたが、実際に起きたことは欧米の科学技術文明の受容、それによって西洋医学一辺倒の歴史が始まりました。

NHK大河ドラマ「八重の桜」でやっている戊辰戦争、そして維新後の明治10年に勃発した西南戦争という内乱で多数の兵士、警視隊が負傷しましたが、その戦場で旧来の漢方が役に立たず、蘭方が活躍し高い評価を得た・・・そのことも西洋医学偏重に拍車をかけてしまったきっかけとなりました。

でも本当に西洋医学が主流になったのは、太平洋戦争敗戦後ではないでしょうか。しかも、この数十年のあいだにそうなったと思います。私が子供の頃、風邪をひいたら、母は湯たんぽで汗をかいたら治ると言いました。それと梅干とお粥を食べました。学校を休んで1日か2日そうやってゆっくりしていたら治りました。

そんな母がいつのまにか化学製剤信仰に向かい、湯たんぽも捨ててしまっていた。2002年に父が亡くなってからは睡眠薬を常用していたんです。血圧が高いと言われたら血圧を下げるお薬を飲み、コレステロールが高いと言われたらコレステロール値を下げる薬を飲む・・・私たちの親の代で何事かが起きたということです。



夢の湯温泉・家族湯の会員になりました。入会金3000円を納めれば、3年間、1回1時間600円でこの家族湯を使えます。通常は1000円です。6回以上通えばお得になるという。これから3年間、1ヶ月に1回行っても36回になります。こんな安い値段で予防医学と治療ができるなんて大変ありがたいことだと思います。

病院に行くより温泉に行こう!



私たちは温泉に行くとき「治療に行こう!」と言います。
これからの時代の維新のテーマは王政復古ではなく、古代文明から受け継がれた智慧の復古ではないでしょうか。「八重の桜」がやっているように、明治維新のときは武力(鉄砲・大砲)が大活躍しましたが、これからの時代は、智慧とか愛、瞑想が維新の原動力となってほしい・・・このお風呂にゆったりつかりながらそんなことを想いました。

御薬園



先月の会津旅行4月23日に訪ねた御薬園(おやくえん)。
鶴ヶ城に近いエリアにあります。

1670年に二代藩主が貧しい領民を救いたいとの思いから薬草園をつくったそうです。





現在は400種類の薬草を栽培していると書かれていますが、現在は観光客を呼び込むための見せ物パンダとしてあるだけでした。出口にある土産物コーナーの販売促進のための、ちゃちな薬草園だと思いました。





薬草園は結局、会津松平家の別荘になっていったようです。江戸時代の大名の山水庭として優れた庭園だと表示されています。が、私たちが園を巡っているとき観光客が「なんと淋しい庭ね。うちの庭のほうがよっぽど豊かだわ」と友人に語られている声が聞こえました。

一見ご立派なお庭なんですが、観光資源としてとってつけたような胡散臭さが漂っています。いい勉強になりました。こういうニセモノをやってはいけないということを学びました。

それに松等の常緑樹を使い、それを徹底的に剪定し人工的な姿に作っていく古い日本庭園の作庭法は現代人の癒しにはなりません。現代のライフスタイルに合わないだけでなく、雑草や昆虫(害虫)を徹底排除するために農薬・除草剤を多用することに何の疑問も持たないことが問題です。今や和風庭園の作庭法はアンチエコであるといえます。

あの旅行から帰ってきて、エンジェルファームの自然豊かな環境で薬草茶や薬草酵素をつくったりするなかで、私たちは本物の御薬園をやらなければならないと痛感しました。薬草園に暮らしながら、ヒーリングのお仕事をしていく・・・そのなかに、ヒーリングマッサージ、レイキ、アストロロジー、アロマセラピー、クリスタルヒ-リング、ハーブ・薬草療法、入浴療法等があり、そのなかにメディテーションがあるというような構想です。

自然の日記



東京生まれ、東京育ちで、東京で仕事をしてきた桂子が、最後に住んでいたのが京王線・桜上水駅近くでした。

徳冨蘆花が半農の生活をした蘆花恒春園は、たぶん歩いて20分ぐらいだったでしょう。
それが先月の旅では下記のようなりました。

エンジェルファーム(大分県竹田市)出発・朝7時→阿蘇熊本空港→東京羽田空港→新宿で食事→京王線芦花公園駅→恒春園到着午後4時前。車と飛行機とバスと電車を利用して、一日がかりで恒春園にたどり着く。

明治40年徳冨蘆花が、「東京を西に去ること3里(12キロ)」の地にiターン田舎暮らしを始めた。当時はそのあたり、ものすごい田舎だったんです。その様子を蘆花は『自然と人生』や『みみずのたわごと』で著述しています。

徳冨蘆花の『謀反論』という文章で、豪徳寺(ごうとくじ)に井伊直弼の墓があることを知りました。井伊大老によって処刑された吉田松陰を祀った松陰神社は直弼の墓に隣接する位置にあるんですね。

蘆花の『自然と人生』の解説文のなかに、こんな話しがありました。

自然の日記を書いてみたら面白いだろう

そのように国木田独歩が勧めたというのです。
兄の徳富蘇峰に相談するとすぐ賛成し、早くまとめるようにと励ましたという。

地図に戻ります。
国木田独歩と柳田国男は深い交流があったそうです。また柳田国男は、徳富蘆花の田舎暮らしに書いています。彼は世田谷区成城に住んだ時代があります。

かつて桂子が暮らしたエリアに徳富蘆花・愛子・蘇峰、国木田独歩、柳田国男、井伊直弼、吉田松陰の“ゆかり”または“赤い糸”がありました。

佐伯(さいき)へ



先月の会津若松への旅で、阿蘇熊本空港から乗った飛行機の窓から撮影。大分県佐伯市上空。海の幸、山の幸に恵まれた景勝の地です。昨日5月10日、その佐伯市に行きました。



目的は、コウノメソッドの河野和彦先生(名古屋フォレストクリニック)から紹介していただいた佐伯中央病院の荒木先生に母を診ていただくことでした。母は病気になっていなくても内科・眼科・歯科に定期的に通うのに、認知症ということがテーマになると病院に行くことを極端に嫌います。今回も強い抵抗がありましたが、あれこれ説得して何とか連れて行くことができました。

佐伯中央病院の荒木先生は最近、大分県で初めてコウノメソッド実践医になられたかたです。車で片道1時間半かかりますが、行った価値がありました。きちんと穏やかに丁寧に母と家族(僕たち)と会話し、慎重な判断をしていただくことができました。年輩の担当看護師も患者の尊厳を保つ非常に丁寧な対応だったので安心できました。母も好感がもてたようです。ちょっと遠いけれど、この人たちなら安心できる尊敬できるという印象を持つことができたようです。

今のところ緊急を要する深刻な症状がでているわけではないので、健康食品フェルガードを摂取しながら様子をみていこうということになりました。それ以外の薬の処方はありませんでした。



病院のあと、エンジェルファームでレイキヒーリングやセラピーを学んだ佐伯在住のMさんと合流して、彼女の案内でお寿司を食べたり、写真の国木田独歩館や平和記念館やわらぎ(旧佐伯海軍航空隊兵舎資料館)を訪ね、そのあとには塩湯で湯治しました。

結果、母も大満足し、2ヶ月に1回程度の通院が重苦しくない、むしろ楽しんで佐伯に向かうことができそうです。
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