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鴨池



私たちは少なくとも一週間に一度は温泉に行くようにしています。せっかく温泉に恵まれた地域ですから。
今日は阿蘇坊中温泉「夢の湯」に行きました。以前は日帰りできる地域の様々な温泉を試しましたが、今はほとんど下の四つの湯を愛用しています。

阿蘇坊中温泉「夢の湯」
長湯温泉「ながの湯」
大分市「天の川」
菊池市「後藤温泉」

いづれも観光客むけではないので、地味な施設だけれど泉質は優れています。私たちは湯治・薬用目的に利用しているのでお洒落である必要がありません。

今日行った阿蘇の夢の湯の近くの池がこの季節、鴨がいっぱいです。思うに、江戸時代みたいにみんなが分散して生きたら、みんなが温泉や野鳥の風情を楽しんで生きることができます。

私たちが住んでいる大分県竹田市(人口2万人)の場合、コロナウイルス感染者は10数人。死者はゼロです。コロナウイルスが発生して1年たちますがこの数値。

大分県は人口113万人。今日までの感染者1,145人。死者17人。この一年間の死者が17人で、そのほとんどが高齢者。
明らかに文明を変更するときが来ていると思います。

英語版に着手



去年の秋ごろから花蜂のページを作り始めました。
骨格ができて、これから肉付けしていく段階になったと思います。今日、ヴィラモは英語版を作ったらいいとアドバイスしてくれました。

私は地球の生態系にとっていかに花蜂の存在が大事であるかとか、World Bee Dayが行われていることをまったく知らない日本の人々に情報を届けたいと思って作ってきました。

ヴィラモが言うように、まずは花蜂の大切さを知っているひとたち、World Bee Dayに共鳴しているびとびとにつながるほうが早いかも知れません。

Honey with Heart


この短い動画に心打たれました。
アフリカ中央部のマラウイ共和国。
世界最貧国だという。
下から二番目とか・・・

養蜂を始めることによって希望がみえてきた。
彼らは蜜蜂のことを歌って進む、裸足で。
子供たちは満面の笑顔で走る。

Honey with Heart
心のこもった蜂蜜プロジェクト。
ハートのハニープロジェクト。
彼らはけっして貧しくなんかないと思います。

ロールス・ロイスが養蜂???

二日前の夕方、長湯温泉「ながの湯」につかった帰り、ながの湯の近くのエリアで車のまえにイノシシが現れ、車のヘッドライトをハイビームにしたら、ゆっくりと逃げていきました。車を恐れている様子はありませんでした。

そのあとの帰り道で、野良猫がいると思ったらキツネでした。人口は減る一方ですが、イノシシや鹿、キツネ、タヌキ、テン等は増えている。
もともと彼らの居住域を人間が奪ってきたんでしょうが、地方の過疎高齢化が進むなかで再び彼らの勢力が増してきている。自然なことではありますが・・・

さて、あのロールス・ロイスが養蜂を開始しハチミツを生産したこと知っていますか?
https://response.jp/article/2020/05/21/334816.html

世界ミツバチの日のページ、少しづつ進行しています。世界中がWorld Bee Dayに参加していることがわかるようにしています。
https://angelfarm.jp/healing_garden/world-bee-day01.html

日本が参加していない異常さが際立ちます。
どんな理由で参加しないのでしょう。
検索してもさっぱりわかりません。

サツマイモは生きている



前にこのブログで同じことを話題にしました。
それをHealing Gardenのコーナーに持ってきました。
https://angelfarm.jp/healing_garden/satsuma_imo01.html

World Bee Day



大急ぎで「World Bee Day」のページをアップしました。
とりあえず骨組みを作っておいて追々肉付けしていきます。
https://angelfarm.jp/healing_garden/world-bee-day_index.html

ぶんぶんぶん



ぶんぶんぶん はちが とぶ
お池の まわりに
野ばらが さいたよ
ぶんぶんぶん はちが とぶ


子供のときに歌ったと思います。
もとはチェコ・ボヘミア民謡だったという。
これにドイツの詩人ホフマン・フォン・ファラースレーベンが歌詞をつけたドイツ語曲 "Biene"が1843年にできたという。日本語の「ぶんぶんぶん」は戦前に村野四郎が作詞した。もとの詩とはかなり違います。

ドイツ語では“Summ Summ Summ” ズムズムズム。



英語ではBuzz Buzz Buzz バズバズバズ。

ポスト物質主義サイエンス



↑非常に長い動画なので、神経科学のウーラコット教授のところから開始。

以前、「ポスト物質主義サイエンス」のことを話題にしました。
今年、ミツバチのことやSoul Stoneやハート瞑想のことを発信するにあたって、「ポスト物質主義サイエンス」のマニファストが語っていることは重要な基盤になると思います。
https://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/25a0edbda0f53d246d18a8acdc4181f7

自動翻訳で大雑把な意味はつかめるかと思います。
←動画画面右下にあるこの設定アイコンをクリックして[字幕]をクリック→英語(自動生成)をクリック→[字幕]をクリック→[自動翻訳]をクリック→一番下にでてくる[日本語]をクリック。

次々と現れるコマーシャルがうるさいときはBraveを使うといいです。私はそうしています。https://brave.com/ja/

マージョリー・ウーラコット Marjorie Woollacott 博士は30年間、合衆国オレゴン大学の神経科学 Neuroscience の教授をされているという。
https://marjoriewoollacott.com/

「私たち自身と地球への思いやりの拡大 Extending Compassion to Ourselves and the Planet 」と題したブログのなかで彼女はこんなふうに書いています。

私たちの分離の感覚が個人と惑星の両方の苦しみを生み出すものである。
our sense of separation is what produces both individual and planetary suffering.

惑星の変化の鍵は、瞑想で経験した一体感と、この一体感から自然に浮かび上がる感覚、つまり思いやりであると私は提案します。私の前提は、私​​たち人間が分離の幻想を超えれば、私たちはより幸せな個人になり、これがより健康な惑星につながるということです。

I propose that a key to planetary change is the sense of unity experienced in meditation and a feeling that naturally emerges from this unity awareness: compassion. My premise is that once we, as human beings, go beyond the illusion of separation, we become happier individuals and this leads to a healthier planet.

私はこの前提に取り組み、思いやりそのものの本質を探求したいと思います。思いやりは人間の生来の特徴ですか?それとも私たちが学ばなければならないことですか?私たちは思いやりを育むことができますか?

I will address this premise, and I also want to explore the nature of compassion itself. Is compassion an innate human characteristic? Or is it something that we must learn? Can we cultivate compassion?

私は神経科学者であり瞑想者でもあり、40年以上の経験があります。瞑想は、唯物論的な科学的基盤を超えて私の視野を広げ、他の人々とのエネルギー的なつながりだけでなく、私自身よりも大きな意識を持っていることを私に認識させました。

私が他のすべての人とのつながりを感じるのは、この拡大された意識の範囲内です。より大きな全体の一部であるというこの相互接続の感覚の自然な要素は、深い思いやりの感覚、つまり他者や地球全体への思いやりです。思いやりとは、本質的に、他人に起こったことは自分自身にも起こっているという感覚だと思います。

I am both a neuroscientist and a meditator, and I have over forty years’ experience with both. Meditation expanded my perspective beyond a materialistic scientific foundation and gave me an awareness of an energetic connection not only with other people but also with a greater consciousness than my own. It is within this expanded consciousness that I feel my connection with all others. A natural component of this sense of interconnection, of being part of a greater whole, is a profound feeling of compassion—compassion for others and for the planet as a whole. I would say that, at its heart, compassion is the sense that what happens to another is also happening to oneself.

白菜を干す



昨日収穫した白菜を半分に切った姿。
虫食いあとがあるのは外葉だけで内側は非常にきれいです。



断面が瑞々しく美しい。
「ボロは着てても心は錦」です。

「ボロは着てても心は錦」を検索すると、「ボロは着てても心は錦? 米国にそんな言葉はない」というサイトがヒットします。「Men's Fashion できる人は見た目が10割」というサイトです。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO24477800R11C17A2000000/

錦を着ててもも、心はボロ・・・私たちはそういう野菜を育てたくありません。自給用の家庭菜園だからできることで、スーパーマーケットで販売するなら、おっしゃる通り「見た目が10割」かも知れません。



二分の一カットは私が包丁でやりましたが、それをヴィラモが手で裂いてさらに二分の一にして(全体として四分の一になる)並べて干しました。



これは今日の様子。白菜は切っても生きているので、葉が少し立ち上がっています。今日はヴィラモが塩で下漬けしました。



昨日非常に暖かでしたが、今日はさらに暖かくて庭仕事すると汗ばむほどでした。
これはホトケノザで吸蜜しようとしているツマグロキチョウ。四羽が舞うのを見ました。ローズマリーで吸蜜するヒラタアブの写真もとりました。カエルの声も聞きました。

白菜収穫



ヴィラモが白菜の漬物をつくりたいというので、三株収穫。スーパーに並んでいる大白菜の3分の1ぐらいの大きさかも知れません。化学肥料も農薬も使わない家庭菜園なら上出来です。



収穫しようとハサミで白菜の根元を切ると
クビキリギリスが潜んでいました。
仮死状態で越冬するようです。
左下にはクモも潜んでいました。
クビキリギリスは他の場所に移してやりました。
クモは勝手に逃げていった。

それにしてもあちこち虫にかじられています。
がじられるのはあたりまえのことで、農薬を散布していないことの素敵な勲章のようなものですが、それが嫌なら農薬散布しかないでしょう。

スーパーで売っている虫食いあとがひとつもないピカピカの野菜は、化学肥料と農薬によってつくられます。みなさんがそういうのを好む以上、農家はそういう栽培をしていくしかありません。





農薬をやらないと白菜がクビキリギリスやクモたちの越冬場所になっても何の不思議もない、自然なことでしょう。みんながそれを嫌うから農薬で皆殺しにするしかないんです。農家が悪いわけではありません。

虫食いあとがあるといって売れないと農家は生活していけません。みなさんの意識が変わらないかぎり農薬を散布し続けるしかないんです。

カマキリのたましい



去年2020月1月30日、ヴィラモがiphoneで撮りました。
カマキリの赤ちゃん誕生の様子です。
1月30日に誕生するなんて、前回の冬は記録的な暖冬でした。
こんな時期に誕生して食べるものがあるのかなと心配しました。
案の定、春先になって急に寒くなったり何度も霜が降りたりしました。

ごく最近、「カマキリのたましい」のページをつくりました。
小林一茶 vs ルネ・デカルトです。
https://angelfarm.jp/healing_garden/kamakiri01.html

あかん



たまたま見つけた京都府警のコマーシャル。古語「明かぬ(あかぬ) 」の「ぬ」が「ん」になまって「あかん」になったという。関西出身者の私は「あかん」が方言であることを長く知らなかった。



エンジェルファームのブログで京都府警とか関西電気保安協会。

なんでやねん

カマキリの卵



ヒメシャラの樹にカマキリの卵。
1月13日に撮りました。下も。



こちらはカエデの枝に産みつけられています。
去年は暖冬だったので早すぎる孵化がありましたが
今年はどうなるか見守りたいと思います。

一昨日、私とヴィラモはアメリカ合衆国アリゾナ州セドナ在住のアルヴィナ&プラサードのオンライン瞑想に参加しました。“Love Silence Oneness”の瞑想です。
それで確信したんですが、私たちは生物学をやりたいわけではない、エコロジーをやりたいのでもない、環境保護運動をやりたいわけではない。
なぜかというと、それらはやっぱり思考かも知れません。思考は必要ですが、思考はやはり小さい。思考にとらわれてしまうと意識を狭めてしまう。

“Love Silence Oneness”は哲学でも宗教でも科学でもない。そもそも思考ではありません。もっと広大な意識だと思います。
大学や学会の研究・学術にもとらわれません。自分の眼で観て自分の耳で聴き、自分の意識で意識します。無学の意識を使います。
たとえば愛は学ではありません。学問・学術ではありません。愛について考えることと愛は違います。

カマキリの写真を撮るとき、“Love Silence Oneness”でありたいと思います。
“Love Silence Oneness”の意識をもって写真を加工したいと思います。
Photoshopでトリミングし、明度と彩度を整えるとき“Love Silence Oneness”からそれを行いたいと思います。
今年、“Love Silence Oneness”に取り組みたいと思います。

緑の駐車場

以前から作りたいと思っていた「緑の駐車場 または 生物多様性駐車場」のページを未完成ながら急いでアップしました。追々完成させていきます。
https://angelfarm.jp/healing_garden/green_parking_area01.html

ブロッコリー



ブロッコリー、一昨日いただきました。
前回の冬は記録的な暖冬でした。今年は全体的には暖冬傾向だと思いますが、急に寒くなって強い霜がおりたりします。

寒暖の差が激しくて、野菜たちにはキツイ冬だと思います。寒さに強いはずのチマサンチュウが枯れたりしました。初めてのことです。
ブロッコリーは霜を浴びて、紫がかった色になっています。ゆでると緑色になります。ブロッコリーは小さいツボミの集合体です。食べずに観察すると、だんだん花の茎が立ち上がってきて開花します。

昨日は終日暖かくて、ヒラタアブが飛んでいました。冬眠しないでどこかに隠れているんでしょうか?

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