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霊気に触れる



今回のアストロヒーリングの受講者は
すでにエンジェルタッチの講座も受けてきた方たちだったので
その両方を深めるようなかたちで進行していきました。

毎日朝6時から約1時間、林のなかをウォーキングし
室内でのワークが続くときは、バランスをとるために
できるだけ大自然にふれるようにしました。
そしてほぼ毎日、温泉浴もしました。

写真は久住連山の黒岳原生林をウォーキングしているところ。
こうしているうちに手のひらががピリピリしてきたり
人によってはクラクラしたりワナワナする感覚が
生じたりします。

これはハイキングではありません。ラジオをつけたり
CDを聞きながら歩くようなことではありません。
“楽しい瞑想”といったところでしょうか。




深呼吸する。鳥たちの声に耳をすます。
風の音に聞き入る。森の香りを感じる。
自分の呼吸を感じる。高い樹を見あげる。
樹にふれる。




黒岳のかくし水を味わう。
かくし水にふれる。




大自然の気、エナジーにふれてきた手が
今度は人の体の気、エナジーを感じる。
筋肉や骨は肉体の一部、目に見える部分であって
それは実はほんの一部分です。

愛や瞑想性、遊び心をもって
受け手の体の気や微細なエナジーと戯れるとき
そこに深いリラックスが生まれ

「癒そう」としなくても、自然に癒しが起こります。
「癒そう」と努力する心の働きが邪魔になる場合もあります。

↓心地よさを感じている受け手。


エンジェルタッチ



一昨日(26日)のセルフヒーリングアドバイザー学習会の一場面。
香山桂子の誘導瞑想で、受け手も、行い手も
呼吸がゆったりとし、心が静かになります。




レイキヒーリングの質をもったマッサージ。
愛と瞑想の質をもって触れられると
受け手は深くリラックスし、気持ちよくなります。
気持ちがよいまま瞑想状態になっていきます。

そのとき行い手も気持ちよくなり瞑想状態にあります。
受け手と行い手がひとつになっています。
立ちっぱなしで、体を動かし続けているのに
不思議なことに疲れません。




座禅で瞑想体験を得るのは難しい。
足や肩が痛くなるし、じっとしているのも辛いし
あれこれ思考が乱れて、なかなか瞑想が起こらない。
初心者の場合、ただ苦しいだけの我慢会に
なっていまうこともあります。

でもこのエンジェルタッチのマッサージだと
誰でも非常にかんたんに瞑想が起こります。
しかもとても気持ちがいい。
誰もが心のなかの静寂や調和のスペースを体験します。




頭部は特に優しく繊細に触れます。
頭のマッサージは気持ちよすぎて、とろける感じがあって
うとうとしてしまいやすいのですが
眠ってしまわずに意識を保つようにします。

そのときそこに瞑想があって
それが深い癒しの体験になります。

ラストステージ終了



“エンジェル様”御一行。
早朝からの室内でのワークを終えたあと
車で1時間走って高千穂に行く。
みんなが強い気を感じて、エナジー酔い状態になりました。




高千穂「夜泣岩」にも寄り、その気を感じました。




アストロヒーリング講座・新潟一期生の皆さんと香山桂子。
お疲れさまでした。長い長い講座でしたね。
泣いたり笑ったり苦しんだり楽しんだり・・・
本当にたくさんのプロセスを経て
今夜は素敵な笑顔の打ち上げパーティーでした。
竹田市の荻の里温泉です。




今回は毎朝6時からウォーキング
就寝まであれこれワークするというようなハードなスケジュールでした。
本当は疲れ果てているはずなのに
温泉につかり、美味しく食べたあとも
眠たくなるどころか、パワフルに歌うことができました。
エナジーというのはそういうものなんですね。

それを節約し使わないでためておいたら
元気でいられると考えがちですが
実は元気は使うほどにあふれてくる・・・
そのことを教えられる日々でした。




エンジェルファームに戻ると、満月期の月が輝き
その光のなかをみんなで散歩しました。

黒岳原生林



昨日は朝1時間ほど近くのカボス農園で収穫体験をさせてもらい
そのあとは終日室内でワークショップ。

今日は朝、車で35分ほど走って黒岳原生林へ。
天候がすぐれず時間が早かったせいもあって
ほとんど人と出会うことがなく
林のなかは不思議なほど静まりかえっています。
その静寂を聴く・・・




大きな岩を包み込み合体したようなケヤキの巨樹。
このスペース、いつ来ても強い気を感じます。




巨大な根や、根にくるまれた大きい岩に触れて
その内側にチューニングしていくと
底知れない深い力を感じることができます。
揺るぎのない深く根づいた感じです。




黒岳を登っていくと
「かくし水」と言われる山水を飲めるポイントに到着します。
アストロヒーリング講座・ラストステージの受講生6人と香山桂子。




甘みのある美味しい水。
これが本来の水、この美しい惑星・地球の水です。

このあとは室内での講座が続きました。

砂湯



DASOさんのOSHO禅タロット講座も無事終了し
今はアストロヒーリング講座が始まっています。
昨日は、桂子のアイデアで別府・上人ケ浜の
市営の海浜砂湯を体験しました。
(写真は私たちが終了してから撮りました
写っているのは他のお客さんです)

アストロヒーリングの講座なのになぜ砂湯を体験したりするのか
不思議に思われるかも知れませんが・・・

アストロロジーの「ロジー」とは学問という意味です。
桂子は学問をやりたいわけではありません。
学問ではなく、ヒーリングにもっていきたい・・・
だからアストロヒーリングです。

砂湯という自然体験は、地球という惑星の体験でもあります。
特にここ別府の海浜砂湯は、雄大な空・海・雲を眺めながら
それを体験できる素敵な場所です。




砂が暖かいのは温泉の効果です。
人が流した汗は温泉の湯で洗い流す構造です(手前)。




15分ほどですが、ひたすらこうした惑星の光景を
見つめることになります。
波が打ち返す音と、海鳥の鳴き声が聞こえます。
じわーっと、絞り出すように汗が流れていきます。

昨日も今日も朝6時すぎからウォーキングしてシャワーを浴びて
さっぱりした気分で一日のワークショップが始まります。
今日は室内でのワークでした。

睡蓮池



クロード・モネの睡蓮池。
彼は1899年から1926年に亡くなるまで
睡蓮池の絵を200点以上制作しました。

浮世絵の橋をまねてつくらせた橋
それが絵の構図の骨格になっており
もし橋がなければ、風景画としての構図が崩壊する。
何が描いてあるのか、わからなくなる。

橋を描くことで「睡蓮池」という名前
「風景画」という意味を保っています。




やがてモネは白内障で失明状態になるのですが
すごい情熱ですね。
睡蓮池です。見えない目を使って描き続ける。

彼の伝記を知らなければ、これが「睡蓮池」だと
わかるひとはないでしょう。
でも彼は抽象画を描かなかった。
彼はあくまで「睡蓮池」を描こうとしたのでした。




モネが日本風と思ったアーチ型の橋
造形的な要素はそれだけで
あとは好きな色を塗って遊んでいる感じです。

これを風景画と言えるでしょうか。
彼はそのつもりはなかったでしょうが
いつの間にか、印象派から抽象派になっている。

視力が衰えたせいもあるでしょう。
そのせいもあって、肉眼の束縛から放たれて
事物の形態にとらわれず
自由に色遊びできるようになったのかも知れません。

それはもう抽象画の世界ですが
彼としては風景画を描いたのですね。
具象と抽象の中間みたいな絵
私は非常に興味があります。
画学生だった20歳のころから興味があります。

それは事物の本質の問題につながっていきます。
橋も池も睡蓮も、それは人間の頭にとって
橋であり池であり睡蓮であるだけで
本当は名づけようの無い存在でもあります。

「私」という存在自体、肉眼で見える私が
私なのではありません。

そうは言っても、肉眼で見える私があります。
目があり鼻があり口があります。
皮膚があり服も着ています。

セザンヌやゴッホ、カンディンスキーやマルク
モンドリアンの初期の絵は
白内障に苦しむモネの晩年の絵に近いノリがあって
絵画の世界から長く離れた今でも
彼らの絵を忘れてはいません。
例えばそれは園芸やレイキや瞑想の世界につながっています・・・

DASOさん、エンジェルファームへ



16日17日にエンジェルファームで行われる講座
「OSHO禅タロット リーディング・ベイシック」の講師DASOさんが
スペースの下見のためにエンジェルファームにみえました。

長湯温泉・あすかの湯につかっていただいたあと
籾山八幡宮に寄りました。樹齢400年の大杉です。
ここの大杉は古木とか老木という感じではなく
まだエネルギッシュに成長し続けています。




右がDASOさん。
今回の講座をプロデュースするOSHOインフォメーションセンターの
ニルグーノさんが左。

↓講座の案内です(OSHO UTSAVA)
http://homepage1.nifty.com/UTSAVA/zen_tarot.html

↓DASOさんのHP
http://www.pnaj.net/profile.html




参道を下るDASOさん(右)、ニルグーノさん(左)。

籾山八幡宮には樹齢800~1000年のケヤキの巨樹もあります。
そのまえで、DASOさんは
「くらくらする、湯あたりしたかな」と言われました。
湯あたりではないと思います。
巨樹たちがつくりだす気、エナジー、波動に
あたられたのでしょう。
エナジー酔いですね。

散歩 日傘をさす女



印象派の画家クロード・モネの代表作『散歩 日傘をさす女』
傘をさしているのは彼の妻。
妻の横に彼らの長男が立っています。

青空、光、空気、草のにおい・・・
幸せな一瞬、素敵な一瞬です。

総理大臣になったというのではない
権力を握ったというのではない
大金を手にしたというのではない
ノーベル賞をもらったというのでもない
妻と子と散歩するというありふれた一瞬。
でも、それが途方もない輝きであるということ
1875年のその一瞬の輝きをモネは結晶化することができた。
彼はこの瞬間の映像を生涯忘れなかったと思います。

そしてそれから4年後、妻が亡くなります。




妻が亡くなった7年後、モネはこれを描きました。
顔には目も口も鼻もなく
彼女の存在は青空や雲や草原や風や光に溶け込んでいます。
モネはまたしても、その輝きの瞬間を描くことに成功しました。

草原を歩くときは、こんなふうに歩きたいと思います。
光や風や草の香りとひとつになるような感じです。
大空、大地、大気に溶け込み、小さな自分を忘れてしまう感じです。




先日、久住高原の草原地帯で。

新月期

夜中3時くらいに目が覚めてから
何か眠ったような眠らなかったような感じだったと
朝、桂子が言いました。

満月期や新月期のとき、そんなふうに眠りが浅くなったりします。
実は私は私で、夜中4時に目が覚めてから
夜明けまで眠れなかった。

毎日午前4時に新聞配達のバイクが来て
アミが興奮して吠えます。
ふだんは、そのとき一瞬意識がもどり
ふたたび熟睡してしまうのですが
昨夜はそのまま眠れなかった。

目が覚めるといっても、まぶたは閉じたままです。
意識が覚めるだけで、まぶたは閉じたままにしておきます。
するとそういうときに、何かいいフィーリングがやってきたり
ふっと何かの気づきがあったりします。

体が停止し、頭も働かない、意識だけがあるというような状態です。
熟睡できようができまいが、いつもそういう感じで目覚めるように
しています。目覚め方は大事だと思っています。
目覚まし時計を使うと、そのような目覚め方ができません。

ガーンというショックで、いきなりまぶたを開けて
あたふたと起き出して、いきなり新聞を読んだり
いきなりテレビを見たりすると・・・
何か内側の大事なところを傷つけてしまうような気がします。

朝の目覚め方・・・
それは親も学校も教えてくれないけど
本当は大切なことなのだと思います。




朝のウォーキング。
ゆっくり目覚めて、頭が働かないままウォーキングにでます。
桂子とアミと一緒に行くけれど、ほとんど会話はありません。
黙って歩く朝のその始まり、私たちはそれを大切にしています。

タッチヒーリング



桂子が設置した段ボール箱のなかで
ビッチ(左)とミロク(右)。
彼らのこういう姿、2001年以来
どれほど撮ったでしょう。

レイキに撫手治療法というのがあります。
手で撫(な)でると書いて撫手(ぶしゅ)。
愛撫の撫(ぶ)に手です。

手で撫でることが治療になるとすれば
そこに愛があるからだと思います。
ただ機械的に無感動に撫でてもらっても
それは癒しにはならないと思います。

最近はマッサージ機が進化して、それなりに効くようですが
“癒し”というのではないんですね・・・




この姿、タッチ(touch:触れる)ヒーリングの原点です。
ネコは手で撫でるかわりに舌を使います。

激怒した人間の呼気を液体に溶いてマウスに注射すると
そのマウスは死んでしまうそうです。

だとしたら、愛情をもってミロクをなめるビッチの唾液には
癒しの成分があるのでしょう。


今日の芸術作品



朝の散歩、傾山の様子。
毎朝見るけれど、いつも違った表情を見せてくれます。
それが絵画や写真と違うところです。
実際の風景は刻々、変化していきます。
風も吹いてくるし、鳥や虫たちの声も聞こえます。
横から蝶が現れたりもします。

現実のこの風景自体を芸術作品として鑑賞することができます。
毎日、素敵な作品です。




チャボのチーちゃん(チビコ)に玄米を与える桂子の手。
その様子を見るチーちゃんのお父さん(画面右)。




チーちゃんのマネをして、お父さんも手のひらから
玄米を食べます。恐い顔に写っていますね。
臆病なお父さんは、これまで手のひらからエサを
ついばんだりできなかったのですが
チーちゃんの様子を見て学んだわけです。

鳥だからといって、あなどれません。
こうやって息子の様子を見て学ぶこともできるんです。
今までやったことのないことをチャレンジしてみることが
できる。ネコもそうなんですが、頭数飼うと世話が大変ですが
一匹一匹の個性が見えてきて面白い・・・
人間の行動の原点みたいなものを知ることもできて
けっこう勉強になります。

山吹水源



人に教えたくない、秘密にしておきたいスポットです。
と言いながら教えていますが(笑)
豊後竹田の隣の熊本県産山村の山吹水源です。

めったに人が来ないからでしょうか
不思議な気、波動、エナジーを感じる場所です。
桂子は痛いほど感じると言います。




このピュアな水、毎分30トンも湧き出ています。
ここが水源となって、竹田の稲葉川に流れて行きます。
それはエンジェルファームから200mほど離れたところを
流れていき、大野川に合流し、別府湾に行きつきます。
去年だったかな、大野川は日本一きれいな川に選ばれました。
日本一というほどきれいかなあ、と半信半疑ですが
山吹水源は、間違いなく素敵なところです。




水に映る香山桂子。
お昼にちょっと外食したついでに寄ったのでした。
ちょっと寄る感じで、こんなに美しいところがあります。
けっして観光バスが来ない
けっして土産物屋が建たない
めったに人が来ない
静寂を楽しめる場所です。




野生の藤。これほど幹の大きい山藤は見たことがありません。
この側に、樹齢250年の藤があります。
この山藤もそれぐらいの樹齢なのでしょうか。

羽をはやした天使



15世紀イタリア・ルネッサンスの画家
フラ・アンジェリコの絵『受胎告知』。
天使がマリアにイエスを受胎したことを告げる。
これは絵の天使の部分。

フラ・アンジェリコの名は学校で教えると思うんですが
実は本名ではなく死後名づけられた“エンジェルのような
修道士”という意味。その名のとおり彼はドミニコ会の修道士だった。

ドミニコ会の宣教師たちは16世紀、日本にもやって来た。
九州でも布教し、禁教後も日本に残り
彼らは処刑という最も厳しい弾圧を受けました。

それは歴史の事実ですが、フラ・アンジェリコの絵は
彼の心の世界、彼の精神世界を描いたものです。

西洋の画家たちは、西洋人の姿で天使を描き
イスラム教徒たちは、イスラム教徒の姿で天使を描き
奈良時代の日本人は、その時代の日本人の姿で天女を描きました。

世界中に臨死体験者がいますが、キリスト教徒にはマリアが現れ
ヒンドゥ教徒にはヒンドゥ教の神が現れ
仏教徒には仏陀が現れるといいます。

それらはすべて脳がつくりだす幻覚か夢か空想のようなものでしょうか?
信仰というマインドコントロールがつくりだす幻でしょうか?

そういうのもあると思います。幻想もあるでしょう。
けれど、何かある種のエナジー、ある種の目に見えない存在が
実在しても何の不思議もありません。
可視光線はほんの一部です。
宇宙のなかにあって、私たちは盲目に等しい。
実はこの世界、目に見えないものばかりなんです。

目に見えない存在を感知したとき
何かこれまで見たことのあるものに置換して認識する傾向があると
思います。未知なるものを未知なるものとして認識するのではなく
すでに知っているものに置きかえて認識する傾向です。
「ああ、それってこういうことね」というふうに。

もし何か天使のようなものがいて
それが重力に支配されず、すっと空間移動できるものだとしたら
私たちは、そういう存在には羽があると認識するかも知れません。

もし何か天使というようなものがいて
それが優しくやわらかなエナジーを持っていたら
私たちは、それを女性として認識するかも知れません。
もしそれが生き生きとして、はずむようであり
ピュアで無邪気であるなら
私たちは、それを子供として認識するかも知れません。
多くの天使像が子供の姿をとっているのは
そういうことかも知れません。

神原渓谷



水のきれいなところです。
透明度が高いのですが、エメラルドグリーンみたいな色に見えます。
今となっては、水がきれいというのは貴重なことですね。

めったにひとは見かけません。
この日は釣りをしている男性がひとりあったぐらいです。
泳いでいる家族、観光に来ているひとの姿はなかった・・・
そういうところだから、これほど無垢な自然が
残されているのでしょう。




冷たくてピュアな水を、レイキ的に感覚する香山桂子の手。
こういうところで、エンジェルタッチの研修を行えたら素敵です。

エンジェルタッチ・レベルⅠを受けたかたのために
「交換セッションの会」を催したいと思っていますが
ときには、こうした大自然のなかに出かけていって
大樹や巨石、光、空気、水の気や波動、エナジーを
感じてみるようなことも試みたいと思います。

これまで「エンジェルツアー」と称して行ったことを
レイキ体験を深めるためにも使いたいと思います。

全くひとがいないから、ひとの目を気にする必要がありません。

最近は森林セラピーと呼ばれるようになりました。
フィトンチッドの効果もあるのでしょう。
豊かな森林の気と、渓流が生み出す気
そこにはマイナスイオンの効果もあるのでしょう。
大自然のなかでは、ふだんより瞑想に入りやすく深めやすい・・・

セミや鳥やバッタたちの鳴き声はあっても、とにかく静かです。
こういうところで、うるさいのは人間の頭のなかだけです。

頭のなかがうるさい・・・それに気づくだけでも
途方もなく素敵なことです。
というのも、頭のなかの思考がうるさいとしても
そのことに気づく意識の質は静寂だからです。
それが私たちの本質でした。

おしゃべりし続ける思考ではなく
その静寂が本質でした。

水に触れる






神原渓谷のきれいな沢の水の波動、エナジーを感じる香山桂子の手。

  「エンジェルタッチ」は無意識でやってしまう暴走、幻想、偽り
  制限、抑圧にストップをかけてくれます。
  愛に包まれ、愛に守られ、永遠性に委ねる安心感が芽生え
  何かが満たされていく感じがあります。
  そこに鼓動、香り、リズム、歌、ダンス、笑い、光、感謝
  至福があるからでしょうか。

  みんなが忙しく暮らしている現代社会ですが
  時にはストップして自分を愛すること癒すこと
  その大切さを気づかせてくれる「エンジェルタッチ」・・・
  そのエッセンスを多くのかたと分かち合いたいと願っています。
                               香山桂子