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悟りのシンクロニシティ



香山桂子です。
体調的にも精神的にも大きな変わり目だと感じ
昨年の夏からお休みをいただいて
自分自身のケア、ヒーリングに集中的に取り組んでいる最中です。

今回はサトルボディヒーリングの合宿を葉山で終えた後
代官山でアルヴィナがリードする「本質を生きる~シンクロニシティの法則」に参加し、さらにエネルギーをつき動かされてきました。とてもいい感じです。

表層で起きている二極性を受容するハートの本質が引き寄せる豊かさや、気づきの拡がりが感謝を生みそのことで生に新たな扉が開くシンクロニシティという体験について三日間濃厚に教えていただきました。



複雑な時代となった今、幸せを求める人々のためにたくさんのHOW TO本が出されていますが、この「悟りのシンクロニシティ」は一時的、表面的、気休め的な幸せではなく、真の幸福は何なのかというメッセージ及びそのための具体的なエクササイズがとてもわかりやすく書かれています。
是非、読んでいただきたいと思います。

また著者であるプラサード、アルヴィナによる様々なセミナーも用意されていますので、ご興味のある方は是非参加されるといいかなと思います。

ハートの詩神


モーガン・フィッシャーのニューアルバム『Heartmuse』 http://amzn.to/1gUppBS

このニューアルバムに関わっている友人からのお知らせです。

世界的に有名なキーボード奏者、モーガン・フィッシャーのニューアルバム『Heartmuse(ハートの詩神)~ハートを開くための音楽~』が、4月9日(水)にリリースされます。

これを記念して、銀座のベジタブルカフェレストラン「アインソフ・ギンザ」を会場に、発売記念のミニ・ライブとパーティが開催されることになりました。

モーガンの奏でる瞑想のための音楽と、モーガン自身が手掛けたライトペインティングの映像で、ゆっくりと自分自身と向き合い、ハートを開く時間をお楽しみください。

そのあとは、美味しくて体にやさしいお料理と飲み放題のドリンクで、リラックスした時間をモーガンとともにお過ごしください。


モーガン・フィッシャー『Heartmuse』発売記念イベント
■開催日時:2014年4月11日(金)19:00~
■会場:AIN SOPH.GINZA http://ain-soph.jp/ 
    東京都中央区銀座4-12-1
    地下鉄日比谷線 東銀座駅 3番出口 徒歩3分
    地下鉄 銀座駅 徒歩5分



2013年春に刊行された書籍『悟りのシンクロニシティ』(ヒカルランド刊)に付随された「ハート瞑想ガイド」のCDより楽曲のみを取り出し再構成。モット・ザ・フープルで活躍した世界的キーボード奏者モーガン・フィッシャーの作・演奏で、深い精神の旅へと誘う。リラックス時のBGMはもちろん、瞑想を気軽に楽しみたい人に最適な一枚。

去年の11月に東京で私が受講したのが、この『悟りのシンクロニシティ』の講座でした。この本に付いている瞑想CDのBGMがモーガン・フィッシャーでした。講座でもこの音楽が使われていました。

そして今年の3月11日、講座の講師であったプラサードとアルヴィナによる瞑想リードと、モーガンの生演奏という贅沢すぎるイベントが代官山で開催され、ちょうど東京に用事があった桂子はそれに参加することができました。桂子は、あまりに素敵なイベントだったと言いました。モーガンにお礼を言ったらハグをしてもらえたそうです、
http://unityinstitute.jp/heartmuse.html


モーガン・フィッシャー

巨樹巡礼



今朝青空がきれいで、たぶん今年一番の暖かさだったと思います。思い立って、ちょっと巨樹巡礼してきました。これは阿蘇市(旧波野村)の牛神社の巨樹。樹齢も樹種もわかりません。けれどこのあたり驚くほど静か。物理的な静けさとも違う“沈黙”がこの神域の空気になっていました。



熊本県阿蘇市(旧波野村)は私たちが住んでいます大分県竹田市に隣接しています。ここも旧波野村の“チチの木”。イチョウです。イチョウは“乳”にまつわる伝説が多い。乳房をイメージさせるコブが樹にできるからだと思います。

“イチョウの霊力のおかげで母乳がでるようになった”みたいな伝承は、ふつうは迷信と思われていますが、ひょっとしたら事実であった可能性を少しは認めておきたいと思います。ありえないことが起こるのが自然界です。政府も電力会社も“ありえないことが起こった”と言っています。想定できないことが起こるということは政府だって認めているわけですから・・・



竹田市(旧荻町)の荻神社のイチョウ。
樹齢400年だそうです。
今日回ったなかではこの樹が最高齢でした。
御神木として、ボケるどころか今なお成長を続けている。



竹田市宮城の“墓守桜”。
古代このエリアに百済僧・豊国法師が創建した慶雲寺があって、800人の修行僧がいて7つの宿坊があったという。

追伸:深夜の地震

今回の地震、母にとって衝撃だったようです。母は馬小屋を壊して建て直した離れ屋に住んでいます。分厚いコンクリートをはったうえに固定された平屋なので、震度4でもシャープな揺れだったかも知れません。

先月ぐらいからブログを書くのもおっくうになってきて、とうとうブログも終了かなとみていました。

これまでは「もうやめようかな」と言うことがあっても、そう言わず「続けたら」と励ましてきたんですが、知的能力が低下してきていることもわかるので、本人が続けたくないのであれば、無理してやることはないと判断しました。

そう思っていたら、最近やっぱりブログをやりたいと言う。

前はていねいに教えると、すぐにやり方が思い出せた。ところが今は、ちょっとやらなくなると、デジカメの扱い、バッテリーの扱い、メモリの扱いやパソコンの根本的な扱い方がわからなくなってしまい、それを一から教えるのが大変・・・

すると今朝、母は地震で倒れたコケシの写真を添付したメールと文章を私宛に送ることができました(いつもそういうやりかたで私がブログのシステムに載せています)。

コケシの写真のピントはぼけていないし、小文は文字の間違いもありませんでした。

2012年11月2日に、デジタルカメラを盗られたと母が騒いだことがそもそものきっかけでした。あの直後しばらくは顔の感じ、表情も、声も、しゃべり方もヘンでした。ブログ書くどころか、銀行で自分の名前を書くのも、ぎくしゃくした感じでした。

そんな母が今日は久々にちゃんとしたブログを書くことができました。地震に“喝”を入れられたのでしょう。この7月で85歳になります。若いときから「私は早死にするんだ」というネガティヴシンキングの持ち主だったのにここまで長生きし、自分でデジカメ撮ってブログまで書いています。
http://blog.goo.ne.jp/keigetsu06/e/63dc5693b9d9a5deacda722dfcc49ee3

深夜に地震


(c)tenki.jp

2014年3月14日午前2時6分、伊予灘を震源地とする規模の大きな地震がありました。最大震度5強(広島県安芸高田市、広島県呉市など)。

ここ竹田は震度4。エンジェルファームは築146年の古民家で、基礎は石の上に置かれているだけで固定されていません。それゆえでしょう、いつも地震と一緒に建物が大きくゆら~っと揺れます。一度、昼間に家が揺れる様子を外から見たことがあります。ものすごく傾くので倒れないかと心配しましたが、大丈夫でした。こうして146年間、地震や台風に耐えてきたのでした。大自然から学んできた日本の伝統技術の素晴らしさを想います。

今回もぐらっとはきましたが悪い感じは受けませんでした。今朝見ると、アロマの製油のビンも含めて何も倒れてはいませんでした。



震源地は、山口県に建設中の上関原発や愛媛県の伊予原発に近いエリアでした。驚くべきことに伊方原発は中央構造線のうえに建っています。何でわざわざ活断層のうえに原発を作ったのでしょうか? 





ポイントAが伊方原発です。もしフクシマのような事故が起きたら、別府、由布院、国東は観光業終わりでしょうね。農業も漁業もはかりしれないダメージを受け、人や生き物への遺伝子レベルの健康被害が起きる可能性があります・・・つまりフクシマで起きていることがここでも起きるわけです。



ちょうど昨日3月13日原子力規制委員会は、原発再稼働に向けて鹿児島県の川内(せんだい)原発を優先審査することを決めました。私はミヒャエル・エンデ著「モモ」にでてくる灰色の服を着た人々を思いだしました。

カラフルな自由な服を着て、冗談を言ったり笑ったり楽しんだりできるもっと若い人々や女性たちが、この国の未来を決めるこういう極めて重大な会議に参加できるようになるべきだと思います。



そうそう先週の3月8日、山口市で上関原発反対の集会に8000人もの人々が参加したそうです。

原発反対集会があり、3.11の原発事故3周年のふしめがあり、昨日再稼働への動きがあり、そういうタイミングで深夜の大地震がありました。

佐川官兵衛討死之地



熊本に用事があって帰りにこんなところに寄りました。
日本一の桜の里として一大村おこし事業を進めている南阿蘇村。
丘陵のうえに京都大学火山研究所の白い建物があります。



研究所の右上に月。
何十年か先には、広大な桜の名所になることでしょう。







1万2千本もの桜の苗木が植えられた未来の桜の名所に隣接して会津藩の旗印が・・・



豊後口警視隊指揮長として西南戦争を戦った旧会津藩家老・佐川官兵衛、討死の地の碑。明治10年、阿蘇黒川口(黒川温泉とは関係ありません)で銃弾を浴びて戦死。

黒船来航から明治維新、西南戦争、そして急激な欧化・近代化政策。それから日清戦争、日露戦争、韓国併合、関東大震災、世界大恐慌、満州事変、満州国設立、日中戦争、太平洋戦争、東京大空襲、ヒロシマ・ナガサキに原子爆弾投下、敗戦となっていきます。

そしてそれから日本全国焼け野原からの復興、そして奇蹟の高度経済成長を成し遂げていくプロセスで原子力発電が導入されていき、2011.3.11の大地震・津波によるフクシマ原発事故につながっていきます。

あれから3年もたって、今だにフクシマの原発施設をコントロールできない。放射能汚染問題もあって、フクシマの復興は太平洋戦争のときのようにはことが進みません。故郷に戻れない、復興できないという問題があります。

これは私たちにとって他人事ではありません。各地の原子力発電所を再開したら、フクシマと同じことが起こる可能性があります。電力会社も政府もそんなことは「絶対に起きない」と言い続けてきたんですが、やっぱり事故は起きました。起きてみると「想定外」だと言い訳します。

「想定外」だったのは電力会社と政府だけであって、多くの専門家が事故を想定して、くりかえし警告してきたのに耳をかそうとしなかっただけです。

明治維新からフクシマの原発事故に至るプロセスは、江戸時代末期の嘉永6年(1853年)の黒船来航から始まりました。でも考えてみると、黒船来航で大騒ぎしなければならない状況は徳川家光の鎖国政策がつくったとも言えます。では家光がなぜ鎖国しなくてはならなかったのか、それは当時の世界情勢(欧州のキリスト教と鉄砲による侵略)や豊臣秀吉の朝鮮出兵の大失敗なども背景にあったでしょう。

ではなぜそういう事態が起きたかを考えると、その前の時代のプロセスが浮上してきます。それはまたその前の時代のプロセス故に生じたプロセスでした。それをさかのぼっていくと、弥生時代、縄文時代、旧石器時代に至り、原人、猿人それ以前の哺乳類、脊椎動物、あるいはもっと前、先カンブリア期の原始海で生じた単細胞生物の意識から考えていかなくてはならないかも知れません。

つまり3.11は結局、そもそも私たちとは何者なのか、宇宙とは何か、存在とは何かということに行き着きます。そこから問わなくては何度でも3.11を繰り返すことになると思います。

ブログ8周年



このブログ「今日のエンジェルファーム」を始めたのは2006年3月7日。今日はちょうど8周年になります。

当時76歳であった母が関西からここ竹田に移転したのも2006月3月28日。母ももうじき8周年。

そんなタイミングで昨日から母をともなって熊本県山鹿(やまが)市の平山温泉郷にある「湯山別荘たいち」というところに一泊してきました。山鹿温泉は「ならのさこ温泉」をはじめいくつか訪ね、泉質が良いのでファンになっていますが、平山温泉郷は最近知ったばかり。

アルカリ性単純硫黄泉という泉名で、トロトロスベスベとかヌルヌルという表現がおおげさではありません。桂子はこの湯のエステ効果に感動し絶賛します。



「湯山別荘たいち」は全室自宅感覚の離れ家になっており、露天風呂と内湯がついていて、入りたいときにいつでも気楽に入ることができます。とくにここの湯は、ゼリー状の半透明な温泉成分がプカプカ浮いており独特です。こんな湯、見たことがありません。肌への効果という点では、確かに桂子のいうようにずば抜けていると思います。



内湯です。



食事は薄味で、見た目も美しく食べ飽きせずたいへん美味しかった。ちょっと量が多いかなと思ったら84歳の母も完食。お風呂と食事に大満足しました。



離れ家の居間から見る景色。まわりが田んぼに囲まれていて、エンジェルファームとよく似た環境です。

太陽崇拝の思想



アマテラス大御神のおふだ。
集落の神社から二年に一度頂けます。頂いたいたことを忘れて放置していたおふだを最近見つけました。しかるべき場所に移そうと手にとってみて、思いがけず強いバイブレーションを感じて驚きました。

これまで樹齢何100年の大樹、樹齢1000年の御神木にふれて、その気、エナジーを実感してきましたが、こういうおふだが強いエナジーを持っているとは思っていませんでした。まあ印刷物といえば印刷物ですから。

スキャナーでパソコンに取り込んで、グラフィックソフトで画像加工する作業のあいだじゅう、非常に強いエナジーにうたれ、顔がほてり、全身が独特な波動につつまれました。不思議なことです。あんまり強くて作業を放棄したいと思ったほどです。ブログが書けないのでとりあえずおふだは遠くに置きました。

このプロセスで書きたいと思っていたことが飛んでいってしまいました。
そうそう、元京都芸術大学学長、哲学者の梅原猛先生の太陽論について触れたいと思ったのでした。梅原先生と、京セラ、第二電電の創業者にしてJALの再建にも取り組んだ日本を代表する経済人・稲盛和夫氏との対話篇「近代文明はなぜ限界なのか」です。







エジプト文明が三千年続いた理由---梅原

人類が危機から脱出するには、現代文明を根本から変えていかなければなりません。それには近代文明を批判するだけではダメで、「人類とは何か」「人類はどんな文明をつくつてきたか」といった根本原理に遡る必要があると思います。

古代エジプト文明は三千年にわたり、古王国、中王国、新王国と盛衰を繰り返しつつも繁栄を続けてきました。アレクサンダー大王(古代マケドニア王国のテメノス朝の国王。在位紀元前三三六~紀元前三二三年)に揉潤されても何とか生き延びましたが、ローマに征服されてついに滅んだのです(紀元前三一年)。

この文明はすばらしい高度な社会を築き上げました。ギリシア文明が繁栄したのは四百年ぐらいですから、それよりはるかに古く、長く続いていた。では、なぜ古代エジプト文明は長く続いたか。その正体を今後私なりに解き明かしていきたいのですが、自然崇拝、とくに太陽崇拝に重要なヒントが隠されているのではないかと考えています。

この太陽崇拝は、かろうじてギリシア文明ではアポロンの神の崇拝というかたちで残ったものの、キリスト教やイスラム教の普及で失われ、近代文明に至っては完全に人間中心になります。これをもう一度、「自然に帰れ」「太陽に帰れ」と訴える必要があると思います。

つまり、人類を救う新しい哲学を考えたとき、まず提案したいのが「太陽崇拝の思想」の復活です。



自然に対する畏敬の念を忘れた人類---稲盛

たしかに、エジプト文明をはじめ、古代の人類はみな太陽信仰みたいなものを持っていた。それはとりもなおさず自然に対する畏敬の念であり、人類は自然の恩恵があって初めて生きていけるという明確な思想を持っていた。

ところが近代になって、人間はあふれるような好奇心をもとに英知を活かし、科学技術を進歩させてきました。その近代文明の発展は、自然でなく人間主体で、自然とは人間がその英知のままに、思いのままに利用するものと捉えられてきました。そのために自然を破壊し、変えていくのも厭わない。そうやって高度な科学技術に支えられた近代文明をつくりあげてきたのです。
 
人類にとってすばらしく住みやすい社会をつくり、やがては人類のユートピアができるのではないかと思えるほど、科学技術を進展させていきました。マクロでは宇宙空間まで飛び出せるようになり、ミクロではナノの世界に足を踏み入れ、あるいは生物のDNAまで操作できるようになった。

ところがその結果、「われわれはどんなこともできる」「科学技術を次から次へと発展させていけば、できないものはない」といった、人類の倣慢さを生むことになりました。

たしかに人類は立派な科学技術を育んできましたが、それが倣慢を生み、いま人類の暴走はますます加速度が増している。古代に帰れとはいいませんが、やはり太陽の恵みに感謝し、太陽というものに敬虔な信仰心を持っていた古代エジプト人たちのような思想に回帰する。つまり、倣慢になった人類が、あらためて自然に対し、畏敬の念を持って接する。そういう哲学に立ち返る必要があるように思います。



太陽崇拝こそ人類の文明の原点である---梅原

私が太陽崇拝の重要性を考えだしたきっかけは、稲盛さんご夫妻たちと一緒にエジプトへ旅をしたことです。この旅行はエジプト考古学者の吉村作治さんの案内で行ったものですが、じつをいうと最初はあまり気が進みませんでした。去年、春には前立腺癌の放射線治療を行ない、秋には蓄膿症の手術をしたので、肉体的に少し弱っていたからです。

ところが、惑星科学者の松井孝典さんが、「ぜひ行ったほうがいい。エジプト行きは、梅原さんの哲学にたいへん有益な刺激を与えるはずだから」というのです。私もそう思いましたし、稲盛さんも参加すると聞きまして、「これは行かねばならない」と参加することにしたのです。

実際、松井さんの予言どおり、私にとってじつに収穫豊かな旅となりました。その成果を吉村さんとの対話のかたちでまとめたのが、『「太陽の哲学」を求めて』(PHP研究所)です。

もっとも、往きはかなりヨタヨタしていたんです。乗り継ぎのドバイ空港では、車椅子に乗せられて移動していました。ところが、帰りになると、スタスタと先頭に立って歩けるようになった (笑)。皆さんも驚かれたようですが、私も驚いた。

それはなぜか。一つには、砂漠のなかを歩くことがリハビリになった点がありますが、もう一つは、エジプトのラーという太陽神の霊感というかエネルギーを体全体に受け取り、元気になったと思うのです。

太陽を浴びる


(C)Luxt Design

緑豊かな大地の上で青空に浮かぶ太陽を浴びる・・・
それはたいへん幸せなことだと思います。

梅の花の香りを含んだ澄んだ空気を深呼吸できる、ウグイスやメジロやシジュウカラの鳴き声を身近に聞くことができる、湧き水を普段の飲み水とすることができる、四季の変化を楽しみながら散歩できる・・・かつての時代はそういうことが普通であったのでしょうが、今となってはたいへん貴重な幸せなことだと思います。しかもこの地方は良質な温泉にも恵まれます。

母にもそれを楽しんでもらいたいと思って2006年にこちらに招いたのですが、たぶん2010年夏ぐらいから、しきりに太陽光線のことを気にするようになりました。自分が浴びないだけではなく、私にも浴びるな、帽子をかぶれと注意する。

私もインドで強い日焼けをして一時ひどい老化肌になった経験や、この地方に来てからも夏に肌を焼きすぎて部分的に肌を痛めた経験もあって、けっして無茶な日光浴はしません。

母が太陽光に過剰に反応するようになった根拠はテレビの報道でした。
テレビを信じきっている母を説得するには、別の権威を持ってくるしかないと思って、下の本ともう一冊の本をネットで探しだして、その二冊を読むように母に勧めました。



母は昭和4年生まれ。
この著者である宇都宮光明先生は昭和10年生まれ。
母より6歳年下とはいえ、ほぼ同世代の智恵ある老医師の言われることに耳を傾けて欲しいと思ったんです。



残念ながら母は二冊を読まなかったようですが、以後私に日を浴びるなと主張することはなくなりました。

でも母自身は太陽を避け続け、当然のように睡眠障害や鬱的傾向が進行していたようです。眠れないことや鬱的気分について何も言わないので、母はしっかりしていると思っていました。事実、表面的にはしっかりしていました。最近まで自分でデジタルカメラとパソコンをあやつり、プリンターで絵葉書をつくり、ブログまでやれたのだから。

以下、宇都宮光明先生の著書の序文をご紹介させていただきます。
2010年10月16日発行。当時先生は75歳。

2010年の夏は史上稀にみる酷暑となりました。
熱中症で倒れる方は後を絶たず、不幸にも亡くなってしまった方もおられました。そんなこともあって「太陽は怖い」「外に出ないで快適な室内で暮らしたい」という傾向がますます強まってきたような気がします。

実はこういった動きはここ十数年、急速に広まってきています。
太陽光線、主に紫外線が体に悪いという風評が立ち、紫外線を遮断することが健康にいい、という間違った考え方がいつのまにか「常識」として幅を利かせるようになってしまいました。
私は「その考えは間違っている」と憤りを感じていましたが、今さら声を荒げたところで社会の趨勢は変わらないだろう、とどこかであきらめていました。新聞・雑誌・テレビがこぞって「紫外線は体に悪い」と主張しているようなものですから、私のような人間がひとりで反抗したところで、もはや大きな流れを変えることはできないだろう、と。

しかし、あるニュースを聞いて「このまま放置しておくわけにはいかない」と思い、この本を書かせていただくことになりました。
そのニュースとは、一部の保育園や幼稚園で子供たちを日光から完全に遮断する方針を取り入れているところがある、というものです。どうやら親からの申し入れで、「絶対に紫外線に当てないでください」という意見が多くなったため、基本的には朝から夕方まで子供たちを建物から一歩も出さないことにした、というのです。

これなら安心して預けられる、という親御さんたちの話も聞いて愕然としました。育ち盛りの子供たちを散歩も運動もさせずに、ずっと室内に閉じこめておくなんて、今までだったら考えられない話です。体育館のようなところで運動やお遊戯をさせるのかもしれませんが、それでは十分とは言えません。

太陽の光をたっぷり浴びながら運動することで、初めて骨が丈夫になり、筋肉が鍛えられるのです。間違いなく子供たちの体は太陽光線を欲しているのに、それを遮断するとは信じられません。


昭和という時代に生まれ育った人たちならば、誰もが子供の頃は日がどっぷりと暮れるまで、公園や原っぱで遊んだ経験があると思います。太陽を浴びる、日焼けをするというのは健康のバロメーターであり、大人もそれを咎めることはしませんでした。なぜならば自分の経験則などで「太陽光線を浴びることは体にいい」ということを知っていたからにほかなりません。

医学的なことはわからなくても、そうすることで健康に成長してこられたのですから、当然、子供たちにもそれを継承させます。ところが平成生まれの若者たちが親になる時代がやってきました。彼らは物心ついた頃から「紫外線は体によくない」という話を耳にしてきました。その結果、太陽光を完全に遮断することを売りにする保育園や幼稚園をわざわざ探してまでして子供を預けているのです。

そうやって育った子供がいずれ親になったら、どういう教育をするのか……想像しただけでゾツとします。そんな時代がやってきてしまう前に、ここで一度しっかりと書物にして「太陽を浴びることの大切さ」を伝えていかないと、いずれ取り返しのつかないことになる。そう思い、私はペンを執りました。

どうして太陽を浴びると健康になれるのか?
逆に太陽を浴びないとどうなってしまうのか?
そういったことをこの本の中で、ひとつひとつ例を挙げて解説しています。そこには今すぐに健康な生活を送るためのヒントがたくさん詰まっているだけではなく、いわゆる「現代病」というものが、人間の健康を脅かすことになってしまったということもわかります。

紫外線が怖いと思いこんでいる方はもちろん、太陽光線を浴びることは体にいいとわかっている方にもぜひ読んでいただき、あらためて無償で万人に健康をもたらしてくれる「太陽の恵み」の素晴らしさをご理解いただければ幸いです。