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徳冨蘆花夫妻之墓2



4月22日に訪ねた世田谷区蘆花恒春園。
83歳の母も一緒の旅行だったので駆け足でした。
受付に到着すると閉館時間が間近で、急いでくださいと言われ、資料館は何とか見ることができたものの、建物の内部に入ることはできませんでした。



平成の世になってもなお大きな公園として地域の自然環境を守っているこの恒春園、もよりの駅は京王線芦花公園駅です。先日のブログでも書きましたが、東京出身の桂子が最後に住んでいたのが、京王線桜上水駅の近くでした。そこを離れて大分県の内陸にiターンし12年以上の時が流れました。桜上水に住んでいたときにはその存在すらも知らなかった蘆花恒春園。大分県に住んだ今になってはるばる訪ねるとは、何と不思議なめぐりあわせでしょう。



京王線芦花公園駅です。



同じく京王線芦花公園駅です。
徳冨蘆花が東京から移り住んだときには、たいへんな田舎だった。
千歳村といったそうです。



千歳通りという名前に名残を残しているようです。



徳冨蘆花・・・彼のことはNHK大河ドラマがきっかけで興味を待ちました。八重が再婚した新島襄が創立した京都・同志社大学で学んだ。在学中、八重の兄の山本覚馬と若い後妻の間に生まれた娘・山本久栄に恋心をいだいて手痛い失恋を経験したようです。

4月末の旅行に帰ってから徳冨蘆花の著書『みみずのわわごと』『自然と人生』『巡礼紀行』を取り寄せました。私たちのようなiターン田舎暮らし派の大先輩であることがわかりました。

この大先輩は明治39(1906)年4月から8月まで、聖地パレスチナ巡礼とロシアの文豪トルストイに会いに行く旅を敢行しました。その旅の体験・思索の帰結が、千歳村での“半農”の暮らしでした。亡くなるまでの20年、蘆花は半農半著述の生活をしました。私もまたインド・ネパール・タイへの旅の帰結としてここ豊後竹田に導かれ、農から学び、農から歓びを得る半農のライフスタイルを続けてきました。次は彼の出身地である熊本を訪ねてみます。