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自然の日記



東京生まれ、東京育ちで、東京で仕事をしてきた桂子が、最後に住んでいたのが京王線・桜上水駅近くでした。

徳冨蘆花が半農の生活をした蘆花恒春園は、たぶん歩いて20分ぐらいだったでしょう。
それが先月の旅では下記のようなりました。

エンジェルファーム(大分県竹田市)出発・朝7時→阿蘇熊本空港→東京羽田空港→新宿で食事→京王線芦花公園駅→恒春園到着午後4時前。車と飛行機とバスと電車を利用して、一日がかりで恒春園にたどり着く。

明治40年徳冨蘆花が、「東京を西に去ること3里(12キロ)」の地にiターン田舎暮らしを始めた。当時はそのあたり、ものすごい田舎だったんです。その様子を蘆花は『自然と人生』や『みみずのたわごと』で著述しています。

徳冨蘆花の『謀反論』という文章で、豪徳寺(ごうとくじ)に井伊直弼の墓があることを知りました。井伊大老によって処刑された吉田松陰を祀った松陰神社は直弼の墓に隣接する位置にあるんですね。

蘆花の『自然と人生』の解説文のなかに、こんな話しがありました。

自然の日記を書いてみたら面白いだろう

そのように国木田独歩が勧めたというのです。
兄の徳富蘇峰に相談するとすぐ賛成し、早くまとめるようにと励ましたという。

地図に戻ります。
国木田独歩と柳田国男は深い交流があったそうです。また柳田国男は、徳富蘆花の田舎暮らしに書いています。彼は世田谷区成城に住んだ時代があります。

かつて桂子が暮らしたエリアに徳富蘆花・愛子・蘇峰、国木田独歩、柳田国男、井伊直弼、吉田松陰の“ゆかり”または“赤い糸”がありました。