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上野の西郷隆盛像



先週の21日、上野の国立西洋美術館まえのロダンの考える人を撮った、ふと思い立って同じ上野の森にある西郷隆盛像を見て帰ることにしました。日没寸前の森のなかを少し歩くと彼の後ろ姿が見えてきました。この時代、彼の前にはヨドバシカメラの建物が立ちふさがり、彼の視線を遮断しています。



この像、高村光雲作。
智恵子抄などの詩作で知られる詩人・彫刻家の高村光太郎のお父さんです。このお父さん、一昨日話題にしました朝倉文夫に意地悪したようです。新進気鋭の若手作家である朝倉が出品していた文展では、続けて二等以上をとるとヨーロッパ留学のチャンスが与えられるという時代でした。ところが朝倉は二等をとった翌年は三等、その翌年は二等というふうに二等を続けてとることができなかった。高村光雲等の老審査員たちに阻まれたようなことが、朝倉彫塑館で入手したカタログのなかに解説されていました。

息子・高村光太郎は朝倉文夫と同じ年の生まれ。彼はアメリカやヨーロッパに自費留学しますが、父に対してことあるごとに反抗。朝倉文夫は、それほど私をヨーロッパにやるのがいやなら自分は勝手に行きたいところに行こうと・・・自費で南洋へ行った。

ヨーロッパにように古代からの作品があるれているところを故意にさけて自然だけしかない南洋を選んだのである。あるいは意地の悪い先輩や審査員に対するレジスタンスがあったかもしれない。朝倉文夫「私の履歴書」



明治維新のとき上野戦争を戦った西郷隆盛が軍服姿でなく、愛犬連れのこういう呑気な姿で造形されたのは意味があるのでしょう。



背景のイチョウの樹は上野戦争でこのあたりが焦土となったあとに植樹されたものでしょうか。
官軍として上野戦争を戦った西郷は明治10年、賊軍として西南戦争を戦い敗北します。その後、1923年(大正12)関東大震災が起こり東京は大きなダメージを受けました。それから太平洋戦争の末期、東京大空襲でこの街は焦土と化します。が、敗戦後、奇跡的な高度成長を成し遂げ復興。それから一見非常に豊かなバブルの時代があり、バブルがはじけたあと経済は低迷。それでも世界トップクラスの豊かな国であることには間違いないんでしょうが幸福度が低く、明るい未来が見えてこない現状があります。

これが西郷どんが夢見た日本だったかどうかはわかりませんが、今も彼は愛犬を連れてこの国の変遷を見ています。命がけで自分がやった明治維新の行く末を・・・

ロダンの考える人



先週21日、日暮里の朝倉彫塑館を訪ねたあと
上野の国立西洋美術館に向かいました。
目当てはロダンの考える人でした。



ロダンの考える人と京都の広隆寺弥勒半跏思惟像を対比して見ることは、高校3年のときからの課題です。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/8bd921208a4f32e11c9b78db949a8999
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/e3841f030bb9210d6af18864b795ccad
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/f4abad71265d1f26b13dbfd373f12976

翌22日から24日までの講座のまえに見ておきたいと思いました。



逞しい筋肉の強烈な存在感が、「考える人」の思考の強靱さを表現していると思います。長時間集中して粘り強くひとつのことを考え抜いている姿と思われます。



けれどあまりいい姿勢とはいえません。前屈姿勢のせいで胸が圧迫され、長時間思考に集中しすぎたせいで、きっと呼吸が浅くなっているでしょう。肩もこっているに違いありません。よく見ると顔がゆがんでいます。この姿勢まねしてみると、長く続けるのは苦痛です。明るいことは考えられない、何かネガティブな結論に至ってしまいそうです。



この「考える人」、もともとはこの「地獄門」の一部として作られました。国立西洋美術館の右手に設置されている巨大な彫刻作品の一部です。



「地獄門」のなかの「考える人」。ロダンはこれを独立させ、最初は「詩人」という題名で発表したようです。



さて広隆寺弥勒半跏思惟像です。
この弥勒菩薩には筋肉がありません。
弥勒の思惟は非筋肉的・非肉体的です。
顔はゆがんでいません。
静かに優雅にほほえんでいるように見えます。



思考の表現ではありません。思考の表現としては、ロダンの考える人は非常に優れていると思います。
ではこの姿は何かというと、思考とは別の意識“瞑想”ですね。

それにしても・・・
ロダンの考える人は1902年に制作されました。広隆寺弥勒半跏思惟像は600年代、つまり7世紀の作といわれています。

広隆寺弥勒半跏思惟像が大昔の愚かな未開の人間が作った作品であり、ロダンの考える人は現代の進化した人間が作った作品である・・・というようなことは言えません。

思考とは異なる“瞑想”という意識を体験していないと広隆寺弥勒半跏思惟像を制作することは難しいと思います。体験していなのに、想像だけで作ったとしても、それはそれで驚くべきことであると思います。どうして想像できたのだろうと思います。そしてこんな高度な彫刻作品が紀元7世紀に生まれたということを、どう解釈したらいいのでしょう。

けれど歴史的人物としてのゴータマ・ブッダは紀元前5世紀に生きた人でした。ガンダーラで優れた仏像が作られ始めたのが紀元1世紀。極東で7世紀にこのような優れた仏像が生まれたとしても不思議ではありません。飛行機とか自動車の世界には進歩史観が当てはまるけれど、人間の意識の世界に当てはめようとすると無理があるわけです。

朝倉彫塑館



東京都台東区谷中というところにあります。
彫刻家・朝倉文夫(1883~1964)のアトリエ兼住居兼教室でした。想像していたより大きな建物で、想像していたよりユニークで、想像していたより来館者が多かった。さすが東京だと思いました。平日なのに次から次から来館者がありました。

大分県豊後大野市朝地町の16ヘクタールの広大な大自然のなかに清家清が設計した朝倉文夫記念館があり、先月訪ねたとき来館者は私を含めて3人ほどしかなかった・・・。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/ed8e42d5d8dcfef3c4e320f119d4ca53

JR山手線の日暮里駅から歩いて十数分という便利さとはいえ朝倉彫塑館も訪ねるひとは少ないだろうと思ったんですが、大きな間違いでした。



↑↓朝倉彫塑館入り口付近の街の雰囲気です。





↑↓玄関脇の大木の根本に、若き日の作品「雲」が設置されています。





同じく玄関脇に、ここ豊後竹田の文化会館(去年の豪雨で被害を受けて今は閉鎖)の前に立っているものと同じ「生誕」がありました。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/7a7546a8645a87d0a3491c3e7e459446
館内は撮影できないのでカメラはここまで。



ここは朝倉彫塑館の屋上。
大きな樹はオリーブでした・・・団体の来館者が学芸員の説明を受けているのを聞きました。





朝倉文夫は、この屋上で野菜を栽培していたそうです。
“自然”を学ぶために。





この屋上から、初めてスカイツリーの実物を見ました。



朝倉彫塑館のごくごく近く、同じ町内会みたいなところに、こんな下町風の路地があって、飲み屋さんもありました。



日暮里の初音小路、ネットで検索すると、心惹かれるいろんな記事が出てきました。夜はいい雰囲気になるようです。

富士山



ブログ、ご無沙汰していました。
先週、東京の代官山で行われた三日間の講座に参加するために11月21日、阿蘇熊本空港から離陸しました。写真は私が乗った飛行機。



阿蘇熊本空港。エンジェルファームから車で1時間30分です。
ライト兄弟が単純な飛行機を飛ばすことに成功したのが1903年。わずか110年の間にコンピュータ制御の高度な飛行機があたりまえの交通手段になっています。この進化の速度はものすごい! 飛行機はめざましい進化をとげたのに、なぜ人間の内面は進化しないのでしょうか・・・



私の座席から富士山が見えました。
明日も東京(11月21日から25日)への旅を書いてみます。

ハート瞑想



ラハシャ博士のガイドによる「ハート瞑想」のCDです。

ラハシャ博士の愛に溢れたソフトな声は、
ハートのスペースへとやさしく誘ってくれます。
その静寂さにくつろぐ体験そのものがハートのヒーリングとなり
私達の変容のプロセスを強力にサポートするフィーリングがあります。

“YES”から始まるハート瞑想ですが、自分に対しても他者に対しても
~すべき、~であるべきに執着するパターンに光をあて
“今あること”を思い出させてくれます。

それは私達を緊張から解放し、自由にさせてくれる美しい体験です。
香山桂子