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宝の山よ



会津若松の旅では始終、雪の残る磐梯山の勇姿が見え、心惹かれました。もともとは「いわはしやま」といい、“天に掛かる岩の梯子”を意味するそうです。天と地をつなぐ神聖な場所とみなされ信仰の対象となってきたわけです。

会津磐梯山は宝の山よ

けれどみんなが知っているこの民謡でいう“宝”とは、鉄や金のことだそうです。そういうお宝を採掘した歴史があるんですね。
エンジェルファームに帰ってきてから、私たちは菜園や庭、裏山の野草をしきりに採取しています。写真は、採取したヨモギやスギナを洗う桂子の手。

畑も庭も裏山も宝の山よ

種をまいて、まびいたり、水をやったり支柱を立てたりして育てる野菜以外に、何の世話もしないのに勝手に生えてくる野草(雑草)。邪魔だから根絶しようと持っても根絶できない、いやらしいほど強くて逞しい生命・・・実は彼らこそ“お宝”でした。



直径1mぐらいの大きなザルに干したヨモギ、スギナ、カキドオシ・・・。
他にもドクダミ、セリ、ミツバ、タンポポ、ナズナ、ハッカ等、手当たり次第刈っては干していきます。今年はそれらの酵素ジュースにも挑戦しています。

自然の野や山は自然が人間に用意してくれているくすり箱

最近読み直している高橋貞夫著『趣味の薬草』の言葉です。つまり自然の野山は“宝の山”だということです。

徳冨蘆花夫妻之墓2



4月22日に訪ねた世田谷区蘆花恒春園。
83歳の母も一緒の旅行だったので駆け足でした。
受付に到着すると閉館時間が間近で、急いでくださいと言われ、資料館は何とか見ることができたものの、建物の内部に入ることはできませんでした。



平成の世になってもなお大きな公園として地域の自然環境を守っているこの恒春園、もよりの駅は京王線芦花公園駅です。先日のブログでも書きましたが、東京出身の桂子が最後に住んでいたのが、京王線桜上水駅の近くでした。そこを離れて大分県の内陸にiターンし12年以上の時が流れました。桜上水に住んでいたときにはその存在すらも知らなかった蘆花恒春園。大分県に住んだ今になってはるばる訪ねるとは、何と不思議なめぐりあわせでしょう。



京王線芦花公園駅です。



同じく京王線芦花公園駅です。
徳冨蘆花が東京から移り住んだときには、たいへんな田舎だった。
千歳村といったそうです。



千歳通りという名前に名残を残しているようです。



徳冨蘆花・・・彼のことはNHK大河ドラマがきっかけで興味を待ちました。八重が再婚した新島襄が創立した京都・同志社大学で学んだ。在学中、八重の兄の山本覚馬と若い後妻の間に生まれた娘・山本久栄に恋心をいだいて手痛い失恋を経験したようです。

4月末の旅行に帰ってから徳冨蘆花の著書『みみずのわわごと』『自然と人生』『巡礼紀行』を取り寄せました。私たちのようなiターン田舎暮らし派の大先輩であることがわかりました。

この大先輩は明治39(1906)年4月から8月まで、聖地パレスチナ巡礼とロシアの文豪トルストイに会いに行く旅を敢行しました。その旅の体験・思索の帰結が、千歳村での“半農”の暮らしでした。亡くなるまでの20年、蘆花は半農半著述の生活をしました。私もまたインド・ネパール・タイへの旅の帰結としてここ豊後竹田に導かれ、農から学び、農から歓びを得る半農のライフスタイルを続けてきました。次は彼の出身地である熊本を訪ねてみます。

荒城の月



先月の会津旅行で偶然、満開の桜の下にある土井晩翠(どいばんすい)像にでくわしました。お城の堀を出てすぐのところです。4月23日でした。



先々月、3月30日。ここ豊後竹田の岡城址で瀧廉太郎像を撮りました。竹田出身の彫刻家・朝倉文夫の作です。この時、竹田では桜は満開、というか散りかけているぐらいでした。今年、桜が早かった。

ところが会津では4月23日時点で満開。それも市の中心部であって、一泊した東山温泉では桜は咲き始めでした。

瀧廉太郎はここ竹田の岡城址をイメージして『荒城の月』を作曲したと言う。詩人・土井晩翠は故郷の仙台・青葉城と、会津のお城跡をイメージして作詞したと言います。

春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ

今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐

天上影は 変わらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月


太平洋戦争敗戦の2年後、土井晩翠は瀧廉太郎生誕45年記念に招かれて豊後竹田に来て、リンクのような発言をしています。
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/poem/tsuchiibansui.html

日本ミツバチ到来



満開のカモミールにミツバチが来ない思っていたら、菜園のカツオ菜とワサビ菜の花に日本ミツバチが来ていました。日本に自生しないハーブだからカモミールには来ないのでしょうか? 



もう菜の花は刈り取って、何かの種をまくか苗を植えつけるかしたいと思っていたのですが、ミツバチだけでなく多様な昆虫が集まってくるので、刈るのはもう少し先延ばしするしかないかな・・・



写真では拡大していますが、日本ミツバチの体長は1cm~1cm3mm(働き蜂)と、かなり小さいです。今年から日本ミツバチの「養蜂」をやりたいと思っていました。このぶんならやれそうです。

満開のカモミール



少し前からエンジェルファームのカモミールが満開です。
すると様々な昆虫が集まってきます。
昨日のアオスジアゲハ。



今日のヒメウラジャノメ。



4月27日のモンシロチョウ。



一昨日のカモミール。



4月27日のカモミール。



同じく4月27日のカモミール。
今年はお茶にせず、カモミール酵素をつくりたいと考えています。

4/21~22東京



今回の旅行で一泊した東京のホテルの窓から撮りました。
別の惑星に来たような気分でした。



認知症治療の権威・コウノメソッドの河野先生からは、脳の萎縮が中程度まで進行しており前頭側頭葉変性症と判定されたものの、今回の会津への三泊四日の旅では母は始終しっかりしていました。夜景がきれいだ、昔に比べると高層ビルがきれいになったと言いました。



飛行機、バス、鉄道と乗り継いであの日、徳富蘆花の旧居跡まで訪ねたので疲れ、夕食はレストランに出かけずホテルの部屋でくつろいで、デパートの地下で買った総菜と、そこで勧められた京都の地ビールですませました。京都周山街道ビール、スーパーで市販されているメジャーなビールとは全く違う、酵母が生きた本物のビールでした。母も喜んで飲みました。



泊まったホテルに隣接するビル11時10分。
電気が消えないフロアーが多い。



翌4月22日早朝。
太陽が高層ビルのガラスに反射します。



朝、明るくなってみると新しくなった東京駅を見下ろすことができました。



私たちが泊まったのは、このビルの最上階でした。
曙光が当たっている上部が白っぽく
それより以下が青っぽく写っています。

ニホンカワラトンボ



裏庭でこんなトンボを見つけました。ニホンカワラトンボです。ミョウガの葉にとまっています。清流に生息するこのトンボがなぜ、エンジェルファームの裏庭にいたのかはわかりません。近くの清流から飛んできたきたのでしょうね。東京都23区では絶滅。宮崎県では絶滅危惧IA類、熊本県でも準絶滅危惧種。



一昨日(4月29日)にはエンジェルファームの小池にいたトノサマガエルと再会。桂子が見つけました。大分県でも絶滅危惧Ⅱ種に指定されています。

絶滅危惧種でも生息できるような環境を維持していきたいと構想しています。絶滅危惧種の駆け込み寺みたいなイメージです。そのために前庭にもっと大きい池を作り、ジャングル化しやや暗くなっている裏山の雑木林を整備して、植物相をもっと豊かにしたいと思っています。今日、朝から夕暮れまで裏山の整備に精一杯取り組みました。
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