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酵素シスターズ



東京の友人のクリスマスパーティで、すてきな3名の女性に出逢いました。その仲良しグループの名は「酵素シスターズ!」だそうです。

大分で田舎暮らしている私の話に、興味深く耳を傾けてくれ、また、私は「酵素シスターズ」が何でも酵素にしてしまうことを聞いて感心!! 初対面なのに、とても楽しい時間を過ごすことができました。

こちらに戻ってから、エンジェルファームの無農薬カボスやカリンをお送りしてみました。

カボスはまずは絞って、絞った残りで酵素を作り、またその酵素を作った酵素かすでお菓子を作って、無駄なく使っていただいたそうです。カリンはハチミツやスパイスに浸けたということです。

自然の恵みをこんなに大切に扱って下さり、そのやさしい心と理解が嬉しいです。楽しんでいる様子が浮かびますし、本当に自然が好きな方達なのでしょうね。

このような方々に、エンジェルファームの恵みをどんどん利用して楽しんで欲しいと思います。

来春、お待ちしていますね。
香山桂子



ウグイスをヒーリング2



ウグイスが窓ガラスにあたったのはわかりませんでした。
桂子があわてて外に飛びだすのが見えました。
それを見て私も庭に出ました。

小さなウグイスがパニックになって、あえいでいます。それを桂子が手で包んでレイキヒーリングしていました。寒いので家のなかでヒーリングすることを提案したのですが、桂子はだいじょうぶだと言いました。

口をパクパクさせて苦しげだった様子を見て、これはもうダメかなと思ったんですが、桂子が手で包んでいると意外に早くウグイスは落ちつきました。

そうそう、写真を撮らなくては!と気がついたのはパニックが終わってからです。口をパクパクして過呼吸だったときを撮れたらよかったんですが、そのときはカメラのことを忘れていました。そのまま死んでしまいそうでしたから。

桂子が手で包みレイキヒーリングしているあいだ、ウグイスは全く静かに落ちついていました。野鳥が人間の手のなかでこんなふうに穏やかでいることは考えられません。ありえないことです。

しばらくするとウグイスは元気を回復し、桂子が手を開くとそこから飛び立っていきました。

素晴らしいシーンを目撃しました。

桂子は東京時代にはたくさんの鳥を飼っていたほどの鳥好きなので、鳥の危機的状態を助けるのはあたりまえの感情でした。でもこれは彼女が飼ってきた愛玩用の鳥ではないんです。

こんなふうに野鳥が人間の手のなかで安らいでいる姿に感動しました。素晴らしい!と思って、エンジェルファームHPのトップにしばらくこの写真を飾ることにしました。

インコやカナリヤじゃないんです。野生のウグイスです。
こんな体験をしたかったために自然が豊かなここに移住したのだと思います。移住してよかったとしみじみ思いました。

ウグイスをヒーリング



桂子です。
年賀ハガキの準備中、窓ガラスにドンとあたって落ちた野鳥を発見。
我が家のギャング猫たちに捕らえられる前に、急いで外に出て手で包みました。
恐らくウグイスだと思いますが、ショックからか口をパクパク・・・
過呼吸状態でうずくまって動けません。目もうつろです。



野鳥はすごく繊細なので、少しのショックでも死んでしまうことがあります。
助かるかどうかわからないけど、祈りとともにレイキヒーリングをしました。



朝から横なぶりの雪が降り、それが溶けた直後の地面の上です。
ウグイスの体が冷えるのを心配しながらも、何とか生きて欲しいと
レイキヒーリングを続けました。
時間にして15分くらいでしょうか。

写真ではわかりませんが、ヒーリング中は気持ちがよいのか呼吸は自然に戻り、目をうっとりさせて落ち着いていくのがわかりました。



元気を取り戻したウグイスは可愛いお目目をぱっちり開いて
私の手から飛び立っていきました。
良かったー!!

野生の生き物は非常に慎重です。
捕まえようとしても、そう簡単に捕まえられるものではありません。
人間の少しの気配ですぐに逃げてしまいますから。

傷ついたウグイスが人間との距離をこんなに縮めることができたのは、レイキという愛と光のエネルギーに委ねることができたからだと思います。

バジャン Bhajan



今から約20年まえ、1992年から1993年にかけてインド・マハラシュトラ州プネー市のOSHOメディテーションリゾートに長期滞在しました。その滞在で「ラーガ・シンギング」というものを学ぶ機会があり、それはバジャン、インドの伝統的な神を讃える歌を実習するモーニングクラスでした・・・そのとき、インドの先生ひとりに日本人の生徒3人の組み合わせでした。

もちろん生徒3人はインドの伝統的な神を信仰したいわけではありません。実は先生も同じでした。でもバジャンをみんなで歌うとき、そこに何か不思議なバイブレーション、瞑想的な静けさ、不思議な歓びが生まれてくるのがわかりました。

約20年経った今でも、あの素敵な朝のことをありありと思い出すことができます。熱帯の鳥たちが声高にさえずるなかで、私たち4人の声が混ざりあい溶けあい誰の音声かわからない、自分がどんな声をだしているのかわからない、私は鳥の声を出しているのかも知れない、一瞬そんな合一感、陶酔感があったあの朝のことが懐かしくて・・・

数年まえのある夜、ネットで「ラーガ・シンギング」を検索していたら、インドの伝統的なバジャンを日本の女性が歌っているのを聞いて強く惹かれました。インドではメジャーでも日本では極めてマイナーなバジャンを日本の女性が歌うのは非常に珍しい。と、思ったら、実は歌い手は女性ではなく男性だという。驚きました。

↓私が聞いたもの、ここで試聴できます。
http://www.sound-ware.com/shop.cgi?id=1148

仕事が忙しい時期だったせいもあり、そのご、そのサイトを見失い、“バジャンを歌う不思議な日本人”のことはすっかり忘れていました。

そして話は一昨日の桂子のブログに飛びます。

桂子が話題にした「いのちのこどう」の吉野大地さんこそ、あの“バジャンを歌う不思議な日本人”だったんです。「いのちのこどう」のなかに「見えない糸」という歌があります。



これに感動して、私が少しずつ書きためている「赤い糸」を「見えない糸」に改名しました。
http://akaiito.angelfarm.jp/

いのちのこどう



ご無沙汰しています、香山桂子です。
今月15日に北海道在住のシンガーソングライター、吉野大地さんの4枚目のアルバム「いのちのこどう」が発売されました。

大地さんとは、今年の夏に東京で行われたスピリチュアルなトレーニングにてご縁ができました。

エンジェルファームのカボスをお送りししたら「クリスマスプレゼントに!」とこちらを送ってくださいました。



彼のクリアでピュアな歌声は私たちのハート奥深くに響きます。
単にヴォイストレーニングを重ねてきた努力の上だけでは決して生まれてこない歌声だと思います。
宇宙、自然と繋がっている本物だからこそハートが打たれるのでしょうか。

ハートで聴いていると、滞りや固まっているエネルギーが溶けて流れ浄化されていく・・・そんな感覚があります。



アルバムのデザインもやさしさと愛でいっぱいですね。

瞑想ピアニスト、ウォン・ウィン・ツァンさんによるピアノ演奏や、息子さんのウォン美音志さんもサウンドのほとんどを手がけておられるそうです。

「いのちのこどう」は大地さんのハートに集まってくる素敵な仲間たちで創造された地上のアートだと思います。

是非、みなさん今年の浄化も兼ねてハートに滋養をあげてくださいね。
いのちに新鮮な鼓動が吹き込まれますよ。

視聴と購入はこちらから。
http://www.turiya-music.com/

エンジェルファームでも取りあつかいます。

八重の桜最終回



NHK大河ドラマ「八重の桜」が今夜で終わりました。
左が八重、右が若き日の徳富蘇峰。
戦争について二人が対論する、それがこの物語の終着点になりました。

桂子の亡くなったお母さんの出身地が会津でした。子供の頃から何度も会津に行ったことがありました。

3.11東日本大震災のことにからめて会津を舞台とする大河ドラマが始まって、私たちは今年、真剣にこれを見たと思います。4月には会津旅行までしました。
http://blog.goo.ne.jp/ki_goo/e/df73a1e1340f59b520d883018d6c2ebd

主人公・八重が結婚した新島襄が創立した京都・同志社大学・・・私の父はその経済学部の卒業生でした。
それから八重の兄、山本覚馬が顧問として京都府に出仕したときの京都府知事・槙村正直・・・



槙村役は嶋政宏さんが演じました。
この槙村正直に京都府画学校の設立を建白したのがここ豊後竹田出身の田能村直入先生でした。この京都府画学校が京都市立芸術大学になっていき、私はその卒業生です。

そんなことが重なり、この一年大河ドラマにどっぷりつかり、会津藩家老・佐川官兵衛や西郷隆盛、徳富蘇峰・徳富蘆花の足跡をたどることになりました。そうそうドラマに登場しない横井小楠やラフカディオ・ハーンの足跡も訪ねることになりました。

実はそういう成果をもとに、もっと早い時期に京都芸大創始者としての田能村直入先生についての小論文をまとめあげる予定だったんですが、まだまだです。筆が遅れたおかげで、当初考えていた内容とは異なる方向・・・近代文明、現代文明を問い直すことから書き起こすことになり、そうなると遅れざるをえませんが仕方ないと思います。

山中問答


China Wiki
昨夜李白(701~762)の「山中問答」を話題にしました。



李白の影響を受けた松尾芭蕉(1644~1694)。
芭蕉の弟子、立花北枝が「山中問答」と題して
師の肉声を伝えています。

天地を右にし、万物山川草木人倫の本情を忘れず
飛花落葉に遊ぶべし

http://sasa.org/library/yamanaka/index.html



ここ豊後竹田出身の南画(文人画)の大家・田能村竹田(たのむらちくでん 1777~1835)。彼が李白の「笑って答えず」の印を使っていました。



田能村竹田から「笑って答えず」の印を受け継いだ渡辺拈華(1799~1872)が描いた「芭蕉図」。

笑って答えず



竹田市歴史資料館で開催されている「渡辺拈華-岡藩の絵師たち」展にあった拈華(ねんげ)明治3年作の墨梅図。徳川の世から明治政府に変わった激動の明治3年。“文明開化の音がする”急激な近代化へ進む時世にあって、拈華の絵は旧態依然。



絵の右上に「笑而不答」(笑って答えず)の印。



今回、この印の本物が竹田市歴史資料館に展示されました。もともと師・田能村竹田がこの印を使っていた、それが弟子・渡辺拈華に授けられたという。

「笑而不答」(笑って答えず)・・・
中国唐代の詩人・李白(701~762)の「山中問答」という詩に由来するとの説明がありました。


山中問答

  問余何意棲碧山  余に問ふ何の意ありてか碧山に棲むと
  笑而不答心自閑  笑って答へず 心自づから閑なり
  桃花流水杳然去  桃花流水杳然として去る
  別有天地間  別に天地の人間に非ざる有り

  以下香山訳

  どうして山に住むのかと問われるが
  笑って答えない 心は静かにゆったりしている
  桃の花が水に流れてはるか彼方に去っていく
  俗世間とは異なる別世界がある

天海の湯



香山桂子です。初めて行った大分市の「天海の湯」。
檜の内風呂と露天風呂がある家族風呂を利用しました。
お湯は毎回入れ替え制なのでとても衛生的です。



質の高いモール泉が惜しみなく浴槽に注がれていきます。
すごい湯量です。



高台に位置する露天風呂から見下ろす別府湾。
はるか遠くまで視界が広がり気分も開放的です。



モール泉は角化した皮膚をやわらかくし
美容液のようにツルツルして高い保湿効果もあります。
高価な化粧品の使用やエステテックサロンでのトリートメントよりも
即効性がある温泉療法をもっと取り入れたいですね。



3、4人は入れる内湯の大きな檜風呂。
いっぱいに張られた茶褐色のモール泉には
アカがアッと言う間に浮いてきます。
超自然なピーリングなので全身の皮膚がフヨフヨ柔らかくなって
自分でも触りたい・・・そんな美肌になります。



建物が立派なだけではなく、高い泉質も誇れる天海の湯でした。
大浴場もあるので気軽に訪ねてくださいね。

智慧の種子



香山桂子です。
12月6・7・8日に東京品川で行われた
サトルボディヒーリング トレーニングPart2。
写真に写っているのは受講生半分ほどの人数ですが
みんな本当に良い笑顔です。

私の左におられるのがリーダーのプラサード先生。
ずば抜けて知的で繊細な彼のガイドと
エネルギーフィールドに一日包まれて
私達は自然にハートにつながりその本質を取り戻していく
外側を必要とすることのない濃密なワークになりました。

6日8日はプラサードのパートナー、アルヴィナがリードしてくれました。
二人の愛と理解を惜しみなくシェアしてくださり感謝します。

そして私達に蒔いてくれた智慧の種子を自分自身で育てていきたいと思います。恐らく大学を卒業する程度の時間では不可能だと思いますが・・・。

渡辺拈華



先週土曜日、竹田市歴史資料館で開催されている「渡辺拈華-岡藩の絵師たち」展を見てきました。絵は彼が慶応3年(1867)に描いた作品。江戸が明治になっていく激動の時代だったんですが、そんな時代状況を全く感じさせません。

山が天高くそびえ立っており、人間の住む家は小さい。よく見ると、つりをする人の姿が見えますが、アリのように小さい。大自然のなかで、人はアリのように小さい・・・




今日、日没の時刻、車で約1分で行ける騎牟礼城址(きむれじょうし)で撮りました。右上に小さく見える峰は荻岳、その向こうに阿蘇が見えるんですが、今日は少しかすんでいて写真には写りませんでした。



カメラを左(南方)に向けると祖母山(そぼさん)。天孫降臨伝説の山です。山の向こう側が高千穂。それにしても、最近強行採決の末に成立した特定秘密保護法や、領土問題による中国との緊迫した状況を全く反映しない写真でした。

大自然のなか、宇宙のなかでは人間の存在が極端に小さい。小さいことに振り回され、追い立てられ、思いつめる、苦悩する。
ものすごく巨大なことのように見える国内の政治対立も国際紛争も本当は驚くほど小さな幼稚な事柄なのでしょう。“思考”のなかにいるから大きく感じるだけ・・・

実は私たち自身が、私たちが思っているよりはるかに大きい存在です。こうしてここに生命を持ち、知性を持って存在すること自体が奇蹟です。私たちは自分自身を意識することができる霊的存在でもあります。

西郷南州先祖発祥之地



昨日、サトルボディヒーリング講座の続編を学ぶために桂子を阿蘇熊本空港に送りました。朝7時40分離陸に間に合う早朝のバスがないので、私が空港まで車で送ることになります。空港の帰りに熊本県菊池市七城町(しちじょうまち)西郷に遠回りして、こんな写真を撮りました。

私は歴史研究をしているわけではありません。郷土史をやりたいのではありません。
様々な草花、樹木、風景や温泉を観賞するのと同じように、こういう史跡を見て楽しみます。見る意識は、鳥の声、草花の色、車の騒音、テレビの映像を意識します。そのように自分のからだのなかを感じることもできます。吐いて吸う呼吸の動きを見ることもできます。心のなかの思考や感情、葛藤や迷いも見ることができます。対象は様々ですが、見る意識はひとつです。

対象に焦点を絞り、そこに特化していくと歴史学、郷土史学、地域学、社会学、経済学、心理学、生物学、物理学といった分野にわかれていき、それらの学は、もっとどんどん無限に細分化していくことで成果をあげていきます。そういう進み方が今の高度な現代文明を急激に築いていったのだと思います。その驚くべき成果のひとつが、渋谷のホテルの窓から見える夜景でした。

上の写真は、熊本県菊池市七城町の西郷公民館とその左手に見える西郷南州先祖発祥之地の石碑です。西郷隆盛のルーツがここにあると示しているわけです。なぜ鹿児島ではなく、熊本県菊池市にこんな碑があるのでしょう?



この石に刻まれた文字、徳富蘇峰が書きました。
東京に行っても山王草堂の蘇峰、九州に帰っても蘇峰。



「蘇峰菅原正敬」は彼の筆名。



西郷公民館の裏手の竹薮は、菊池氏初代則隆の子である政隆が築いた増永(ますなが)城のあったところだという。西郷家はこの政隆が、七城町西郷地区に居を構え、西郷太郎と称したことから始まるそうです。

西郷家26代の昌隆(九兵衛)が、元禄時代に鹿児島の島津氏に仕え、鹿児島に居住。この子孫が西郷隆盛となり、初代西郷家から32代目にあたるという。隆盛の“隆”は初代の政隆から代々受け継いできたものだったんです。

上野で巨大な西郷隆盛像を見上げ、目黒の西郷山公園でくつろぎ、熊本の菊池で彼のルーツを訪ねてしまいました。そうしようと計画したのではありませんが、計画したようにつながりました。

それにしても、エンジェルファームにとって西郷隆盛なんか何の関係があるのか・・・
表面的には何の関係もないと思います。でもすべてが関係しており、すべてはつながっており、無関係なものはないと思います。私は西郷隆盛その人より、西郷隆盛を通して見えてくる不思議な赤い糸、目に見えない赤い縦糸・横糸をあやつる不思議な織姫に興味があります。

大森貝塚





11月25日、JR大森駅で下車して徳富蘇峰旧居・山王草堂記念館を訪ねたんですが、駅前の案内地図を見て、この大森が大森貝塚の大森であることがわかり、山王草堂記念館のあとは大森貝塚を訪ねることにしました。

「史跡大森貝塚」の矢印の方向を見ると、ビルの谷間。こんなところに貝塚史跡があるのだろうかと不審に思いながらも進んでいくと・・・



大森貝塚を発見したエドワード・S・モ-ス博士の案内版。この先に何らかの史跡があるに違いないと胸躍らせて進んでいくと・・・





唖然・・・石碑がひとつあるだけ。
そんなはずはないと、ここを管理しているらしい隣接するビル(NTT)の入口の管理室に行って聞きました。「大森貝塚に来たんですが、石碑があるだけなんですか?」

答えは「はい」でした。
そんな馬鹿なという顔をしたのでしょう。もう少し歩いていくと品川区のほうに庭園があります。そちらの方にいろいろありますという説明。



少し歩くと、JR大森駅のある大田区から品川区に入り、確かにこんな庭園がありました。勢い込んで進んでいくと・・・



なんやこれ???

たまたま公園を横切っていく若い男性の二人連れが「この蒸気、いつもやっているけれど、意味ないよね」と話し合っていた。私も同感します。



モース博士の銅像は意味あると思います。



この公園で最も意味あるのは、ここでした。



貝塚(古代の人類のゴミ捨て場のうち当時の人々が捨てた貝殻が積み重なったもののことである:Wikipedia)の本物です。



公園にはこんな案内板がありました。
この遺跡の縄文後晩期(約3000年まえ)の想像図。
以前からそう考えているんですが、私はこの時代の人々は幸せだったのではないかと思います。だから日本では縄文期が長い。



海の幸、山の幸、食べ物が豊富だったと思います。
インドでは仏陀、中国では老子や孔子、ギリシャではソクラテスたちがBC5世紀として、日本の縄文時代は長すぎると思います。が、文明が遅れたのではなく、彼らは幸せだったのではないかと私は想像します。幸せの文明にひたっていたのではないかと。“時間”など無かった。永遠の今を謳歌していた。進歩の必要がなかった・・・。今の私たちの文明と正反対です。電化製品も衣装もインテリアも車も次々刻々進化します。でも幸せじゃないんです。



空港に向かうためにJR大森駅に戻ると、こんなモニュメントが。

山王草堂記念館



11月24日、渋谷エクセルホテル東急の部屋でNHK大河ドラマ「八重の桜」を見ました。上は番組の終わりに出た山王草堂記念館の案内の画面。私はその翌日25日、日本橋の次にここを訪ねました。



大田区山王(さんのう)にある徳富蘇峰旧居跡です。品川駅から各駅停車で二つ目の大森駅で下車しました。



鮮やかに紅葉した植物が気になって近づくと・・・





ハゼノキによく似た姿。



ハゼノキと同じウルシ科の植物でした。
昭和15年(1940年)、孔子廟からもたらされた苗木を植えたという。
翌16年に真珠湾攻撃、太平洋戦争開戦という時期でした。
あれから73年。この木は激動の昭和と平成の世を生きてきました。
老齢には見えません。青春のイメージです。



今年は秋が暖かかったせいもあり、竹田では紅葉狩りの機会がありませんでした。何と意外なことに、東京で紅葉を楽しむことになりました。



イチョウの木は強剪定されていましたが、この木を挿し木したものが熊本の後藤是山の庭に贈られたのかも知れません。そんな想像を楽しみました。



記念館の内部に、旧居の二階を復元。







本来はかなり規模の大きい邸宅だったようです。

渡辺長男



講座が終わった翌日の11月25日、まず日本橋に向かいました。
この橋、明治44年(1911)にできました。
花崗岩製の、いわば石橋。石橋だったから強かったのでしょう。
関東大震災にも耐えて、今だに利用できています。
コンクリートだったなら、とっくに壊れているでしょう。



私の目的は、橋の欄干に建っている彫刻作品を見ることでした。
朝倉文夫の実兄、渡辺長男の作です。
イタリアルネサンスの巨匠ドナテルロのライオン像と日本の狛犬とを融合したという。西洋一辺倒でもない、日本回帰でもない、東西融合を目指した。







橋の中央部にある麒麟(きりん)像。
渡辺長男はこれに苦心したらしい。モデルがないので。







麒麟のうえの獅子。

渡辺長男の家は、もともとここ豊後竹田・旧岡藩の中川公に仕える武士でした。中川公は摂津茨木(大阪府茨木市)の出身で、摂津出身の渡辺家も中川公について竹田に来たのでした。最近、ネットで見つけたんですが渡辺家のご先祖は摂津伊丹の荒木村重に仕えていたという。
http://itami-bunkazai.jp/itamity/pdf2/itamity60_04.pdf

日本橋のこの彫刻については書くときりがないのでまたHPのほうで・・・
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