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横井小楠



昨日、小泉八雲記念館と共に訪ねた横井小楠旧居。
今は熊本市東区沼山津1-25-91という住所になっていますが
彼が住んだ幕末の当時は途方もない田舎だったはずです。

ここに坂本龍馬が三度もやって来た。
「五か条の御誓文」を起草した由利公正(ゆりきみまさ)、「教育勅語」の起草に参画した元田永孚(もとだながざね)、「大日本帝国憲法」の草案をつくった井上毅(いのうえこわし)等もここに来て、小楠の教えを請うた。

幕末の福井藩主松平春嶽(しゅんがく)は横井小楠をヘッドハンティングした。最後の将軍・徳川慶喜は幕府に召し抱えたいと言ってきた。

そんなことをこの畳の上に座って感じてみました。



この部屋の「ガラス障子」のことを説明しています。日本伝統文化である障子と、西洋の技術であるギヤマン(ガラス)の統合です。

元治元年(1864年)2月小楠は、やって来た坂本龍馬に『国是七条』を説きました。

1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。
将軍は、京へ行き、これまでの徳川家中心の政治を、朝廷に謝る。

2.諸侯の参勤を止めて述職となせ。
参勤交代制をやめて、各大名は、将軍に各藩の情況を報告する制度に改める。

3.諸侯の室家を帰せ。
各大名の奥方を、江戸へ常駐させず、各藩へ帰す。

4.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。
政治を司る地位には、これまでの伝統にこだわらず、優秀な人材の登用を行う。

5.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。
密室で、一部の地位の人だけで決めていく政治を改め、多くの人々の意見を集約する政治を行う。

6.海軍をおこし兵威を強くせよ。
外国の侵攻を防ぎ、日本を守るには海軍の増強が必要。

7.相対交易をやめ官交易となせ。
外国との貿易を、国の管理下に置き、国の財政基盤を強化する。



横井小楠旧居跡の外観です。



旧居跡のすぐ近くに、彼の墓があります。
本当の墓は彼が暗殺された京都・南禅寺にあります。
ここは彼の遺髪が収められているそうです。
墓の隣に大きな銅像があります。



明治維新というものが何であったか。
何を得て、何を失ったかということを見つめようとしています。
近代文明が何をもたらし、何を破壊したか・・・

築明治元年(1868年)のエンジェルファームの母屋は
それを問うには絶好の場所です。

明治維新以後の近代化の歴史の帰結として
1945年 原子爆弾投下
2011年 福島原子力発電所事故
があったと思います。

先月の会津への旅は、母のリハビリを兼ねて
そういうことを問う旅でもありました。

レイキヒーリング、マッサージ、ハーブ・薬草療法、温泉療法、アストロロジー、瞑想療法・・・古代文明の時代から長い歴史を持っていますが、近代文明によって非科学的であるとして否定されました。否定されているものこそ私たちエンジェルファームがシェアしているものです。

どうしてそういうものが否定されなければならないのか、根底から考えたいと思います。

横井小楠はあの時代の状況下で富国強兵の重要性を説きましたが、富国強兵だけではいけない、東洋の精神文明を高揚し世界平和に務めなければならないと説きました。そのために武士のように自分をみがき続けることの重要性を認識していました。

残念なことに、彼は明治2年に奈良十津川郷士たちによって暗殺され、明治維新は富国強兵に偏り走っていきます。
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