9月12日、高畑勲の講演会に行ってまいりました。
2時開始、1時30分開場のところ、1時少し前に講堂に到着。
実際には、1時20分頃に開場。順番は前から6番目でした。
会場に入り、席について周りを見渡してみると、そんなにお客が入っていない。高畑さんも人気ないなあなんて思って、時計ばかり見ていたら、いつの間にかかなり人が入っている。空いているのは関係者席だけといった感じ。開始時間が迫るにつれ、ますます聴衆の数は増えていく。ついには立ち見ならぬ座り見まで出現。それも大勢。2時になる頃には会場は超超満員。立錐の余地もないほど、と言ったらさすがに大袈裟か。
開始直前にアナウンスが入り、今回の講演会には1万人の応募が殺到したらしい。いま講堂にいるのは大体150人~200人くらいで、しかもペアチケットなので、応募したのは100人くらいか。とすると、実に100倍ですよ、倍率が!なんとなんと!今回ここまで来れた人は、相当運がいいってことだ。もし、せっかく当選したのに今日来られなくなった人がいたとしたら、その人はツイてない。
さて、高畑勲の今回の講演のテーマは、「アニメーションにおける空間表現について」。実際に何を話したのかというと、画面の縦方向(奥行き)の動き、についてだった。ところでレイアウト展の図録に藤森照信さんという建築家の文章が載せられているが、そこでは、こんなことが述べられている。宮崎駿に聞いた話では、ディズニーのアニメーションは奥行きのある動きに乏しく、横方向の動きが多い、というのだ。だからディズニーのアニメーションは「子供っぽいオモチャじみた動き」に映る、と藤森さんは言うのだが、高畑勲はこの話を導入にする。
ディズニーでもそうだったように、昔の日本のアニメ(初期の東映動画の時代を想定している)でも、奥行きのある動きは珍しかったらしい。それを、高畑勲は『ハイジ』などで打開しようとしたのだそうだ。また、時代は前後するが、『ホルス』でもそういった動きの設計は試みられた。しかしながら、それはまだ試行錯誤の時代で、画面向こうから手前までホルスが走ってくるとして、何歩で駆けてくるか、という基本的な部分が疎かになっている。ほんの数歩で画面手前まで駆けてきてしまったりするのだ。けれどもこういった奥行きのある画面作りは斬新で、それが後々の作品に生かされてくる。
高畑勲が『やぶにらみの暴君』に多大な影響を受けたことは有名だが、その奥行きのある画面設計にも驚いたようだ。ちなみに、今回の講演では多くの映像を適宜流しながらの解説、となったが、このとき『王と鳥』と共に、なんと『やぶにらみの暴君』をスクリーンに映し出してしまった!すごいことだ。『やぶにらみの暴君』はいまや伝説的なアニメーションなのである。で、この映像の元ネタは何かというと、海外で入手した海賊版らしい。いいのか、高畑勲。
他にも、人物の顔を描くとき、西洋では顔が立体的なので、どうしても斜めの顔を描いてしまうのに対し、日本では顔が平面的なので、正面が多くなる、という話をしていた。日本では正面を向いた顔が本当に多いらしく、ニャロメなどはどう考えてもそれしかありえない顔で(人間じゃないけど)、アニメになったとき、演出上いろいろ考えた、というようなことを言っていた。鉄腕アトムにしたって、あの頭は構造がおかしい(中味じゃないです)。
ところで、高畑勲はディズニー式の、横方向の動きには必ずしも否定的ではない。高畑さんが傑作と称賛する『ピノキオ』の映像を見たが、これはすごい。正直驚いた。1941年に公開されたそうだから、戦中の映画である。なにがすごいって、見てもらわないと分からないが、とにかく迫力がすごい。水の作画、クジラの勢いなど、『ポニョ』を思い出してしまった。これが、だいたい横方向の動きなのだが(縦方向もあるにはあるが少ない)、充分臨場感はある。言い忘れたが、縦方向(奥行き)の動きは、観客に臨場感を持ってもらうのに寄与するのだという。横方向の動きは、客観視される。
『ピノキオ』にも奥行きのあるシーンがあって、これがハンパない。パない。朝、鐘の見えている画面を映しているカメラがだんだん下に降りていって、街並みを映し出すのだが、さらにズームしていって、カメラを横に振り、まだズームしていく。これは高畑勲も解説していた通りマルチプレーンのなせる業なのだが、これほどその機能を駆使したシーンも珍しいのではないか。だが、一般の観客からの受けはよくなかったらしく、ディズニーは以後奥行きのある動きを見せなくなっていったそうだ。
それに対して、日本は奥行きのある動きを見せることに注力するようになり、またハリウッドなども、臨場感のある画面作りを展開させていった。つまり、ディズニーは時代から取り残されていったということになる。では、ディズニーから臨場感が失われたのかというと、そうではなく、ディズニーランドがその役割を果たしたのだと高畑勲は言う。アニメーションで臨場感を得るのではなく、仮想と現実の狭間の空間で臨場感を得る。それはそれで一つの手段だけれど、ディズニーアニメがつまらなくなった、と言われるのには、ここらへんにも理由があるのかもしれない。
さて、レイアウト展について。
書こうと思ったけど、もうだいぶ長い文章を書いているので、これはまた明日書こうと思う。
2時開始、1時30分開場のところ、1時少し前に講堂に到着。
実際には、1時20分頃に開場。順番は前から6番目でした。
会場に入り、席について周りを見渡してみると、そんなにお客が入っていない。高畑さんも人気ないなあなんて思って、時計ばかり見ていたら、いつの間にかかなり人が入っている。空いているのは関係者席だけといった感じ。開始時間が迫るにつれ、ますます聴衆の数は増えていく。ついには立ち見ならぬ座り見まで出現。それも大勢。2時になる頃には会場は超超満員。立錐の余地もないほど、と言ったらさすがに大袈裟か。
開始直前にアナウンスが入り、今回の講演会には1万人の応募が殺到したらしい。いま講堂にいるのは大体150人~200人くらいで、しかもペアチケットなので、応募したのは100人くらいか。とすると、実に100倍ですよ、倍率が!なんとなんと!今回ここまで来れた人は、相当運がいいってことだ。もし、せっかく当選したのに今日来られなくなった人がいたとしたら、その人はツイてない。
さて、高畑勲の今回の講演のテーマは、「アニメーションにおける空間表現について」。実際に何を話したのかというと、画面の縦方向(奥行き)の動き、についてだった。ところでレイアウト展の図録に藤森照信さんという建築家の文章が載せられているが、そこでは、こんなことが述べられている。宮崎駿に聞いた話では、ディズニーのアニメーションは奥行きのある動きに乏しく、横方向の動きが多い、というのだ。だからディズニーのアニメーションは「子供っぽいオモチャじみた動き」に映る、と藤森さんは言うのだが、高畑勲はこの話を導入にする。
ディズニーでもそうだったように、昔の日本のアニメ(初期の東映動画の時代を想定している)でも、奥行きのある動きは珍しかったらしい。それを、高畑勲は『ハイジ』などで打開しようとしたのだそうだ。また、時代は前後するが、『ホルス』でもそういった動きの設計は試みられた。しかしながら、それはまだ試行錯誤の時代で、画面向こうから手前までホルスが走ってくるとして、何歩で駆けてくるか、という基本的な部分が疎かになっている。ほんの数歩で画面手前まで駆けてきてしまったりするのだ。けれどもこういった奥行きのある画面作りは斬新で、それが後々の作品に生かされてくる。
高畑勲が『やぶにらみの暴君』に多大な影響を受けたことは有名だが、その奥行きのある画面設計にも驚いたようだ。ちなみに、今回の講演では多くの映像を適宜流しながらの解説、となったが、このとき『王と鳥』と共に、なんと『やぶにらみの暴君』をスクリーンに映し出してしまった!すごいことだ。『やぶにらみの暴君』はいまや伝説的なアニメーションなのである。で、この映像の元ネタは何かというと、海外で入手した海賊版らしい。いいのか、高畑勲。
他にも、人物の顔を描くとき、西洋では顔が立体的なので、どうしても斜めの顔を描いてしまうのに対し、日本では顔が平面的なので、正面が多くなる、という話をしていた。日本では正面を向いた顔が本当に多いらしく、ニャロメなどはどう考えてもそれしかありえない顔で(人間じゃないけど)、アニメになったとき、演出上いろいろ考えた、というようなことを言っていた。鉄腕アトムにしたって、あの頭は構造がおかしい(中味じゃないです)。
ところで、高畑勲はディズニー式の、横方向の動きには必ずしも否定的ではない。高畑さんが傑作と称賛する『ピノキオ』の映像を見たが、これはすごい。正直驚いた。1941年に公開されたそうだから、戦中の映画である。なにがすごいって、見てもらわないと分からないが、とにかく迫力がすごい。水の作画、クジラの勢いなど、『ポニョ』を思い出してしまった。これが、だいたい横方向の動きなのだが(縦方向もあるにはあるが少ない)、充分臨場感はある。言い忘れたが、縦方向(奥行き)の動きは、観客に臨場感を持ってもらうのに寄与するのだという。横方向の動きは、客観視される。
『ピノキオ』にも奥行きのあるシーンがあって、これがハンパない。パない。朝、鐘の見えている画面を映しているカメラがだんだん下に降りていって、街並みを映し出すのだが、さらにズームしていって、カメラを横に振り、まだズームしていく。これは高畑勲も解説していた通りマルチプレーンのなせる業なのだが、これほどその機能を駆使したシーンも珍しいのではないか。だが、一般の観客からの受けはよくなかったらしく、ディズニーは以後奥行きのある動きを見せなくなっていったそうだ。
それに対して、日本は奥行きのある動きを見せることに注力するようになり、またハリウッドなども、臨場感のある画面作りを展開させていった。つまり、ディズニーは時代から取り残されていったということになる。では、ディズニーから臨場感が失われたのかというと、そうではなく、ディズニーランドがその役割を果たしたのだと高畑勲は言う。アニメーションで臨場感を得るのではなく、仮想と現実の狭間の空間で臨場感を得る。それはそれで一つの手段だけれど、ディズニーアニメがつまらなくなった、と言われるのには、ここらへんにも理由があるのかもしれない。
さて、レイアウト展について。
書こうと思ったけど、もうだいぶ長い文章を書いているので、これはまた明日書こうと思う。