アクショーノフ『星の切符』読了。
たぶん、アクショーノフと言ってもピンとこない人が多いのではないでしょうか。彼は1932年生まれのロシアの作家で、活躍した年代から、「60年代人」「第四の世代」などと呼ばれています。革命や戦争などを自分の体験としては知らない彼らの世代は「新しい人間」と希望とを描いています。
1961年に発表された『星の切符』は、これまでのソヴィエト文学に比して新しい文学として受け入れられたようです。それは形式・内容双方から言えることだろうと思います。この小説は、毀誉褒貶を激しく浴びたようで、そのことがこの小説の当時の新しさを物語っています。
いま、ぼくは意識して「新しい」という言葉を何度か用いましたが、しかし現代の日本人が読んでも、それほど新しいとは感じられないだろうと思われます。むしろ、古臭い小説だとさえ感じる人がいるでしょう。
たとえば、当時は新鮮に映ったという一人称と三人称との併用も、現代ではもう使い古されていますし、視点の移動は現代小説の要素の一つ、とさえ言えるかもしれません。
また、17歳の少年ディームカの精神的成長と彼の労働を描いたところなどは、非常にソ連らしい労働の賛美すら嗅ぎ取れます。仲間と放浪に出て恋愛や幾つかの労働を経験する筋立ては古典的だと言えるでしょう。
物語の中心は、ディームカとガールカとの恋の行方、そして漁業に従事するようになるディームカの姿を描くことです。ディームカとガールカは恋に芽生え、お互いへの愛を自覚しますが、突然現れた俳優にガールカは心を奪われてしまいます。やがてディームカたちは彼女と別れ、船の乗組員として働くことになります。ところが、案の定と言うべきか、ガールカは恋に破れてしまい…
このような主な筋立てと並行して、ディームカの兄であり、科学者の卵ヴィクトルの物語も展開されます。もともとはこのヴィクトルの視点で、小説は語り出されたのでした。
小説はディームカの将来を明確に示さないまま閉じられます。彼は「切符」を手にしますが、それがどこ行きなのかは知りません。青春の彷徨を印象付けられる最後です。
このような小説がスキャンダラスだと見られたことに、当時のロシア社会の旧弊さを思わずにはいられません。この時代の文学は、ソルジェニーツィンなどの反体制派のものや、「雪どけ」によって再発見されたものなど(ブルガーコフ)が注目を集めますが、若者の精神的自立を主として描いたこの小説が驚きをもって迎えられたことには、逆に驚いてしまいます。
アクショーノフは日本ではもはや忘れられつつある作家ですが、時代の証言として、その文学は残ってゆくのでしょう。
たぶん、アクショーノフと言ってもピンとこない人が多いのではないでしょうか。彼は1932年生まれのロシアの作家で、活躍した年代から、「60年代人」「第四の世代」などと呼ばれています。革命や戦争などを自分の体験としては知らない彼らの世代は「新しい人間」と希望とを描いています。
1961年に発表された『星の切符』は、これまでのソヴィエト文学に比して新しい文学として受け入れられたようです。それは形式・内容双方から言えることだろうと思います。この小説は、毀誉褒貶を激しく浴びたようで、そのことがこの小説の当時の新しさを物語っています。
いま、ぼくは意識して「新しい」という言葉を何度か用いましたが、しかし現代の日本人が読んでも、それほど新しいとは感じられないだろうと思われます。むしろ、古臭い小説だとさえ感じる人がいるでしょう。
たとえば、当時は新鮮に映ったという一人称と三人称との併用も、現代ではもう使い古されていますし、視点の移動は現代小説の要素の一つ、とさえ言えるかもしれません。
また、17歳の少年ディームカの精神的成長と彼の労働を描いたところなどは、非常にソ連らしい労働の賛美すら嗅ぎ取れます。仲間と放浪に出て恋愛や幾つかの労働を経験する筋立ては古典的だと言えるでしょう。
物語の中心は、ディームカとガールカとの恋の行方、そして漁業に従事するようになるディームカの姿を描くことです。ディームカとガールカは恋に芽生え、お互いへの愛を自覚しますが、突然現れた俳優にガールカは心を奪われてしまいます。やがてディームカたちは彼女と別れ、船の乗組員として働くことになります。ところが、案の定と言うべきか、ガールカは恋に破れてしまい…
このような主な筋立てと並行して、ディームカの兄であり、科学者の卵ヴィクトルの物語も展開されます。もともとはこのヴィクトルの視点で、小説は語り出されたのでした。
小説はディームカの将来を明確に示さないまま閉じられます。彼は「切符」を手にしますが、それがどこ行きなのかは知りません。青春の彷徨を印象付けられる最後です。
このような小説がスキャンダラスだと見られたことに、当時のロシア社会の旧弊さを思わずにはいられません。この時代の文学は、ソルジェニーツィンなどの反体制派のものや、「雪どけ」によって再発見されたものなど(ブルガーコフ)が注目を集めますが、若者の精神的自立を主として描いたこの小説が驚きをもって迎えられたことには、逆に驚いてしまいます。
アクショーノフは日本ではもはや忘れられつつある作家ですが、時代の証言として、その文学は残ってゆくのでしょう。