Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

ニーチェの永劫回帰(2)

2008-09-06 01:19:00 | 文学
前日のつづき。

個人的な感想。

永劫回帰思想というのは、それ自体としては、生を無意味化する思想であった。同一のことが過去に何度も繰り返され、未来にわたって何度も繰り返されるのだとしたら、全ての出来事が決定済みだとしたら、現在の生にいかなる意味がありえようか。

しかし、決定済みの出来事に対して、「私がそう欲した」と宣言することはできる。そのようにある運命に「然り」と言うことはできる。たとえ何万もの耐え難い出来事が人生にあろうとも、僅かな喜びのために人生を肯定し、「よし、もう一度!」と言うことはできる。それこそが永劫回帰思想の試練であり、この試練をくぐりぬけた者だけが、人生と運命を愛する者なのだ。

しかし、上記のような感想は、はっきり言って、ニーチェの解説書を読まなくても出てくるもので、実際、ぼくはそうだった。解説書を読んで分かったのは、このように一概には言えないということ。永劫回帰思想が現実肯定を導き出すものだとしても、そこには幾つかの躓きの石がある。例えば、永劫回帰の内部からは内部にいると認識できないのに、本当に現実肯定は可能なのか、ということ(内部の人間にとっては、回帰していようがなかろうが、人生は一度きりしか認識されないのだから)、また、『ツァラトゥストラ』におけるロバの「ヤー」とディオニュソス的な「ヤー」との区別の問題。

これらの事柄を理論的に解決するには大変な思考的な体力を消費する(須藤氏はがんばっている)。ぼくはニーチェの専門家でも哲学を専攻しているわけでもないから、こういう問題は苦手だし、そもそも追究する意味はあるのだろうか。もちろん、分かるに越したことはないのだが。

ところで、ドゥルーズによるニーチェの解説書を読みました。これ、全部理解できる人っているんでしょうか。「ある意味で猛烈に難解」と言う人もいますが。「ある意味」ってなんだ。部分的に読んだのですが、さっぱり分かりませんでした。初めから読んでもわからなかったと思います。『差異と反復』のように。