Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

十三本のパイプ

2010-07-31 00:14:39 | 文学
エレンブルグは驚嘆すべき作家である。

エレンブルグ『十三本のパイプ』をたった今、読了。
長編小説家として夙に知られるエレンブルグですが、短編もいけます。うまい。ときに真摯に、ときにユーモラスに、愛について、憎しみについて、狂気について、馬鹿げたことについて、語ります。「私」の所有する十三本のパイプの由来を物語る、という形式を備えたこの小説は、つまり13話ある短編小説集ということになるわけですが、いずれもパイプをモチーフにしているところに面白味があり、独特の滑稽さを漂わせています。

と言えば、ああ滑稽小説集か、と思われる向きもあるかもしれない。しかし、たわけたことと真理とは背中合わせであるし、また実際のところこの小説集には、悲しみに貫かれた作品も存在しているのです。

「映画スターのパイプ」は、実生活と映画との区別が付かなくなってしまった貧乏役者の不幸な一生を追った物語なのですが、これは傑作だと思った。一途な愛の哀しみと狂気とを描いて余すところがない。この役者は妻への愛ゆえに現実と虚構とを混同し、そして破滅してゆくのですが、その様子があまりにも滑稽で、馬鹿げていて、ありえなくて、どんだけアホなんだよ、と溜息をつきつつ、それでもこの作品が愛の悲哀に満たされていることに、愛の世界をひっくり返してしまうほどの狂った情熱が秘められていることに、慄然としてしまいます。本当に本当にこの役者は愚かだ。阿呆だ。現実と映画との区別がつかないから?いや、それほどまでに妻を愛しているから。

それにしても、この作品にはパロディめいた作品もあります。まず、「農場主のパイプ」はツルゲーネフ「初恋」における純朴な恋が「父」によって裏切られる物語の変奏と見れるし、「船長のパイプ」は冒険物語のパロディであり、そして「愛のパイプ」は探偵小説ふうの結構を備えています。また「信仰とパイプ」などはユルスナールあたりが「東方奇譚」で書きそうな題材です。エレンブルグは作品によって語りの真面目さの匙加減を変えていますが、それと同様に、小説の様々なジャンルをも自家薬籠中のものとし、巧みに使いこなしています。

これほどの手練れが今の日本であまり読まれていない、というのは悲しいことです(自分を棚に上げて言っているのが恥ずかしいですが)。来年はエレンブルグ生誕120周年であることだし、誰か大々的に宣伝してくれませんかね。どこかの研究者か出版社が。やや通好みの作風ではありますが、ストーリーはおもしろいし、機知も豊富だし、見直されてしかるべきだと思いますよ。それにしても今エレンブルグを研究している人・・・誰かなあ。