ちょっと自分のブログを見ないでいると、いかがわしいコメントが付くから困ります。
それはそうと、久々に小説の感想。
ジェイコブズ「猿の手」。
怪奇小説としては定番中の定番で、「古典的名作」とされている短編ですが、読んだのは今回が初めてでした。怖いのが苦手だからかそもそもの読書量が足りないのか・・・
ひからびた猿の手を手に入れた3人家族の物語なのですが、この猿の手には3つの願い事を叶えられる、という魔力が備わっていました。最初は疑ってかかった家族は、とりあえず200ポンドのお金を出してくれるよう猿の手に頼みます。しかしお金は出てきません。やっぱり嘘だったのか、と思っていると・・・
テーマは「代償」ということでしょうか。200ポンドのお金と引き換えに、この家族はとんでもないものを失うことになります。そしてそれを取り戻すために再び猿の手を使用するのですが、それは禁断の業であり、恐らくはもっとむごい代償が払われなければなりません。そしてまたしても猿の手を使う家族。3番目の使用に対する代償は何だったのか、この小説では書かれませんが、もしも猿の手が必ず何らかの代償を要求するものであるとすれば、とてつもなく大切なものをこの家族は差し出さねばなりません。しかしひょっとすると、もうこの経過全てで代償は払い終わっているのかもしれませんね。これほど酷い結末を迎えた家族から奪えるものは何も残っていないですから。
古典的名作として名高い作品ですが、前半の陽気さから後半の悲劇へと色調は一転してしまいますから、メリハリが効いている、と評価されているのかもしれません。ただ見方によってはアンバランス。また最後の大詰めも余韻を残すと言えば聞こえはいいですが、少し駆け足過ぎるとの批判はありえます。ぼくは「代償」ということをポイントにして読了したので、その代償が何だったのか判然としなかった点に少しもやもやしたものが残りました。まあ、これはそういう読み方そのものの正当性が足りなかっただけなのかもしれませんが。
三つの願いの民話を髣髴とさせる、着想そのものが既に古典的な作品で、今日でもよく知られているのは、そんなところも関係しているような気がします。気がするだけです。
ところで、猿の手、という道具立ては非常に効果的ですね。それがひからびてミイラになっている、という設定は、いかにも不気味。ストーリーも興味深いですが、こういう部分にもこの作品の非凡さが表れています。他のものでもよかったはずですからね。仮面でもいいし、蛙の足でもいいわけです。でもやはり猿の手がいい。
しかしながら、他の部分の設定にはどうも少し無理があるように思えて(軍曹が猿の手を持ってきた理由など)、腑に落ちない個所もありました。要は、完璧な小説ではない、ということです。でも、個人的にはそういう完璧さに限りなく接近している作品よりも、少しいびつで、どこかに裂け目があるような作品の方が好きです。
それはそうと、久々に小説の感想。
ジェイコブズ「猿の手」。
怪奇小説としては定番中の定番で、「古典的名作」とされている短編ですが、読んだのは今回が初めてでした。怖いのが苦手だからかそもそもの読書量が足りないのか・・・
ひからびた猿の手を手に入れた3人家族の物語なのですが、この猿の手には3つの願い事を叶えられる、という魔力が備わっていました。最初は疑ってかかった家族は、とりあえず200ポンドのお金を出してくれるよう猿の手に頼みます。しかしお金は出てきません。やっぱり嘘だったのか、と思っていると・・・
テーマは「代償」ということでしょうか。200ポンドのお金と引き換えに、この家族はとんでもないものを失うことになります。そしてそれを取り戻すために再び猿の手を使用するのですが、それは禁断の業であり、恐らくはもっとむごい代償が払われなければなりません。そしてまたしても猿の手を使う家族。3番目の使用に対する代償は何だったのか、この小説では書かれませんが、もしも猿の手が必ず何らかの代償を要求するものであるとすれば、とてつもなく大切なものをこの家族は差し出さねばなりません。しかしひょっとすると、もうこの経過全てで代償は払い終わっているのかもしれませんね。これほど酷い結末を迎えた家族から奪えるものは何も残っていないですから。
古典的名作として名高い作品ですが、前半の陽気さから後半の悲劇へと色調は一転してしまいますから、メリハリが効いている、と評価されているのかもしれません。ただ見方によってはアンバランス。また最後の大詰めも余韻を残すと言えば聞こえはいいですが、少し駆け足過ぎるとの批判はありえます。ぼくは「代償」ということをポイントにして読了したので、その代償が何だったのか判然としなかった点に少しもやもやしたものが残りました。まあ、これはそういう読み方そのものの正当性が足りなかっただけなのかもしれませんが。
三つの願いの民話を髣髴とさせる、着想そのものが既に古典的な作品で、今日でもよく知られているのは、そんなところも関係しているような気がします。気がするだけです。
ところで、猿の手、という道具立ては非常に効果的ですね。それがひからびてミイラになっている、という設定は、いかにも不気味。ストーリーも興味深いですが、こういう部分にもこの作品の非凡さが表れています。他のものでもよかったはずですからね。仮面でもいいし、蛙の足でもいいわけです。でもやはり猿の手がいい。
しかしながら、他の部分の設定にはどうも少し無理があるように思えて(軍曹が猿の手を持ってきた理由など)、腑に落ちない個所もありました。要は、完璧な小説ではない、ということです。でも、個人的にはそういう完璧さに限りなく接近している作品よりも、少しいびつで、どこかに裂け目があるような作品の方が好きです。