Light in June

文学やアニメ、毎日の生活についての日記。

USTの実況見ながら耳すま

2010-07-10 16:06:47 | アニメーション
きのうの金曜ロードショーは耳すまだったわけですが、いつもの放送とはちょっと違っていまして、なんとUSTREAMで本名陽子さんの実況付きだったのです。テレビで本編を視聴しながら、USTで本名さんがお仲間と喋っているところを同時に視聴する、といういささか困難な作業をファンは強いられたわけですが、これがどうやら成功したようで、ツイッターのフォロワーは1万人を突破、またUSTの視聴者数は4800人を突破して世界1位になりました。

ただ、もう少し本編とリンクした内容を喋ってほしい、という気持ちがぼくにはあって、なんだか本名さんたちがわいわい盛り上がっているだけのような気がしなくもなかったのですが、でもここぞというシーンでは裏話なども聞けて、押さえるえるところは押さえているな、という印象も。もっとも、裏話といっても、鈴木敏夫が声優で参加しているとか、コアなファンの間ではよく知られていると思われる情報だったので、新鮮味はなかったのですが・・・。
ただ、雫のモデルが監督の初恋の人だった、という情報は初耳だったかも。仮にどこかで読んでいたとしても、すっかり忘れていました。なるほどなあ。近藤監督は雫みたいなのが好みなのね。

耳をすませばについては、かなり色々な切り口から語ることができると思っているのですが、あえて今日は真っ向から語りたいと思います。最後の結婚してくれないか、という台詞について。

この台詞については賛否両論があるのですが、個人的には、「賛」の側に立っています。その理由。非常に単純なことなのです。結婚というものに対する認識が、中学生と大人との間では異なっているのです。つまり、大人にとっては結婚というのは必ずしも恋愛の延長線上にあるものではなく、様々な障害、親族間の葛藤等の問題を排除しては考えられないものであって、彼らにとってみれば中学生が結婚なんて口にするのまだ早すぎる、という結論になります。家庭を作らねばならない、経済的に自立せねばならない、ということは当然であり、そんなことを考えるのは中学生には不可能、結婚なんてちゃんちゃらおかしいよ、というわけです。しかしながら、中学生にとっての結婚は、そんなに現実的なものではありません。いわば、「恋愛成就の究極の形態」に過ぎないのです。

雫はともかく聖司はとてもしっかりした少年で将来を見据えていますが、それでもこのような結婚観を持っていることはありそうなことです。かなり一途な性格ですから、好きとなったら結婚まで考えてしまうことは必然であるように思えます。雫が聖司をそれと認識してからわりと間もない時期にもうプロポーズ、ばっかじゃねえの、という意見にはだからぼくは与しません。あの聖司ならばそこまで突っ走るはずだし、中学生にとっては結婚は恋愛の究極形態なのですから、結婚を目指さなくてはならないのです。それに、中学生って結婚のこと案外考えるものですよ。もちろん現実的な問題としてというよりは、憧れとして。好きな人と結婚できたらいいなあ、ということくらいは誰でも考えるのではないでしょうか。ぼくが耳すまを初めて観たのは中学生のときでしたが、最後のシーンは何も違和感はありませんでした。すんなりと受け止めました。自分の実感に即していたからです。

あと、物凄く展開の早いこの映画の中で、最後のプロポーズというのは必然であるように思います。なぜか急に名前を呼び捨てたりするようになったりして、いつからそんな関係に!?と戸惑ってしまいますが、これは宮崎駿のコンテが生きていますね。宮崎駿ならではの物語の進め方です。彼は、無駄なことは一切描きません。恋愛の途中のああだこうだはもう思い切って省いてしまって(もちろんそこが恋愛の大切なところではあるのですが)、どかんと思いをぶつけてしまう。少し仲良くなったら、もう呼び捨て。そして告白。イタリアから帰ったらプロポーズ。この畳みかけ方は、聖司の性格とも合っていますが、同時に宮崎駿の理想の恋愛観らしきものを反映してもいます。だから、もしも宮崎駿が監督だったらよりストレートな恋愛映画になっていたと思うのですが、近藤喜文が監督であったために、繊細な感覚が随所に見られるようになり、絶妙なバランスの映画となりました。

近年、耳すまや時かけが、一部の視聴者から鬱アニメの代表格として非難されることがありますが、それは本当に一部の感情がネットに流出して広まり、そして多数の人々の潜在的な感情や感覚を刺激したのだと思われますが、このような現状を、ファンとしてはやはり苦々しく思っています(このあと長い文章を書きましたが、削除)。

誰かに憧れを抱き、それゆえに悩み、そして前に進み出す、というのは立派な行為だと考えます。ぼくは昨日この映画を見て鬱になるどころか勇気をもらった。自分よりも「上の人」を描いた作品というのは、近代リアリズム以降は減ってしまったようですが(かつては違ったのに)、たまにはそういう作品があってもいい。いつも等身大の人物ばかりではそれこそ鬱になってしまう。理想形を見出し、そして自分もそれに近づきたいと願う。

そういえば、新海誠の新作映画のブログが昨日できました。
http://ameblo.jp/teamshinkai