けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

(ブログ再開)靖国神社と遊就館

2014-05-29 00:11:36 | 政治
GW連休以降、体調不良が続き、更に本業の仕事の方も目茶目茶忙しく、ニュースに目を通している時間も夜中にブログを書く時間も確保できず、結局、長期に渡りブログをお休みしていた。未だに体調は不調なままだが、仕事の方が少し一段落したのでブログを再開しようと思う。

取りあえずはあまり最近のニュースに目を通せていないので、前回の靖国神社問題の続きをコメントしてみたい。先週のテレビ朝日のTVタックルで、ちょうど靖国神社問題を扱っていた。総理の靖国参拝を批判する人たちは、既に宗教的・盲目的にそれはいけないことだと信じ込んでいるから殆ど言いがかりでしかないが、しかしそれとは別に、自分達で客観的に彼らが靖国の何が気に入らないのかを見直しておくのも悪くない。

多分、その鍵を握るのが靖国神社の横にある「遊就館」なのだろう。

まず、日本国内で靖国神社に違和感を感じる人のその理由は、大きく「中国・韓国が猛烈に反発するから」と「靖国神社の背景には『天皇陛下万歳!』と言って死ぬ風潮を助長しているから」という2点に集約できる。前者は政治的損得勘定で確信犯的に反日プロパガンダをしている連中の戦略にハマっているだけだからどうでも良いが、後者は見過ごすことはできない。右翼と左翼を数直線で表せば、TVタックルに出演していた田母神氏は右で共産党の小池晃は左であるのは間違いないが、しかし、二人とも極右でもなければ極左でもない。田母神氏は戦争をしないで済むようにするためには戦争を出来る国になることが重要だと説くが、一方で戦争をしたいとは思ってはいないし、正確に言えばできれば戦争などしたくないはずである。極右なる人々は、今の習近平国家主席が語る「中国夢」の様な覇権主義を志向していて、戦争を寧ろ肯定的に捉える人々だ。日本を破壊して中国共産党に飲み込まれることを望むような極左や、大東亜共栄圏に突き進むような覇権主義の極右からしてみれば、田母神氏も小池氏も全然中央の原点よりに位置する。その様な極右の人達からすれば、天皇陛下を神と見立てて、イスラムの自爆テロの様な行動をも厭わない兵士が現れるほどの軍国主義化を期待しているのだろうが、その様な人達は極端な例であり、その様な極右の思想と靖国神社の関係を明らかにする必要がある。極左ではない左寄りの人々に言わせれば、極右の人達が目指す世界観と靖国神社の世界観が極めて類似の世界観であり、それを証明するのが「遊就館」だと主張している。つまり、第2次世界大戦の日本の侵略戦争を美化し、軍国主義を正当化している価値観が「遊就館」にあり、その「遊就館」と靖国神社は一体だというのである。そこで、「遊就館」の中に「日本の侵略戦争を美化」する主張があるのか、「軍国主義と天皇陛下のために死ぬことを助長している」様なものがあるのかを短い時間であるが見てきたのでコメントしてみたい。

最初に結論を書けば、その様な主張をする人達の気持ちがどこから来るのかは理解できたが、先ほどの右と左の数直線で言えば明らかに極右の人達からはかけ離れたニュートラルさで、田母神氏の立ち位置よりはもう少し中央よりというのが私の感想で、あくまでもセンターよりも右寄りという相対的な位置関係以上でも以下でもない様に思える。全体としては、遊就館はその当時の状況を知るための「戦争博物館」であり、その展示の中には左寄りの人には許容できない価値観が一部に含まれているのが気に入らないのだと思った。

では、順番に遊就館についてみて行きたい。まず、遊就館の展示場の内容は下記のサイトで見ることができる。

遊就館 展示室のご案内

これを見ると分かるのは、ゼロ戦や機関車などの大物展示の特別陳列室、大展示室を除けば、展示室は合計で19室あり、田原総一郎氏の言葉を借りれば「満州事変以降の出来事は侵略戦争」ということで、満州事変で線引きすれば展示室1~8の8室の明治維新から満州事変まで、展示室9~15の7室の侵略戦争の歴史、展示室16~19の4室の第2次世界大戦で亡くなった英霊の紹介と分けられる。この前半の明治維新から満州事変までに関しては、別に戦争を美化するとかその様な意図はなく、極めて自然な展示であったと言ってよいだろう。これに続く侵略戦争の歴史に関しても、その当時の戦争をそのまま表現した内容だと感じられた。実際、アニメ映像の放映もされていたが、ここではマリアナ沖海戦が扱われていて、例えば米艦船からの七面鳥撃ち攻撃で脆くも撃破された日本の戦闘機の話や、2度の攻撃で空母3隻を含む主要な戦力が壊滅した状況が語られており、日本軍が如何に悲惨にも惨敗したのかが分かる内容であった。決して日本軍を美化したものではなく、寧ろ、米軍の司令官のジェントルさと決断力の高さを称える内容であった。

では、何をもって左寄りの主張をする人達の気持ちがどこから来るのか理解できたかと言えば、展示室の順路上の最初に位置するビデオ上映の内容と、最後の英霊を神々と呼んで紹介する4室とが気に入らないのだと思う。最初のビデオ上映では、東京裁判が如何に裁判として不適切であり、その正当性が乏しいかを訴えていた。軍艦マーチなどで軍人を送り出すような姿もあり、これが戦争を正当化していると読み取れるという主張なのだと思う。また、日本が大東亜共栄圏と称してアジア諸国を支配下に治めようとしていたことを正当化しているとも言われている。確かに、言わんとしていることは分からないでもないが、これはあくまでも「負けた奴は黙っておけ!!勝者が歴史を作るのは常識だ!」と言っているのに近い。私の感覚では、ニュートラルな立場の評価は「負けたのだから、無理筋でも軍事裁判の判決を国家として受け入れるのは当然。しかし、政府などの国家としてオフィシャルな立場で不満を述べるのはまずいとしても、オフィシャルではない立場の者が問題点を指摘しても、それは責められる筋合いの話ではない」というところなのだと思う。政府は「遊就館」の主張が政府の公式見解だとは言っていないのだから、「総理が靖国参拝をするということは、日本政府の公式見解が遊就館の主張と一致する」という命題を勝手に設定し、それがあたかも「真」であるかのように一方的に主張するのはおかしい。また、先日の尖閣漁船衝突事件の時に中国がレアアースの禁輸をしたような資源の囲い込み戦略をしたときに、資源を持たない日本が良心的な手法で活路を見出すにはその当時の世界政治は余りに未熟であり、結果的に国外に資源を求めざるを得なかったのも事実である。多分、(有り得ない仮定の話だが)今現在の日本の共産党首脳部が当時の大日本帝国の内閣を仕切っていたとして、戦争に打って出ないという選択肢はなかったであろうことは容易に予想が出来る。
だから、私は「戦争を始めたところまでは理解できる。何故、もっと早く戦争を終結するために動かなかったのか?」が、当時の首脳部の責められるべきところなのだと思った。実際、山本五十六連合艦隊司令長官は戦争には反対だったそうだし、戦争を始めるにあたって「半年、ないし1年間」限定であれば思う存分に戦ってみせるが、それ以上長期化したら勝ち目がないとの趣旨を当時の近衛総理に語ったと言われる。本来は「だから戦争などできない」とネガティブな意味を込めて伝えたかったのだろうが、当時の近衛総理には「1年ならば戦争が出来る」とポジティブに理解してしまった。それで、最初の連戦連勝で勘違いして、調子づいて2年、3年と戦争を長引かせてしまったのだと私は思った。

しかし、遊就館の展示を見ていると「それは事実とは異なる」ことが分かった。詳細は忘れたが、展示の中で、日本は戦争が始まって1年も経っていない昭和17年から既にアメリカとの停戦交渉をし始めていたことを示すものがあった。しかし、アメリカは日本の「勝ち逃げ」を許さず、停戦交渉を避けて戦争を継続したのだという。何処まで正しいのかは良く分からないが、一説にはアメリカは真珠湾攻撃の何時間か前に奇襲攻撃を察知していながら、アメリカ国民が「本気」になるように仕向けるために、敢えて現地に情報を通達しなかったという噂もある。折角戦争になったのだから、叩けるだけ日本を叩いてやれとアメリカが考えてもおかしくはない。つまり、「何故、もっと早く戦争を終結するために動かなかったのか?」については、これはもはや不可抗力であり、少しでも日本に有利な条件での停戦などというのは幻想であった可能性が高いということである。結局、当時の日本としては詰将棋の「詰み」の状態の中であがいていただけで、どう転んでいても結果は大して変わらなかったのかも知れないと感じた。ちなみに、この様に私が感じること自体が左寄りの人にとって面白くないのかも知れない。

最後に、戦争で亡くなった英霊を神々と呼んで写真などを紹介する部屋については、私は正直、引いてしまった。鹿児島の知覧にある特攻基地を訪ねたことがあるが、そこには神風特攻隊で死んでいく若い兵士の遺書(正確には手紙)が多く展示されていた。その遺書を読めば、止めどなく涙が流れ出るのを抑えることなどできないほどであり、人前でありながら涙を流しながら読み続けたのを覚えている。それは感動的な、そして哀しい手紙の数々だった。しかし、「遊就館」に展示してあった手紙では泣けなかった。多分、英霊、神たるものが女々しいことを書くのはおかしいと、かなりフィルターをかけて強気の手紙を書いている人のものを選択的に展示しているのかも知れない。ただ、昔から日本では神様か仏様かは曖昧かも知れないが、生前の行い次第で死後に尊い存在になるという考えは一般的だったから、その様な視点で神となった英霊を具現化すると、あの様な展示になってしまうのだと思う。だから、最後の「第2次世界大戦で亡くなった英霊」の展示室は靖国神社の特殊性を象徴的に表しているのだが、そこには「戦争の美化」も「神としての天皇の崇拝」もないのだと思う。というより、天皇陛下が神であれば、英霊が神になってしまうと「天皇陛下とタメ」ということになってしまう。だから、死して神になるということが、天皇崇拝とは相いれないものだと感じた。

以上が私が靖国神社参拝、及び遊就館を見学しての感想である。多分、左寄りの人にとっては気に入らない内容だと思うが、「気に入らない」ことも受け入れる多様性が現在では求められており、その様な視点で考えるのがニュートラルな考え方なのだろう。そこに政治的な思惑が入ると、物事は捻じ曲げられてしまう。それは、悪意をもった政治的な思惑の方が責められて然るべきだと私は思うのだが・・・。

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