けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

東京大空襲から70年を迎えての「思考実験」

2015-03-11 00:30:08 | 政治
東京大空襲から70年が経過した。今日はこの件についてコメントしようと思う。

最近の産経新聞では、戦後70年の節目を機に東京大空襲などの特集を組んでいる。そこには筆舌に尽くしがたい悲惨な当時の姿が何人もの証言で綴られている。産経新聞の意図は完全には把握できないが、少なくともこのブログの最初に確認したいのは、この件でアメリカを非難しようという思いはないということだ。さらに言えば、東京大空襲などの犠牲者を追悼する法要に出席して「度重なる国難を乗り越えてきた先人たちにならい、私たちも明日を生きる世代のために手をたずさえ前を向いて歩むことを誓う」と述べた安倍総理を筆頭に、圧倒的大多数の日本人はアメリカに対して、広島・長崎の原爆や多くの都市への無差別爆撃等への補償などを求めようなどとは微塵にも思っていない。心配しているアメリカ人などいないと思うが、仮にその様な危惧をかけらでも抱く人がいれば、その様な心配は未来永劫、無用な話だと言ってやりたい。

それと言うのも、その様な考え方が妥当か否かは別として、我々は被害者であると共に加害者でもあり、さらには敗戦国としてその屈辱を噛みしめる覚悟はできている。過去に囚われるよりも、未来に向かってより良き世界を築くためにエネルギーを使う方が、よっぽど生産的であると考えているのである。

ただし、この様な話をすることと、無差別爆撃の被害者のことを「なかったこと」として口にしないというのは全く別の話である。我々が未来に向けて平和を誓うのと同様に、アメリカに対しても世界平和のための誓いを求める権利は我々にもある。だから、その為に過去を振り返るのは決してタブーではないはずである。そこで私は、今現在の多くのアメリカ人に問うてみたい。もう少し踏み込んで言えば、先日のブログで書いたような思考実験をアメリカに対しても求めてみたいと思うのである。

最初の質問は、ありきたりな質問であるが「広島・長崎の原爆で、推計で13万から24万人の罪もない民間人が虐殺されたが、この行為を肯定的に捉えることができるか?」である。多分、アメリカの公式見解は「戦争の早期終結の為に止むを得なかった」ということだろう。アメリカ国民の多くも多分同意するに違いない。我々は高校時代に国語の教科書で井伏鱒二の「黒い雨」という小説を学んだ。映画にもなったのでご存知の方もおいと思うが、その小説で思い知るのは、一瞬のうちうに何万人もの命が失われる原爆の悲惨さではない。原爆を受けてなお生き残った生存者が、その後の長い時間の間苦しみながら生き続け、そして真の地獄を体験して死んでいくその壮絶な姿である。誤解を恐れずに言わせて頂けば、一瞬で即死だった方々はまだ救われようがあるが、その後、何か月も苦しんで死んでいった方々の恐怖や苦しみは、その何倍も悲惨な出来事であった。ただ、多くのアメリカ人は原爆の特殊性から思考停止の様になっている様に見えるので、では次の質問をしてみては如何かと思う。

2番目の質問は、「東京大空襲を筆頭に、日本では200以上の都市が無差別爆撃で被災し、毎日のように女性や子供を含む罪もない一般市民を生きたまま焼き殺し、半年近くの間に合計で100万人もの一般市民を虐殺したが、この行為を肯定的に捉えることができるか?」である。産経新聞の特殊の中でも語られていたが、アメリカ人の発想は「多くのアメリカ兵の命を救う上で仕方がなかった」と言うことらしい。確かに、イラク戦争やISILとの戦いの中で良く使われる”Boots on the ground”という言葉の通り、採取的に地上戦を行えば多くの米兵の命が失われるリスクがある。しかし、戦争末期には日本軍は防戦一方であったから、本土への地上戦を行わずに軍事施設だけでなく様々な工場のみをターゲットにした空爆を行っていても、米兵が死傷する確率は限りなく低かったはずである。であれば、何も女子供を含む一般の民間人まで虐殺する必然性はなく、軍事施設や工場のみに限定して攻撃しておけば、もはや飛行機も戦艦も、更には鉄砲の弾までもが生産不能の状態に陥り、石油や鉄鉱石などのエネルギー資源の補給路を断てば、兵糧攻めで日本が降伏するのは時間の問題であったはずである。これは改めて言うまでもない話で、誰もが知っている話である。しかしそれでも多くのアメリカ人は「でも、仕方がなかった!」と言うはずである。

では、それならば更に聞いてみたい。ISILの脅威が高まっている中、”Boots on the ground”のリスクが高いというのであれば、同様のロジックでISILの支配地域に東京大空襲と同様の無差別爆撃(軍事施設を狙うのではなく、そこにいる人々を虐殺しまくるという意味)をすればISILは壊滅的な被害を受けるはずである。では、アメリカ人に「ISILに、軍事施設や戦闘員に限定せず、民間人も含めた無差別爆撃をして徹底的に叩き潰してはどうか?」と聞いてみたい。こちらの答えは言うまでもなく、「有り得ない!」「馬鹿なことを言うな!」という答えが即答で返ってくるだろう。私もその意見には賛成である。大体、中東地域の不安定性以上にアメリカ本土内でのテロ行為の方が怖いから、その様なテロを誘発する様な非人道的な行為を望む人はいない。世界的にも、圧倒的な非難の声が高まるのは見えているので、国際社会での追及にも耐えられないだろう。当たり前の話である。

しかし、では次の質問はどうだろうか?「日本への膨大な数の罪もない民間人を含む無差別爆撃は許されて、ISILには同様のことが許されない理由は何なのか?」という問いである。例えば、「ISILへの無差別爆撃は、更なるテロを誘発するからNG」と言うなら、「では、従順な日本人は刃向わないから無差別殺戮をしても許されるのか?」と言う話になる(言うまでもなく、答えはNo!)。では、「ISILに無差別殺戮をすると、国際社会から非難の声が高まるからNG」と言うのであれば、「国際社会が文句を言わなければ無差別殺戮しても許されるのか?」ということになる。結局、100万人もの罪のない一般市民を生きたまま焼き殺す蛮行を肯定する様な説明はなかなか見つからない。そして最後に辿り着く答えは、「あの時は仕方がなかった!」「そういう時代だった!」ということで落ち着くことになる。

では続けて次の質問はどうだろう。大阪市の橋下市長や安倍総理(韓国人が極右とか歴史修正主義者と罵声を浴びせる様な人達)を筆頭とする人たちも、多くの場で「慰安婦の女性方が筆舌に尽くしがたい辛い経験をされたことは、その当時の価値観で『あの時は仕方がなかった・・・』などという弁解ができる様なものではなく、現在の人権に対する価値観に照らし合わせて、道義的責任を痛感する」という気持ちは表明している。つまり、これらの人々も、過去の歴史を裁くに際して、非人道的な行為に対しては「当時の価値観」ではなく「現在の価値観」で裁くべきであることを受け入れているのである。

しかるに、多くのアメリカ国民はどうであろうか?

当時の100万人もの罪もない一般市民が犠牲になったということであれば、少なく見積もってもその1/10の10万人以上は幼い子供達であろう。であれば、10万人もの幼い子供たちを生きたまま焼き殺す蛮行を、今現在の価値観で顧みた時に、どう説明すれば肯定などできるのだろうか?まさに戦意を喪失したボクサーがサンドバック状態になっているのと同様の状態で、10万人以上の幼い子供達を生きたまま焼き殺さなければならない程、米兵の命が危険な状態に晒されていたと言うのであろうか?これだけは全ての人が納得するだろうが、その様なことは有り得ないのである。

最初に申しあげたように、我々日本人は決してアメリカ政府に対して原爆投下や無差別爆撃に対する補償問題を持ち出したりはしない。しかし、それでも自らの過ちを認めようとしないアメリカに対し、我々日本人は慰安婦問題に関連し、歴代総理や官房長官が謝罪し続けている。例えば、アジア女性基金を通して歴代総理から慰安婦女性に贈られた手紙の中には次のような一文がある。

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いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。
我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。
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この様な立場は、安倍総理も橋下市長も全く同じである。少なくとも、彼らの直接的発言の何処をどうひっくり返しても、この様な立場を否定する発言などしていないのである。にも拘らず、どうしてアメリカは日本のことを「日本は歴史に学んでいない」とか「歴史を捻じ曲げようとしている」と非難することができて、どうしてアメリカは胸を張って正義を主張することができるの・・・。

これがアメリカ人に対する私の最後の質問である。

そして一言言葉を添えたい。多くの人は思い込みで物事を考えようとする。その考え方が正しいか否かは、この様にひとつづつ、事実を積み上げて顧みることで明らかになる。我々が慰安婦問題や南京大虐殺で世界に対して求めるのは、アメリカ人が「10万人以上の幼い子供達を生きたまま焼き殺したこと」に対して長い間それが正当な行為であったと誤った理解をしていたのと同様に、我々日本人が多くの過ちを犯してきたことは認めながらも、その実際とはかけ離れた桁違いの蛮行があったかのような誤った理解がなされているかも知れないという可能性に関して、もう少し事実を積み上げながら再評価して欲しいということである。

我々はアメリカの蛮行に対して補償を求めないが、我々は国際法的に有効な条約で法的責任が消滅したはずの案件で膨大な補償を求められている。道義的責任に応えようと、様々な知恵を絞って行った補償に対し、国家賠償でなければ無意味だと罵声を浴びせられている。アメリカの様々な都市には、最近、多くの歴史的事実が疑わしい反日のモニュメントが多数設立されている。上述の日本とアメリカの歴史に照らし合わせた時、これらの事実が何を意味するかをもう一度考えて欲しいのである。

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