けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

小保方氏のSTAP細胞騒動の裏側を覗く

2014-03-11 23:57:50 | 日記
今日は少々毛色の異なるお話をしてみたい。理研の小保方晴子氏のSTAP細胞にかかわる騒動についてである。

まず最初に断っておくが、私は技術者ではあるがこのSTAP細胞に関する知識を持ち合わせていないので、その真偽については技術的な議論をするつもりはない。また、小保方氏の論文にはとてもケアレスミスでは片付けられない杜撰な落ち度があり、その意味では研究論文の取り下げ&再投稿の手続きを踏まないと、後世において真っ当な評価がなされないであろうことも多分間違いないだろう。漏れ伝わる情報からすると、小保方氏はかなり若気の至り的なミスを繰り返している。その様な部分についてはそのまま受け入れるのは当然であるとして、ここでは、その様な部分を横において、その背後にある、あまり話題にならない部分について(多少の期待の意味を込めて)コメントしたい。

本題に入る前に、確か2週間ほど前だったと思うが、某ラジオ番組の中で哲学者の東浩紀氏がSTAP騒動について簡単に総括していた。既に時間が経ってしまって詳細は覚えていないが、中々鋭く的を得たコメントがあった。最大のポイントは、記者会見の中では如何にも簡単にSTAP細胞を作ることが可能であり、論文を読めば誰でも再現試験に成功しそうなようなアピールをしておきながら、実際にはSTAP細胞を作る上では秘密のノウハウが隠されていて、それを開示していないことが大きな問題だと世間から認識されているということである。ただ、その様な純粋技術的な問題であれば、(発表時もその後の疑惑報道でも)この様なフォーバーぶりはなく淡々と技術的な議論で終始するはずなのに、その技術以上に「理系女子『小保方晴子』」のプロモーションでもあるかの様な演出の仕方をしてしまっていたので、そちらの方が一人歩きして野次馬集団の餌食になっているという解説もしていた。確かに、世紀の大発見であるから多少はお洒落して発表に臨んでも良いのだが、割烹着やムーミンなど、余りにも研究に関係ないところで演出に手が込んでいたということだろう。理研の方も、政府からの研究費の補助とか、何か下心もあってその様な演出に加担してしまったのだろう。

私はこの手の生物学的な論文の常識は知らないのだが、テレビや新聞の報道などの噂で聞く限りにおいては、論文等の公表に当たって、この手の生物学的な論文ではかなり詳細な情報やノウハウの開示が義務付けられているように聞く。その様な視点からは、少なくとも小保方氏はこの情報開示義務に100%応えていないのは事実だろう。論文の記載ミスなどが五万と出てきたとしても、STAP細胞の実験がそこら中で再現していたならば、少なくともこの様にバッシングされることなく、記載ミスなどは大目に見てくれる可能性は高い。ないしは、論文の評価は地に落ちても、その大発見の評価だけは引き続き残り続けて然るべきである。それが再現実験の成功例を聞かないが為に、様々な所から非難の声が聞かれるようになった。もっと正確な情報を開示しろという要求が高まったということである。しかし、まかりなりにも別分野の技術者の端くれとして言わせて貰えば、本当にその100%の情報開示義務は正しいのかと言えば個人的には疑問に思わざるを得ない。これは小保方氏を弁護するという意味ではなく、報道機関はもう少し冷静に情報を扱って欲しいと言う意味である。

少し話は逸れるが、山中伸弥教授のiPS細胞に関しては、テレビでも色々と話題になることが多い。幾つか見た番組の中で、私は山中教授のプロフェッショナルぶりに感動を覚えたことがある。それは、研究の成果である様々な技術ノウハウは、必ず最後には特許という形で権利確保を行わなければならないのだが、この権利確保のための体制・手続きが京都大学内に完璧に作り上げられていて、完璧なサポート体制を組んで分業的に日々のデータやノウハウを取得した日時とその証拠を克明に記録していた。日本を始めとする多くの国々では、通常、特許というのは先出願主義といって先に特許庁に特許を出願した者に権利が与えられる。しかし、最近ではアメリカもその方向に移行しつつあるようだが、少し前まではアメリカは先発明主義といって、出願の有無に関係なく、先に発明をしたことが証明できれば、その人に権利が与えられるとされていた。この辺の微妙なところを防御すべく、山中教授の研究グループは日付入りの研究データの記録を徹底しており、あらゆる特許がらみの裁判で勝てる体勢を作っている。何とも恐れ入る徹底振りであった。研究者としての卓越した能力も疑いもないが、研究のマネージメントにまでも秀でていて、これこそがプロフェッショナルと呼ぶに相応しい世界的にも稀有な存在なのだろう。

しかし、通常の研究者はその様なマネージメント能力には疎いのが実際であり、確保すべき権利範囲を適切な手法で確保するのは難しい。理化学研究所がどの様な体勢で運営されているのかは知らないが、経済的にそれほど潤沢ではない研究機関であれば、特許化は研究者に任されることが多い。ワクワクするような研究とは異なり、権利化の作業は事務的な作業というべきで、第一線の研究者には退屈でしかない。だとすれば、研究の結果として世紀の大発見がなされても、それを権利化という形でサポートする体制が整わなければ、他者に権利をさらわれるリスクを残して学会発表をするような事態も十分予想される。何処かの企業に属する研究所であれば、その企業の利益を最優先するために、研究者の上司は部下の研究動向を管理し、必要に応じてサポート体制を組んだりアドバイスを行うことも可能である。権利化が十分でなければ、せっかくの研究成果を数年間に渡り発表を見合わせる指示をすることも珍しくない。実際、私もその様な道を選んだ経験がある。しかし、独立行政法人というところでは、一匹狼的な研究者が独自の研究を少人数で行い、あまり他の研究者からの干渉なしに行われているのではないかと推察する。であれば、何が起きるのか?

研究者は権利化の重要性は認識しているので、発表に際しては「情報の開示し過ぎ」を忌み嫌い、必要最小限の「論文としての体をなすギリギリ」の情報開示で逃げようと思うのが普通である。それが良いか悪いかはその専門分野のローカルルールによるのであろうが、通常は発明の明細書には、技術の肝になる部分だけは権利確保の範囲を明確にするために開示するが、付随する全てのノウハウを開示する訳ではない。つまり、それさえ分かればあまり技術のない人でも直ぐに作れてしまうという程の具体的な情報かといえばそうではない。その微妙な情報出し惜しみの駆け引きにより時間を稼ぎ、他者へのタイムアドバンテージを最大限に確保しながら、その優位的状態を少しでも長く維持することを考えるのである。

ここから先は推測の話が多くなるが、医療や製薬技術に関する特許などは、その周りに膨大なビジネスがついて回る。ひとつの発明が、膨大なお金を生むのである。だから、関連する企業や研究機関は、日々、凌ぎを削っているのである。この中では、やはりタイムアドバンテージを最大限に確保するために、権利確保に必要最低限の情報しか開示していないと推察される。例え話が適切かどうか知らないが、例えばある薬剤成分を発明し、その化学構造式を特許にて抑えたとする。しかし、構造が分かれば簡単に作れるかといえばそうではなく、製造技術に関しても相当な技術が必要になる訳である。それら全部を一度に出してしまってはもったいないので、核となる部分から順番に権利化し、付随する関連技術は少し隠し持っていたとしてもおかしくはない。STAP細胞についても、それが生むかもしれない膨大な経済的価値を考えれば、同様のことが行われるであろうことが予想できる。つまり、記者会見ではあまりにも「(お料理を作るように)誰でも簡単に作れる」と吹聴しすぎていたのだが、実際には相当なノウハウが隠されていて、そのノウハウに誰も辿りつけないので再現実験に成功していないという事態のようにも思えるのである。そんな時、競合する研究者はどう考えるのか?それは当たり前であるが、「もっと情報を出せ!俺にも一攫千金のチャンスを与えてくれ!」と思うのは当然である。だとすれば、全ての研究者が同様に再現実験が出来るほどの情報開示を小保方氏に強いるような圧力を報道機関が行っているとすれば、(それはあくまでも可能性として)この分野の主要な権利を日本で独占するチャンスをみすみす棒に振るようなことを行っているのであり、大袈裟に言えば「国益」すら損ねかねない。その辺はヒステリックにならずに冷静に対処するのが正しいはずである。

勿論、本当のところがどうなのかは神のみぞ知るという感じである。ただ、小保方氏の場合には不幸なことに、iPS細胞に関して1年半ほど前に「iPS細胞を使った世界初の心筋移植手術を実施した」という出鱈目な発表を経験しているがために、あのペテン師と同類かのような疑惑を向けられてしまうのである。多分、あのペテン師は「iPS細胞を使っただけなので、一部のマイナーなところでちょっとだけ脚光を浴びて、ことの真偽をその後に問われることなく逃げ切れる」と考えてさり気なく発表してしまったのかも知れない。しかし、常識的に考えて、今回のケースは世界を揺るがす世紀の大発見であるから、世界中をニュースが駆け巡ることは目に見えている。多くの人々が追試を試みるのは当然だし、そこで誤りであることが確定すれば、この研究の世界で生きていけないほどのバッシングを受けるのも目に見えている。しかも、理化学研究所という由緒正しい研究機関ということを考えれば、少なくとも内部的にも大々的な報道発表の前にその研究成果の妥当性を吟味していたと見るのが普通だろう。だから、どこぞのペテン師と一緒にするのは余りにも現実的でない。

かって日本では、常温核融合の発見という大失敗を経験しているが、物理現象の解釈(どの様な現象をもって、核融合と判断するかなどの基準)というようなミスが、(分野が異なるので断定はできないが)今回のケースでは入り込み難いのではないかと素人ながらには予測する。

であれば、小保方氏を筆頭とする研究グループが、その研究のマネージメントとしては余りにもアマチュアで、そのドタバタぶり故に世界中で大恥をかくのは仕方がないにしても、それがダイレクトに研究成果の否定につながる訳ではない。研究成果の価値そのものは、今後の追試によって検証されるべきである。であれば、新聞としては現時点では一喜一憂などする必要はなく、今後数年間に渡る専門家による検討結果が出るのを見守るのがスジではないかと思う。

今回の教訓として、研究能力は一流でも、その研究のマネージメントに関しては三流の日本の研究体制に対し、もう少しマネージメントのプロがサポートできる体制が必要であることを再確認したように思う。そのための予算はケチってはいけないのである。それと、もうひとつの教訓は、科学技術分野の発表を余りにも俗っぽく演出することの功罪も問われるべきなのかも知れない。

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