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十字軍(1096-1272)

2012年09月22日 | できごと

十字軍(ラテン語: cruciata英語: crusade)とは、中世西ヨーロッパキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである。

一般には、上記のキリスト教による対イスラーム遠征軍を指すが、キリスト教の異端に対する遠征軍(アルビジョア十字軍)などにも十字軍の名称は使われている。

実態は必ずしも「キリスト教」の大義名分に当て嵌まるものではなく、中東に既にあった諸教会(正教会東方諸教会)の教区が否定されてカトリック教会の教区が各十字軍の侵攻後に設置されたほか、第4回十字軍北方十字軍などでは、正教会も敵として遠征の対象となっている。また、目的地も必ずしもエルサレム周辺であるとは限らず、第4回以降はイスラム最大勢力であるエジプトを目的とするものが多くなり、最後の十字軍とされることもある第8回の十字軍は北アフリカのチュニスを目的としている。

11世紀後半セルジューク朝トルコパレスチナ占領する。セルジューク朝トルコの脅威を受けてビザンツ帝国皇帝アレクシオス1世コムネノス聖地回復を大義名分に、ローマ教皇ウルバヌス2世に支援を求めた。ヨーロッパ各地に十字軍の結成が呼びかけられ多数の王侯貴族や民衆がこれに応じた。

多くの者が殉教精神から十字軍に参加したが、教皇は東方教会への影響力拡大を望み、王侯貴族はイスラムの領土や富の収奪[6]、さらに交易が盛んな文化国家ビザンツ帝国への影響力行使を望んだ。

狂信者や野心家、無頼漢までも含む十字軍は、1096年聖戦の名の下に東方へ進軍した。利害対立によって抗争をくり返していたイスラム勢力を撃破しながら、パレスチナやその周辺を占領し複数のキリスト教国家を建設したが、寄せ集め勢力の十字軍もまた主導権争いに明け暮れ、ローマ法王やビザンツ帝国との対立も深まり、混迷の様相を呈した。利権をめぐって『敵の敵は味方』とばかり、十字軍勢力とイスラム勢力が同盟する事態さえ発生した。

また十字軍によるイスラム教徒ユダヤ教徒など異教徒への激しい弾圧が民衆の抵抗を招き、長引く戦争によって十字軍内の士気は低下し、堕落と厭戦気分が蔓延した。さらに十字軍遠征による戦費調達は重くヨーロッパ各国民衆にのしかかり、熱狂的殉教精神も次第に沈静化していった。

サラディーンによる反撃から約1世紀、1291年、十字軍は最後の拠点であったアッコンを失い、聖地から地中海に追い落とされてしまう。

Carte_croisade

  • 十字軍は、東方の文物が西ヨーロッパに到来するきっかけともなり、これ以降盛んになる東西の流通は、後のルネサンスの時代を準備することにもなった。また近東地方の優れた城郭を実地に見た諸侯たちは各地でそれに倣って改良した城郭を建てた。そのためヨーロッパの城郭は十字軍より古いものとそれ以後のものが一目で判別できるほどである。
  • 十字軍の資金調達の必要から教皇や君主が徴税制度を発達させ、西ヨーロッパの封建領主は、衰退した。
  • 東ローマ帝国は、1261年に復活したものの第4回十字軍によって受けた打撃から立ち直れずに衰退し、1453年の滅亡に至った。
  • 西欧においては、十字軍は西欧がはじめて団結して共通の神聖な目標に取り組んだ「聖戦」であり、その輝かしいイメージの影響力は後日まで使われた。後の北方や東方の異民族・異教徒に対する戦争ほか、植民地戦争などキリスト教圏を拡大する戦いは十字軍になぞらえられた。また異国への遠征や大きな戦争の際には、それが苦難に満ちていても、意義ある戦いとして「十字軍」になぞらえられた。
  • 西洋では17世紀以降、戦争を伴わない宗教的な運動をも「十字軍」と呼ぶようになり、以来さらに使われる範囲が拡大し、現在では大きな目標を掲げた単なるキャンペーンのようなものも、「ゴミに対する十字軍」「文盲に対する十字軍」などのように「十字軍」に例えられている。「草刈り十字軍」は有名。もっとも、十字軍の歴史の見直しやイスラム教徒に対する配慮などから近年では社会運動の名称などに使用されることは少なくなっている。
  • 北欧においては、近代スウェーデンフランス革命や、ロシア帝国によるポーランドに対する弾圧に対して欧州諸国に十字軍を呼びかけている。フランス革命においては、「反革命十字軍」と言われている。しかし19世紀に入ると最早、十字軍の名の使用は時代後れとなっていた。
  • ロシア帝国皇帝アレクサンドル1世も、オスマン帝国に対する十字軍を構想している。
  • 2000年3月12日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は十字軍や異端審問などについて「異端に対する敵意を持ち、暴力を用いた。これらカトリック教会の名誉を汚した行いについて謹んで許しを求める。」として謝罪した。さらに、2001年には十字軍による虐殺があったことを正式に謝罪した。これはカトリック教会にとって、十字軍の評価に対する大きな転換であった。
  • 2001年アメリカ大規模テロ事件では、ブッシュ米大統領が「this crusade, this war on terrorism(これは十字軍だ、これはテロリズムとの戦争だ)」と発言し、イスラム教の反発を受け撤回した。しかし、ブッシュ政権によるアフガニスタン侵攻イラク侵攻を「第十次十字軍」と呼ぶ者もあった。