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トラバント

2017年04月26日 | 社会
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VEBザクセンリンク
トラバント
トラバントP50
Trabant P50 front.jpg
トラバントP601L(フランス・ミュルーズ、自動車博物館蔵)
Trabant 601 Mulhouse FRA 001.JPG
販売期間 1957年 - 1990年
乗車定員 4人
ボディタイプ 2ドアセダン/2ドアステーションワゴン
エンジン 直列2気筒2ストローク空冷エンジン横置き配置594cc (P601)
駆動方式 FF
変速機 4速MT(コンスタントメッシュ)
全長 3,555 - 3,560mm
全幅 1,504 - 1,510mm
全高 1,437 - 1,467mm
車両重量 620 - 660 kg
ブレーキ 4輪ドラムブレーキ
先代 なし
後継 トラバント1.1
-自動車のスペック表-

トラバントTrabant)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)のVEBザクセンリンクドイツ語版社が生産していた小型乗用車である。「トラビ」 (Trabi) の愛称で親しまれた。名称はドイツ語で「衛星」「仲間」「随伴者」などを意味する語。1957年に打ち上げに成功したソ連の人工衛星「スプートニク1号」を賞賛して命名された。

 

 開発までの背景
トラバント生産工場(1990年3月15日撮影)

メーカーは、東ドイツ時代にカール=マルクス=シュタット県(現在のザクセン州)にあったツヴィッカウに所在した、東ドイツ国営企業のVEBザクセンリンク (VEB Sachsenring Automobilwerke Zwickau) である。第二次世界大戦前のドイツを代表する民族系自動車メーカーアウトウニオンの旧工場のうち、高級車ホルヒの生産拠点で、第二次世界大戦後、東ドイツ地域に含まれたツヴィッカウ工場がその前身であった。

アウトウニオンは元々ドイツの民族系自動車メーカー4社が、外資対抗のため1932年に大合同して成立したメーカーである。オートバイ及び廉価な大衆車DKW、上級小型車をヴァンダラー、中型車をアウディ、大型高級車をホルヒという形で分担した。

このうち1904年創業のDKWは、第一次世界大戦後に自転車補助動力用の2ストロークエンジンを開発して以来、1920年代にはオートバイメーカーとして急成長、1928年からは2ストロークエンジン搭載の小型乗用車生産にも進出して、アウトウニオン結成の中核ともなった企業である。DKWは1931年に、大衆車としては史上初の量産型前輪駆動車である500 cc車「DKW・F1」を発表、以来前輪駆動方式を得意とし、同じアウトウニオン系のアウディにも前輪駆動を導入するなどの進歩性を見せていた。

VEBザクセンリンクは、ホルヒ工場を引き継いだ1949年以来、戦前形DKWの同型車および第二次大戦直前の試作車であったDKW・F9をベースにした800ccクラスの2ストローク前輪駆動車を製造していた。

しかし1956年以降、このクラスのモデルについてはBMWアイゼナハ工場の後身であるアイゼナハー・モトーレンヴェルクが生産することになり、1957年モデルチェンジでアイゼナハから3気筒900cc車のヴァルトブルクが登場した。ザクセンリンクはより小型のモデルを担当することになり、戦前のDKW系ベーシックカーのリバイバルともいうべきクラスのトラバントを開発することになった。