再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

“ゆくエコ、くるエコ”から想起したこと

2009-12-19 11:07:01 | コラム

日本のCO2排出量は、地球全体の5%足らず。それに比較すると、米国と中国を合わせると地球全体の約40%と、日本の8から10倍の規模である。

その日本の中期削減目標が90年比15%削減であろうと25%削減であろうと、地球全体から見れば物理的には大勢に影響はない。

つまり、日本は地球温暖化問題においては、幸か不幸か大国ではなく、アジアの極東にあるほんの小さな国に過ぎない。ということは、国際的には影響力の小さい極めて弱い立場なのだ。この自らの立ち位置は、われわれ自身がしっかり認識して、今後の自らの姿勢や行動を決めるべきである。

さらに言えば、小国に過ぎないという謙虚さがわれわれ日本人すべての発想の原点になくてはならないと思う。

ただし、だからと言って、温暖化問題に対して、何も考えず何も行動しなくてもいいと言っているのではない。また小国の無力感を嘆いているのでもない。

むしろ、小国だからこそ、何ができ、何をすべきかを考える必要があると言いたいのだ。

明治初期、われわれの諸先輩は、西欧列強諸国を「坂の上の一筋の雲」にみたてて、そこに追いつこうと必死に努力した。その背景には、黒船来訪以来、自らの国が弱小国であることを悟り、大国に学び、少しでも近づきたいという謙虚さがあった。

さて21世紀初頭の現在、地球環境問題における小国日本は、なにをそしてどこを目指していくべきだろうか。そして今、われわれが登るべき坂には、目指すべき「雲」は見えているのだろうか。

コペンハーゲンCOP15での紛糾が物語っているように、われわれのみならず、世界全体が目指すべき「雲」を必死に模索している状況ではないのか。

であるならば、小国日本こそ、自らがこの「坂の上の一筋の雲」にならんと考えるべきではないか。そのためには、どうすればいいのか。

「いくエコ、くるエコ」から、「くるエコ、いくエコ」へ。

エコを受身的に待つ姿勢(「くるエコ」)から、能動的にチャレンジしていくこと(「いくエコ」)。他国の動向を見ながらではなく、自らの意志と信念で進む。

われわれ日本人こそが、さまざまな次元での環境問題に接する時、自らが主体的かつ先導的に動く姿勢であるべきではないか。

地球全体から見れば、物理的な影響力の小さな国の行動であっても、きらりと光る世界の模範となることは十分に可能である。

日本人には、一旦決意すれば、その英知と団結力がある。真のリーダーの基本姿勢は、いつの時代でも率先垂範であると信じる。

そして、世界中の国々から、「日本は低炭素社会における理想郷」だと思われるような「坂の上の一筋の雲」になりたいものである。