稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№106(昭和62年11月28日)

2020年04月14日 | 長井長正範士の遺文


指導しなければなりません。あらゆるスポーツの大会の宣誓で戦うという言葉はつかっておりません。「スポーツマンシップに則り(お手本として)正々堂々と競技(技をきそい合うこと)することを誓っております。

ここでもう少し詳しく申しますと、正々堂々とは初めから終わりまで正しく正しく雄大に立派にということで、スポーツマンシップとは、運動する者は、運動する精神(正々堂々と競技する精神)のことを言いますが、〇アメリカでスポーツマンシップを「規則を守れ、友人と約束を守れ、怒りを押さえよ、健康を守れ、負けても落胆するな、勝ってもその誇りに酔うな、健康な精神、冷静な気持、健康な身体、競技を楽しむ」ということをスポーツマンシップだと定義ずけているのです。このスポーツマンシップを日常生活にとり入れているアメリカ人を見習わなくてはなりません。

今の日本の少年剣道など、試合、試合で勝たんがための剣道と思って、勝っては飛び上がってよろこび、負けてはくやしがり、それが剣道のすべてだと解釈しているようですが、現代のスポーツより、今の剣道の方が程度が低いということを自覚しなければなりません。現代のスポーツの方が遥かに精神内容が進んでいるのです。これについて一~二の例をあげますと、先ず野球の話になりますが、往年の巨人の監督でありました川上哲治氏(9年連続して日本一として優勝させた名監督)が、巨人の選手に「チームプレー精神の話をされたことがあります。先ず第一に、プロ選手のみんなは、一般のサラリーマンの方より高い給料を貰っているが、これは澤山入場して下さるお客さんのお陰である。心から有難いことである。と言って感謝の念を植えつけました。そして第二にホームランを打ったのは俺だから、殊勲賞を貰って当然だと思うな、塁に先に出ているチームメートのお陰ですという考えを持たねばいけない。(この時ヒット、安打で既に二人が塁におりました)確かにホームランを打ったことによって三点入って勝った。然し、自分一人の力で出来たのはホームランの一点だけなんだ。二人のチームメイトが出塁していてくれたからこそ、三点入り、ホームランが勝利につながったのである。ここのところを正しく理解することが、チームプレーの心につながるのだよ。と、こんこんと言って聞かせたのです。

さすが名監督だけあって立派なことを言っておられる私も感銘を受けたものです。尚、川上氏も仰ってましたが、スポーツは単に技術や体力を競うだけでなく、ルールの中で自己の最善を尽すことがその目的であります。つまり団体競技を通して、みんなは他への思いやりの心と、何事も、自分一人の力では出来ないことを学ぶことが大切であることを以上の実例で認識を新たにして頂きたいと思います。さて本論にかえって、此頃の剣道は試合が多い結果、試合に勝つための試合用の剣道になり、本来の剣道が見失われつつあることは大変嘆かわしいことで、これは聞いた話ですが、某県のある道場で指導者が特練の少年に「只今から試合用の面を打て」と試合用に考案した面を打たせ、又、今度は審査用の面を打たすという誠に嘆かわしい指導をしているようで、勝つためには手段を選ばず、当てればすぐ引きあげ、あろから打たれないよう走りまくるようになり、剣道に大事な残心どころではないのです。これは少年を責めるより大人の指導者に猛烈なる反省を促したい。又、審判員も少々の引きあげぐらいはと思って、見逃して、本人の有効打をとっているから余計悪くなって行くので、剣道指導上、審判の役割がどれほど大切か皆さんも、とっくにご承知の通りであります。残心の大切さについては、野球のほか、他のスポーツ等についての具体的なことを次に申し上げますと。続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする