稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№108(昭和62年11月30日)

2020年04月24日 | 長井長正範士の遺文


ゆっくり握っているのである。それでいて、客に間をおかずに出している。さてよく注意して見ると、握る回数がすくなく、そっと出しているのです。然も、くずれず、ネタとシャリが見事に調和して、にぎりが生きて光っている。私は思わず「これだ!」竹刀を握る手の内、打った瞬間の手の内、その直後の手の内のゆるめ、何かここに共通した筆舌に尽しがたいものを感じとったのです。私はこんな経験を持っているだけに、テレビに映った取手の名人の話に打たれたのであります。

さて、名人という言葉をつかいましたが、それでは一体世にいう豪傑と名人とはどれほど違うか、次に作り話ではありますが、申し上げておきたいと思います。(私なりに脚色して書いておきます。)先ず豪傑から(豪傑については過日金曜の朝げいこの時にお話ししましたが、皆さんの要望で記録しておいてほしいとの事でありますのでここに書いておきます。)

〇豪傑について。
昔、東(あずま)の国に、われこそは日本一の豪傑であると自認していた侍がおりまして、文字通り天下に有名を轟かしておりましたが、いよいよ死ぬ間際になって、辞世の歌を残して逝った。その歌が奮っている。

「今ゆくぞ 鬼も閻魔も油断すな 隙があったら極楽へ飛ぶ」と。

これを要約いたしますと、俺は今まで随分無茶なことをやって来た。又、さんざん悪いことをして来たから、死んだらきっと地獄へゆくだろうが、地獄で鬼も閻魔も油断するなよ、隙があったら極楽へ飛んでいってやるぞ、と、死の直前まで強気の歌を詠んで逝ったので、このうわさが、パッと広がって、世間の人々は口を揃えて、なるほど、豪傑とはあんな人を言うんだと賞賛いたしました。

然し豪傑にもライバルがあるもので、このうわさを聞いた九州一の豪傑が、あ奴が日本一と?チャンチャラおかしい、俺こそは日本一にふさわしい豪傑だ。俺はあ奴のように、そんなにまでして極楽へ行きたくないわい。あ奴は何とかうまいことをいうちょるが、本当は極楽に執着心があるから、うまくごまかして詠んどるが、まだまだ豪傑には程遠い、俺は死ぬ時は、そんなにまでして無理して極楽へはゆきとうはないわい。俺ならこう詠む。と辞世の歌として詠んだのがまた面白い。

「極楽へ、さほどゆきたく なかれども、弥陀を助けに ゆかにゃ なるまい」と。

俺も地獄へ落ちてゆくだろうが、あ奴みたいに、極楽へ、さほどゆきたくないが、あの世で、極楽往生した沢山の佛達の世話で、阿弥陀さんが、人手もなく、大変いそがしく困っておらっしゃるだろうから、こりゃ一つ手助けにゆかにゃならん責任があるから、行かんわけにはいかんのだ。と詠んで、どうだ俺のほうが遙かに上だ。と威張っているという話ですが、一寸待って下さい。結局、二人とも極楽へゆきたいという執着心には変わりなく、真の豪傑と言われそうにない。真の豪傑は酒色に溺れず、嗜(たしな)んでその域を超えず、日夜精進し、如何なる事態が起きても動じない、心構えを養い得た、すべてに並はずれた、すぐれた人物を言うのであります。それでは今度は名人とは如何に。次に述べましょう。

※豪傑については過日金曜の朝げいこの時に、お話しましたが、皆さんの要望で記録しておいてほしいとの事でありますのでここに書いておきます。


【編集記】
この記事は、2017年12月23日の記事とほぼ同じ内容になります。
長井藩士は、連番のものと、配布用に書いたものと、同じ内容で2種類書かれたと推測します。

豪傑について(昭和62年11月30日)
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20171223/
コメント
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