稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

№103(昭和62年11月19日)

2020年04月10日 | 長井長正範士の遺文


一、あらゆる生物に生命力を与えるのは水なり。
一、常に自己の進路を求めてやまざるは水なり。
一、如何なる障害も克服する勇猛心と、よく方円の器に従う和合性とを兼ね備えるは水なり。
一、自ら清く、他の汚れを洗い、清濁併せ容るの量あるは水なり。
一、動力となり、光りとなり、生産と生活に無限の奉仕を行い、何等報いを求めざるは水なり。
一、大洋を充たし、発しては蒸気となり、雪となり、雨となり、雪と変じ、霞と化しても、その性を失わざるは水なり。
水を心とすることが、平和と健康と長寿の妙薬であります。以上

〇今度は話題をかえて私が若いときから尊敬します松下幸之助老師(老師という言葉を敢えてつかいたく№90に書きました私の真意ご理解乞う)のお言葉を申し上げたいと思います。皆さんは面をかぶって稽古している気持で聴いていただきたいと思います。

相手が、こうするから、自分もこうしよう。こうやってくるなら、こう対抗しようと、あれこれ知恵をしのって考える。そして次第に進歩する。自分が自分で考えているようだけれども、実は相手に教えられているのである。相手の刺激で、わが知恵をしぼっているのである。敵に教えられるとでも言うのであろうか。敵がなければ教えもない。従って進歩もない。だからむしろ、その対立は、対立のままにみとめて、互いに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいのである。つまり対立しつつ調和する道を求めたいのである。それが自然の理というものである。共存の理というものである。そしてそれが繁栄の理なのである。と仰っています。

これはもう随分昔のことで、私が五十才そこそこの時でした。当時は私はまだ種苗園芸店をやっておりましたが成程と感銘致しました。お客さんが、店に入って来て、何かないか何ないかと旬のタネや苗を入れかわり、たちかわり聞いてくるので、初めは、そんなのおまへんと、内心、うちにあるタネや苗を買ってくれないで、無いものばっかり買いに来よる、と不機嫌な顔して言っていましたが、ふっと、アッそうだ、お前とこばかり買いに来ていいるんやから、どこそこのタネヤが売っているあのタネをお前とこにも仕入れて売ってくれれば都合よいんだ。平素ちっともあのタネ屋に買いに行ってないのに、そのタネだけ買いに行くのに一寸気がひけるから・・・・と言って私を可愛がって下さる百姓さんに何んと無礼なあさましい応対をしたんだろうと後悔し、お客さんが、あそこに売っているタネは今新品種で増産形だからお前とこも時代におくれんよう、得意をあの店にとられんよう、あのタネを置きなはれや、と教えて頂いているんや、なんでもっと早く気がつかなんだやろうと客に頭を下げ感謝しましたのですが、これに類した自分と客との応対は年月の経つにつれ、松下幸之助老師に学ぶところ非常に大なるものがあり、これが、ひいては剣道の心構えにどれほど役立ったか、はかり知れません。

ある時は又、松下幸之助老師は「社長が会社を経営して、よう儲けもせず、損ばかりして社員にろくざま給料を払えずよう養って行けない者は国賊だ。」と仰ってました。「國の土地をあずかって、そこに社屋を建て多くの社員の生活を保証するためには儲けにゃあかん。儲けてこそ国が繁栄するのである。それをよう儲けもせんで国に損害を与えるもんは国賊と言うんやと堂々と明言された事を今も尚はっきりと覚えています。私は戦後長い時、矢田駅前でタネ屋をやっていましたが、すべて松下老師を私淑し、商売の勉強と共に剣道精神を活かし、お客さんは神さんと心がけ晩年にはタネを売るのじゃなく、長井の心を買いに来て下さるんだと、その心に感謝し、タネや苗の品物を売るのではなく心を売らなければならないことを悟りました。蛇足ですが数年前の某銀行さんのたって私の店(駅前の一等場所の角店でありましたので)買いたいというので、もうこの辺が潮時と売却しました。この時の私の経験がどれほど役に立ったか。有難いことです。この項終わり。

〇次に人生の極意とでも申しましょうか、面白い中にも教えられる事を書いておきます。
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