稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

No.20(昭和60年12月1日)興生産業株式会社の社是から

2018年09月01日 | 長井長正範士の遺文


○巽義郎君(前述した、やまびこ会館を作った竹馬の友)に教えられた事
(以前お話したことをまとめました)

もう十五年も前の話だが、或る日、東成区にある彼の会社
(電機、機械工具の興生産業株式会社-当時社長-現会長)を訪れた時、
「長井君、長い間、考えぬいた挙句、ようやく出来たんだが会社の社是を見てくれ、
どうかな、もっといい表現の仕方あれば直してくれ」と相談を受け、
その社是を見て驚いた。そこには、

『売る商品に心を乗せて、物皆に感謝し、商売を楽しむ無欲の欲』

と書いてある。私はそのすばらしい社是を見て暫くは絶句した。
その間、私の脳裏に剣道もそうではなかろうかと、
遠慮がちに教えてくれる彼の友情に万感胸を打ち「うーん」と思わず唸ったのである。

私は直すどころか、この社是こそ即ち剣道の精神と教えられたのである。
数日後、彼の依頼により額用にと書かせて頂いたが、その後、会社を訪れるたびにこの額を見て、
わが字ながら益々道の深遠なるを思い知らされるのである。

「売る商品に心を乗せて」=剣道で構えた時、相手に対し、自分の最高の道徳を竹刀に表現してゆく。

「物、皆に感謝し」=大宇宙、大自然のすべてのものに感謝報恩の念を抱き

「商売を楽しむ」=剣道を楽しむ境地まで進まねばならぬ。
 即ち三昧(精神を一事に集中し、心のおもむくままに余念がない)の境地。

「無欲の欲」=非常に意味深遠で簡単には表現出来ないが、
 商売で金を儲けたいのは山々だが、その欲の心を押さえ、
 捨て身のサービスをするところに薄利だが結局、儲けさして頂く。
 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの如し。

一体商売ではよくある事で、
去年ある商品が大変値よく売れたが品薄で、結果として余り儲からなんだ。
今年はこのような事のないようにと安い時に澤山仕入れてひと儲けしようと、
たくらんでいたが、いよいよ販売の時期となると値下がりしてさっぱり売れず、
持ちになって赤字になった例の如く思わくは禁物である。

剣道も己だけの調子で打ってやろう勝ってやろうと
打って出たら必ずやられるのと同じである。

このように自分の欲を一切捨ててしまうところに生きる道があるので、
剣道精神も亦、一刀流の切落しの精神から出ていると言っても過言ではあるまい。
このような意味で巽義郎君をただの親友でなく心から尊敬しているわが師と思っている。完

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【粕井注記】

興生産業株式会社のホームページを拝見すると社是があった。



↓興生産業株式会社のホームページ
http://kousei-sangyo.co.jp/outline/index.html

コメント
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