渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

2021年08月30日 | open


「昔、うちの家のとこは海だったん
だ」と三原市街地住まいの人が言う。
「あー、うちもうちも。親の家のと
はズッポシ海だった」と私も言う。
というか、三原の市街地は戦国末期
に埋め立てられて城が海の中に作ら
れるまでは一面海だった。

多分、室町時代までの今の「三原」
から見た海はこんな感じだっただ
ろう。(撮影私)


これは現在の「はたの山」から観た
三原の海。


これは別地方だが、地形の似た場所。
記録から復元すると、海上に城郭都
市が城が作られる前は三原はこのよ
うな地形だった筈だ。


さしずめ、これは糸崎か。古式では
糸碕と書いた。


糸崎は飛鳥奈良時代からの瀬戸内海
航路の補水地として重要な地点だっ
た。井戸崎が古名だ。別名「長井の
浦」。補水潮待ちで長居したのかも
しれない。糸碕の岬の東側が尾道に
なる。
糸崎は万葉集にもみられる土地だが、
今のように多くの民家などはない。
ハシケと神社があったのみで、山側
の寒村に百姓家がぽつりぽつりとあっ
た程度だった事だろう。
ただし、補水地としての歴史は古い。
それゆえ、広島県内で一番古い神社
は三原市の糸碕神社という事になっ
いる。
それでも天平元年(729年)からだ。
8世紀である。
古墳群がある現三原市西部の本郷地
のほうが三原などよりずっと遥か
に歴史が古い。
本郷近隣や渟田(ぬた)川流域には弥
時代、縄文時代の遺跡も多くみら
れる。
古墳群あるところ、必ず古代製鉄の
歴史あり。

三原市街地は出島や東京月島のよう
な新造埋め立て他であるので、現在、
内陸部の農村以外の三原市街地に住
む人たちは全員が「よそ者」である。
我が家とて海上に三原城築城後に転
住した350年来の三原城内、城下住
まいとはいえ、元々は「よそ者」だ。
まして、明治以降に三原に住した人
たちは「よそ者」中の「よそ者」と
いえる。
元々は海しかないので、三原は全員
がよそ者。ウッホウッホの時代から
今の三原になど住んではいない。
海なのだから。住める道理がない。
三原人は、全員が自分たちはよそ者
であると知るがいいと思う。
「地元意識」があるとしたら、それ
は歴史が浅く、明治以降のついこの
前あたりから作られたものだ。

同じよそ者しか住んでいない土地に
ここがある。


三原は戦国末期に大開発で造られた
海上都市の「城下町」であるが、こ
の横浜は岬の出っ張りの横の浜を
埋め立てて新造した港のある「港町」
だ。
三原は城下町、横浜は港町。都市建
設の目的が異なる。三原では漁師さ
えよそから入って来た人間が漁業を
やっている「城の町」だ。武士が
明確な目的を以って建設した軍事都
市なのである。
横浜は、開国のための築港を迫る
欧米列強に対し、幕府が得意のごま
かしで神奈川の港を開放するのでは
なく、へんぴな南方のど田舎に港を
作って「ここも神奈川にござる」と
列強を欺罔した歴史を持つ。
横浜と神奈川は現在ではすぐ近くに
感じるが、徒歩での江戸期にはかな
り遠い。
しかし、横浜に外国の黒船が入港し
て制海権を押さえられると、横浜と
神奈川の距離などは「へ」でもない
のに、幕府は太平の眠りでボケてい
て理解できていなかった。
結局、下田沖という遥か遠方から
江戸湾の懐まで外国船を入れさせる
事になったが、これは世界的な時代
の趨勢だ。
攘夷などはファンタジーでしかない。
事実、尊皇攘夷を口にして内戦によ
る暴力で政権を奪取した薩長芸土肥
の西方がねつ造した明治新政府は
攘夷などどこ吹く風で、幕府側が
戊辰戦争前に懸案していた事をその
ままやった。開国文明開花だ。
だが、幕府は帝国議会の設置を試案
で持っていたが、薩長の明治新政府
が帝国議会を開いたのは、明治にな
ってから23年後だった。
それまでは憲法さえ無く、すべて
上意下達の一方通行の専制的中央集
権体制で太政官布告を法令代わりに
していた。
法制史を学ぶと、明治初頭の太政官
布告は朝令暮改で混乱を極めていた
事がよく判る。有り体に言えば出鱈
目。オイコラ警官の胸先三寸のよう
な事が国家レベルで行なわれていた。

横浜は、浜そばの土着の百姓たち以
外は住人全員が備後三原と同じく
外からの入植者だ。全員が「よそ者」。
しかし、横浜の場合は、開港以来早
くから開かれた日本一の港、都市で
あったため、人の人柄、土地柄は極
めて開明的だ。よそ者排除意識は
持たないのが特徴だ。そもそも自分
らがよそ者であるのに、人に対して
よそ者だから云々という事は成立し
ない。
論理として成立しないのにそれをや
るとしたら、相当に頭おかしい。
カッペがカッペにカッペと言うド間
けなのだが、存外、横浜以外の地
方ではそうした意味不明の言動を為
している者たちも多くみられたりす
る。とても狭い。視野が。
自分に向かって唾を吐く事になって
いるのを自覚していない。
これは日本全国どこででも見られる。
東京では、山の手(旧武家地の山の手
ではなく、環状6号山手通りより外の
在のほう)のさらに外の世田谷や杉並
あたりにそうしたド勘違いのカッペ
が多くいる。東京の場合は、それら
はザーマスの一族という木で鼻を括っ
たような種族が棲息している。
吉祥寺の「まことちゃんハウス」で
の住民訴訟では、ザーマスたちが
漫画家楳図かずお氏のゲストハウス
の紅白外装が「この町にはふさわし
くない」「気分を害する」として工
事差し止め、取り壊し訴訟を提訴し
た。
住民側提訴は全て敗訴した。
受けた弁護士も、よくそんなタコ
訴訟を受けるなとは思うが、民主主
義の趣旨を理解してないのだろう。
それらのザーマスの種族の住人たち
と共に。
特定個人を地域の住民が集団的に排
斥する訴訟がまかり通ったとしたら
この世は闇だ。
騒音を出したり、ゴミ屋敷にして
いたり、違法路上駐車をしている訳
ではない。住居の外装の色が気に食
わないからと集団いじめのような事
をする。
東京にも存在するどカッペのトンチ
キだといえる。

景観だけならば、港のある町は見栄
えが良い。
こんな町に住みたいとか思うもの。


日本にも似た町がある。


海がある町はいいなあ、と思う。
ただ、海のある町に住んでいても、
海があるのはそれは自分の手柄でも
功績でもない。
ド勘違いをして、間違っても、自分
の土地の景観や風光明媚な点を「誇
り」に思ったりしてはならない。
そこに住む人間は、たまたまそこに
住んでいるだけであり、海や山や川
や景色は、万人のものであり、そこ
に住む人間が作ったものではないか
らだ。
橋やビルや塔などは、「どや?」と
自慢しても不整合はないが、山海の
景色を自慢して誇りに思ったりする
程おバカな事は無い。
しかし、これも案外勘違いしている
間抜けは多い。
マスコミでさえ、そうしたレベルの
意識性に依拠して地方番組をこさえ
たりしている。
マスコミは間抜けではない。地方人
の意識のレベルに合わせて番組を作
って視聴率を狙う狡猾な集団である
だけだ。

それでも、海や山や天空は、そうし
た人間たちの薄汚れた思惑とは無縁
で、ただそこにある。
その存在は、見ていると、いかに人
間がみみっちいものかを知らしめる。



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