渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

萬屋錦之介と浜木綿子の最高の演技

2021年03月25日 | open

木颪の酉蔵 ~ 浜木綿子さんが演じた女親分

2016/06/29に公開
(動画投稿者説明文)
木颪の酉蔵:「子連れ狼」"あんにゃ
とあねま"
に登場した房州の揚屋・
女衒の元締め。

萬屋錦之介版の子連れ狼では浜木綿子
さんが演じました。 拝一刀とのやり取
で見せた貫録と美しさはひときわで
した。

私もそうですが、この役は浜木綿子さん
でこそ演じきれたと思う方、たくさん
いらっしゃるのではないでしょうか。

子連れ狼 
第一部 (1973年4月 - 1973年9月)

日本テレビ放送網
製作:ユニオン映画、
スタジオシップ
第三話 あんにゃとあねま

拝一刀 - 萬屋錦之介
大五郎 - 西川和孝
木颪の酉蔵 - 浜木綿子
お松 - 竹下景子
--------------------

アクションだけなら若山富三郎
先生が最高だが、演技力では萬
屋錦之介が圧倒している。殺陣
はてんで×だが。
「子連れ狼」の原作にほれ込ん
で映画化した若山富三郎先生だが、
ドラマで中村錦之助が主人公の
拝一刀を演じることになった時
に憤慨し、日本刀を持って殴り
込みに行こうとして周囲に止め
られた。「勝負だ!」と怒鳴って
いたらしい。
演劇のことなら演技で勝負すれ
ばいいとは思うが、そうとはな
らない。
実際に若山・勝新ラインからの
圧力で、ドラマ子連れ狼は撮影
は継続することができたが、勝
プロの提供配信という力技で
若山先生はねじ伏せた。
天下の俳優錦之助もこれには
対抗できなかった。芸名を萬屋
錦之介とまで変えて意気込んで
臨んだドラマ作品だったのだが。
奇しくも、萬屋版子連れ狼は
元祖若山版の映画を大きく上
回る人気で、世界中でも放送
されるほどになった。
それにはとにもかくにも、萬屋
の演技によるものが大きかった。
そして、助演俳優陣が実力者揃
いだったことだ。
この「あんにゃとあねま」の編
では、女衒をも支配する忘八者
のカシラの酉蔵を浜木綿子が演
じている。香川照之さん
のお母
さん。
若山版映画でも同人が同役を演
じたが、このドラマ版の時の浜
さんの酉蔵が最高に良い。一つ
の台詞でも声色の変化と声の色
の抑揚が素晴らしい。
映像を見ずに音声だけ聴いてい
ても唸らされる。本物の女優、
本当の俳優だ。息子の香川照之
は性格俳優として活路を開いて
いるが、この母、凄い。
さすが元宝塚トップ娘役の人。

昔のドラマや映画が凄く良い
場面が多いのは、それは俳優
たちがきちんと「演技」をして
いるからだ。
キャメラも長回しでずっとワン
ショットで撮る。編集のごま
かしは利かない。
俳優たちはそれが仕事であり
プロなので、ビシッと決める。
勝負どこだから当然にプロは
ビシッとやる。
現代の能書きだけ垂れてて演
技力ゼロの勘違い男優や女優
たちとは大きく異なる。
昔の大物俳優は「先生」と呼
ばれないと仕事をしない程に
居丈高になってはいたが、仕事
だけはビシッと決めていた。
それゆえ、「作品」においては、
その役者の演技を見ることは
芸を見ることなので、やはり
そこには一つの芸事としての
芸能の才能を見ることができる
という幸運に観客や視聴者は恵
まれることになる。
この「あんにゃとあねま」編
の浜木綿子の酉蔵の台詞回し
と演技力はただ物ではない。
今の女優さんにこれを演じられ
る人がいるだろうか。
まったく今の女優さんを思い
並べても誰もできそうには思
えない。
そして、一刀の萬屋錦之介だ。
ドラマ三部作では最初から最後
まで、錦之介の演技が素晴らし
かった。
その何十年後かの白い犬のお父
さんが何を勘違いしたのか子連
れ狼の拝一刀を演じたが、あま
りにもシドすぎて見るに堪えな
かった。たぶん、原作も読んで
はいないだろうし、拝一刀の
キャラを理解してもおらず、
ぶち壊しだった。

原作の拝一刀は抜刀術の達人
で、短めの堅牢な戦場刀を愛
用する。
萬屋錦之介はそれを踏まえ、
実際に水鴎流を習いに宗家の
ところに通った。
覚えは悪かったそうだが、熱
心だった。
そして、その刀術所作が、放
送回が進むごとにどんどん磨
かれてきていた。
子連れ狼終了後の東映の最後
の打ち上げ花火である映画
『柳生一族の陰謀』ではかな
り練れた刀技の姿を見せていて
見苦しくはない。

萬屋錦之介の子連れ狼、元公儀
介錯人拝一刀。


座し方からしてれっきとした
武士の血筋である事を滲ませ
ることが作中でできている。
武家文化の一つとして、座り
方ひとつで、その者が武士の
血脈か、そうではないかが即
断できる、というものがある。
また、それの武士の文化の内
実を本当に詳細に知悉するこ
とが、時代劇を演じる俳優や
作品製作者の骨格でもある。
そして、役者ではなく現代の
一般人でも、見よう見真似で
取ってつけたように真似して
コピーをやっている者は、見
る者が見たら即似せ物の贋物
と判ってしまう。
「人は武士」の香るようなもの
が一つも無いことが存外簡単
に見抜かれてしまうからだ。
実はそれは写真にも出てしまう。
血は争えないとは恐ろしいもの
だ。
例えば幕末の海援隊の饅頭屋
長次郎なども、写真を見ると
「おまん武士やなかろうが」と
いうのが判ってしまう。
いくら刀を差してもバレて
しまうのだ。
侍のカッコしていても、バイク
でいう
ところのような覚束
ない乗り様は見えて
しまう。

若山富三郎先生の最悪な点は、
サウスポーなので右手で箸が
上手く使えなかった事だ。使
えないどころか、ちとひどい。
若山先生がどんなに気を入れ
て拝一刀を演じようとも、ど
んなに凄い太刀さばきを見せ
ようとも、箸の持ち方があれ
では、役柄的に百姓崩れのや
くざ者にしか見えない。そん
な箸の使い方を若山先生は見
せてしまっていた。
あれでは到底公儀の高禄の武
士とはいえない。
断じて武士らしからぬ所作ゆえ
にて残念至極に御座候。
そうしたことを微塵も感じさ
せず、作品の役に徹すること
ができるのがプロ中のプロだ。
萬屋錦之介が凄いのは、プラ
イベートな素顔は伝法な言葉
回しのおっちゃん風味全開な
のに、役どころによって弥太
っぺになったり、一心太助に
なったり、宮本武蔵になった
り、柳生但馬守になったり
することができたことだ。
このあたりが、何をやっても
同じキャラにしかならない高
倉健や津川雅彦や田村正和と
は大きく異なった。
(健さんは日本人の青年ガン
マン役でハリウッド西部劇
映画に出演したことがあるが、
その作品の日本語吹き替え
版は健さん自身がこなした。
つまり声優業として。これが
驚くほどに巧い。
健さんが大根と思われる誤認
も世間にあるのは、表情の演
技の範囲の狭さによるものだ
ろう。台詞回しのみ取ると高
倉健はめちゃくちゃ巧い)

錦之助は本物の「役者」なのだ。
意外なところでは三船敏郎が
演技が良い。
なにかと豪胆な武士の役が多
かったが、インテリジェンス
ある青年画家の役なども見事
にこなしていた。見事。
だが、最高は『七人の侍』の
菊千代だ。
あれはどう見ても三船ではな
く菊千代にしか見えない。あ
れは凄い。
そういうのがプロだ。
世界的な名作『七人の侍』の
光るところは、監督が俳優の
演技を徹底的に引き出してい
る点だ。映像効果等でよく
話題に上る『七人の侍』だが、
俳優陣の演技力を見事に引き
出している監督の手腕が物凄
いのが『七人の侍』だ。
映画ファン、時代劇ファンなら
観るべし。
あと、武家文化を研究する者
も観たほうがよい。クロサワ
はよく解っている。なにがど
うであるのか、を。それが表現
映像として結実したのが『七人
の侍』だ。世界最高傑作映画。


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