渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

正統『道頓堀川』(1982)

2022年06月24日 | open



































これが本物の正統派『道頓堀川』。
1982年5月から放送されたNHK
の銀河テレビ小説だ。
宮本輝の原作にかなり忠実。
残念ながら、ビデオもDVDも
市販メディア化されていない。
このドラマの放送時の1982年
5月に深作映画版は大阪ロケが
行なわれていた。

このドラマ、シナリオが原作に
忠実である事が評判で(時代は
戦後ではないが)、深作の松竹
映画版はかなり色が違うので原
作マニアには映画版は評判はよ
ろしくない。
あれはあれで別物と観れば、一
つの完成形なのだが、マニアた
ちにとっては度し難く許せない
のが映画版らしい。
テレビドラマのほうは、本物の
大阪人が多く出ているので大阪
弁に隙が無い。映画版は大阪人
は街の野次馬でセリフありの役
者以外ほとんど出ておらず、メ
インキャストたちはしどい大
弁だった。特に松坂慶子の大
弁などは東京人の私が聴いても
「これはよくないやつでは」と
う程のド大根をかましていた。
方言指導の不徹底さ、それが映画
版の最初から最後までの色であっ
た。
役作りの為に何度も何度も何度も
訓練する努力が役者たちに全くみ
られない。それが映画版だといえ
る。

ただ、大阪生まれ育ちの人が役者
として大阪弁を話すのは演技では
ないので、すんなりと淀みないか
らとその点を評価するのは早計で
もある。
東京生まれ育ちの人しか本物の
東京弁(標準語ではない)をしゃべ
れないのと同じなのだが、役者は
演技力で本物に肉薄しないと「演
技」とはいえないだろう。
NHK大河の『龍馬伝』の時に、
広末涼子は土佐弁を話すのがとて
も楽だったが、多くの俳優はかな
り苦労したという。
ドラマ『JIN -仁-』では、龍馬
役の俳優さんはプライベートで
高知に何度も行って、街の居酒屋
で地元の人たちに土佐弁を教えて
貰ったという。何度も何度も行っ
た、と。
俳優というプロは、そうしたプロ
魂を見せてほしいと思う。
そういう意味では映画の『道頓堀
川』は、松坂慶子はじめ全役者が
安直だともいえる。映画版で一番
演技力が光っていたのは板前役の
名古屋章ではなかったろうか。
ただ、大阪西成生まれ育ちの友人
が言うには「これでもええんちゃ
う」と映画を観て言っていた。
大阪人にもいろいろある。
許せないという人もいれば、まあ
よいのではという人も。
心の狭さ広さの問題かと。

ドラマ版の主役の武内鉄男役の
藤田まことは東京生まれ育ちだ
が、10才の年に関西に転住した。
息子政夫役の内藤剛士は大阪生
まれ育ち、友人安岡邦彦役の金
田賢一は兵庫生まれ。共に大学
は東京だが、関西弁には淀みが
ない。特に藤田まことは、10代
で再度東京に戻ったが、その後
吉本新喜劇で芽が出て、大阪民
国(だいはんみんこく)に帰化し
たかのように大阪弁を使いこな
した。まるで東京生まれ育ちの
ミヤコ蝶々のように。
ミヤコ蝶々の話し言葉が本物の
センバコトバであり、大阪弁の
ど真ん中だ。
東京出身者以外は、どんなに
巧みに操ってもどうしても江戸
弁は難しいのだが、藤田まこと
が中村主水役で江戸弁に淀みが
なかったのは、戦前の東京で生
まれ育ったからかも知れない。
標準語は学校で習うが、方言で
ある東京弁は学校では教えたり
はしない。標準語と東京弁は
明確に異なるのだが、関西人や
他の地方の人たちは区別がつか
ないようだ。
それゆえ、東京弁のつもりで
地方出身の役者たちが東京弁を
話そうとしても、どうしても、
「あれ?」というこなしきれて
いないニュアンスが出てしまう。
落語家たちは、古典をやるなら
江戸弁に精通していないと話、
否、噺にならないので、よく
勉強している。
長屋の人情物や武士物の噺は
やはり上方言葉よりもタッタッ
という歯切れ良さの江戸弁で
ないとしまらない。
俳優さんたちは女優も男優も、
落語家たちの技を観てもっと
勉強してほしいと願う。
上方落語の噺家が関西弁しか
喋れないのは、これはもう仕方
ない。大阪民国(だいはんみん
こく)だからだ。標準語も東京弁
も話せやしないし、話す気もな
い。
ただ、難波はかつて帝都だった。
奈良、京都、東京と並び。
帝都の意識があるから、地言葉
を変えようとはしない。
それでも、大阪はメジャーだから
全国的に通じる。
他の地方の言葉は、残念ながら
全国版ではないので、その特定
地方の人たちにしか通じない。
なので学校教育では標準語を
母国語として教育している。
基本的に江戸の旗本言葉を標準
語とした。江戸の町人たちは、
「奥様」などという言葉は武家
に対してのみしか使わなかった。
軍隊を創設した時に、言葉が
通じないので標準語を新たに
日本人は明治に作った。
だが、京都がまだ首都だったら、
NHKなどは標準語として「どすえ」
とかテレビニュースで言っていた
かも知れない。

NHKドラマ版がDVD等で観られ
ないのが非常に残念だ。
銀河テレビ小説 道頓堀川

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