なぜ300km/hからのフルブレー
キング時に膝を出しているのか。
それにはさまざまなな理由が
ある。
最大のものは、次のコーナーに
備えてコーナー側に直線部分で
既に体重を片側に寄せていると
いうものだろう。
これは超高速ではない公道でも
有効な技法だ。
もう一つの物理的な現象として
は、風速は2倍になると空気抵抗
は二乗倍となる。さらに突起物
が空気抵抗となると、その出方
によってx倍の抵抗量となる。
これはどういうことか。
出っ張り方向に引っ張られるの
だ。
つまり、高速時に二輪で膝を
出したらかなりの空気抵抗で
車体に膝出し方向への外力が
加わる。
これは公道でも即判る。
高速道路はすぐに判るが、バイ
パスあたりの70km/h道路でも
直進時に片側の膝を出すと脚が
後ろに持って行かれそうに引っ
張られる。高速道路などでは更
にその現象がてきめんに判る。
では、サーキットなどの200km/h
を超える旋回バンク時では?
バンクさせている前半で膝を
出すのはバランス取りの為だ。
フルバンク時には膝を閉じて
少しでもバンク角を稼ごうと
する。
立ち上がりでも膝はハングオン
のまま閉じて行く。空気抵抗を
無くす為に。
そして、超高速旋回時には直線
と同じく、出した膝の空気抵抗
は相当なものがあり、パラシュ
ートと同じで走行物を減速させ
る力が働く。
要するに、物理現象としては、
膝を出すとブレーキ効果と出し
た側に引っ張られる効果が発生
する。
直線全開でブレーキング直前に
ベタ伏せからガバッと起きたら
空気の壁がドン!と当たり、速
度が一気に下がるのも同じ現象
だ。
そして、膝の横(厳密には横前
方向)出しは、コーナーリング
準備と旋回姿勢の為だけでなく、
空気抵抗を逆利用して内向性を
高める作用もあるのだ。物理的
には。
この事は、サーキットレベルで
は止まっているような低速域で
ある100km/h程度の速度を
「高速」とする一般公道用の
技法ではあまり語られない。
公道では空気抵抗を考慮しない
走りばかりが「常識」とされる
からだろう。
だからセパハン前傾モデルなの
に上体直立硬直姿勢のままで速
度を上げ下げしようとする物理
性を無視した埒外な運行者たち
が横行している。
空気抵抗の外圧はたとえ40km/h
からでも発生しているのに。
それは風を常に受けていたら
疲れもしよう。それでなくても、
全身が硬直しまくりなのだから。
セパハン&カウル付二輪で走る
と疲れない。
それは、直線ではカウルによっ
て風圧は頭の上に抜けるからだ。
下半身もカウルにより風が当た
らない。
風圧直撃は手のレバー部だけだ
が、それもフロントカウルが横
に風を逃すので微細なものだ。
ノンカウルのネイキッドに乗る
とカウル付マシンとの差は即
感知できる。公道レベルの高速
時であっても風圧でクラッチレ
バーが引かれる側にスーッと動
く程になるので。遊び領域内で。
公道でも膝出しやハングオンは
意味がある。物理的な意味が。
だが、教習所などではリーン
ウイズが全てであると教え込も
うとする。
つまり、教習所で習得した免許
取得用走法では、オフロードは
一切走れない。また、ロードの
サーキットも全く走れない。
不適合な技能を更に一面的な
偏頗な乗り方でそれが全てと
教習所では教え込むからだ。
ブレーキレバーの危険な指4本
がけなどは典型だ。それは白
バイ隊員でさえ公道実走行では
やらない。
そして、真実としては教習所で
は運転技法などはかなり嘘が多
い。これは四輪も。四輪車で
足を宙に上げてからブレーキ
に踏み替えるなどは危険すぎ
る。だからブレーキとアクセル
を踏み間違える人たちが発生
する。トラック以外では踵を
床に接地させて扇型に動かす
アクセルとブレーキの使い分
けにすれば絶対に踏み間違わ
ないが、教習所ではそれは
ダメと教え込む。
教習所と免許センター一発試験
での二輪の乗り方は、「運転
免許を取る為のもの」であり、
決して二輪や四輪を適切的確
に乗る為のものではない、と
いう真実を見ないとならない。
運転免許は、交通手段として
二輪や四輪を移動させる際に
いろいろな人がいる道路を交通
法規に沿って運行させる為のパ
スポートでしかないのだ。
学校に通う為に入試に合格し
たのに過ぎないのが運転免許
なのだ。同じ学校でも、校則
を守る守らないと勉強ができ
るできないは一切関係がない。
免許の有無と実走行の関係は
まさにそれなのである。
それゆえ、免許持ち=運転技
能上級者ではないという現実
と併せて規則違反がある為、
いつまで経っても交通事故は
無くならない。勉強もできず、
校則も守らない、というパタ
ーンだ。
誰でも取れる免許さえ取れたら
もうそれで上級者かと勘違いし
ている人間がごちゃまんといる
のだから、余計に事故は無くな
らない。
俺だけは、あたしだけは、大丈
夫、とか思い込んでいる運行者
ばかりなので事故は無くならな
い。
交通社会にあっては、運転など
は特筆的に巧くなくともよい。
適切的確俊敏に機敏な動作で
交通社会の中で安全を確保し
ながら車両を動かす事ができれ
ば。
上手い下手は一般交通では関係
ない。
だが、二輪で事故を起こすのは、
決まって教習所乗りの硬直人た
ちばかりという現実がある。
立ちゴケさえも事故ではないと
かしたがる不心得な連中もわん
さかといる。
二輪事故が無くなる筈も無い。
街中で一番危険なのは、まず
他の車や無思慮な歩行者。
そして、自分もその危険構成員
の一人である、という認識が大
切。
それらの歯車が噛み合わなくな
った時に交通事故が起きる。
私が二輪で1986年から一切事故
を起こしていないのは、これは
たまたまだが、理由もある。
めちゃくちゃ周囲に注意してい
るからだ。
四輪車の運転は私はハイヤーの
ような運転をするが、二輪の
市街地(一番事故が多い)では、
これでもかという程に周辺情況
を把握しながら乗っている。
なので、グダグダ録音喋りを
延々と続けながらとか、音楽
を聴きながらとか、危険すぎ
て話にならないと思っている。
やってるのは大抵石仏のような
載り人たちだが。集客集金目的
の。金太郎飴の。
彼らはユーチューバーであり、
二輪乗りではない。
動画アップ者でも乗り屋は喋り
続けたりはしない。
理由は、危険だから。
考えてもみてください。
バスの運転手がそういう事しま
すか?
電車の運転士や航空機のパイロッ
トがそういう事しますか?
二輪で走る事を舐めてるのかと
思う。
それは、同時に、危険認知と
危険回避について無思慮無頓
着無責任である、という事だ。
「俺たちは楽しんでるんだから
口出しするな」とかは論外だ。
それは玄倉川での家族子ども
18人濁流流されで13人死んだ
連中と同じ意識だ。
インカム利用態様にしても、
情報交換の最低限会話ではな
く、ずーっと独り言やくだら
ない喋りを続けている連中は、
玄倉川流され組と同類であると
断定できる。
公道とサーキットでは技法で
は異なる点もあるにはあるが、
両者にはきっかりと同じもの、
同じ核がある。
それは、「絶対に安全に配慮
する事」である。