渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

山茶花(さざんか)

2021年12月21日 | open

山茶花(さざんか)というのはこれ。
毎年冬に咲く花だ。
椿に似ている。

山茶花の色はとても艶やかだ。




山茶花屋敷のような山茶花の生垣。






うちは山茶花も多いが椿も多い。
椿は首がポトリと落ちるから縁起
が悪いので庭には植えられなかっ
たというのは都市伝説。全国各地
の多くの武家屋敷でも椿はある。
逆に、必ずそっと植えられていた
のは矢竹だ。うちにも植えられて
いる。これはかつての職業的な実
用性から継続したある種の築庭文
化だろう。

落ち葉がとてつもなくある。
それを全部集めて市の施設に廃棄
しに行く。
かつては燃やせていたので敷地内
で焼却していたが、今では法令で
なかなか難しい。
というのも、落ち葉焚きは合法な
のだが、煙が出ると法令的にダメ。
そんな無茶な(笑
まあ、立法立令の中身がお役所仕事
的な事になってる。


集めた袋はかなりの数になる。


これは南天という物。




この南天色は山茶花の赤とも違い
やや朱色がかった赤だ。


野戦訓練では、野にある
赤い物の
実は食べるな、と習った。
だが、南天は日本では縁起物とし
て庭に植えられる事も多く、実を
乾燥させると咳止め薬にもなる薬
草だ。
野外での生存知識は、植物の質性
について画一的に思い込むのでは
なく、正確な知識の掌握生死を
分ける。


ただ、私はキノコ類に関しては
知識の正確性に欠ける面がある
ので、絶対に野外で自生している
野生のキノコは口にしない。
無知から来る馬鹿により無駄に生
放棄しない為だ。
死はそこらに転がっている日常的
なものだが、しかるべき時の為に
あるので生死の安売りはしない。
ただ、偶然ではあろうが、死を決
意して即時覚悟した時のほうが、
なぜかしら生き残る。
もはやこれまでかと思う絶対絶命
の状況下でも不思議と何度も生き
残る。なぜかしら、ジタバタと生
に執着ている奴のほうが先に簡
単に死ぬ。
何か人智を超えた一つの法則があ
るのかも知れない。



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