渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

1960年の東京の風景

2022年10月21日 | open


私が生まれた年1960年の東京の
郊外の団地の風景。
この子どもは私の8才位年上だろ
う。

団地アルアルでは、この植え込み
のアーチ状の白く塗られた物。
これ、鉄の丸棒なんですよ。
一応植え込みとの区切りなのだ
けど、子どもたちは平気で入って
いたし、立ち入り禁止でもなく、
大人たちも咎めたりするせせこま
しい連中はいなかった。
ここの土をこねて土団子を作って
落とし割り合戦やったりした。
あと、釘刺しはこのエリアね。
芝生や草はそのうちハゲちゃう(笑
画像左下でもハゲてるとこある
でしょ?
これ、多分子どもたちがそこで
遊んだ跡。

団地の良いところは、共同生活で
高度な社会性が構築運営されてい
た事だった。
それは極めて、「戦後民主主義」
的だった。地方のムラ社会もムラ
意識も団地では捨象排除された。
極めて民主的で全員参加型のコミ
ューンが形成されていたのが団地
だった。
これは、その後に一般的に流行っ
た建売住宅の新興住宅街とは空気
と文化が違っていた。
戦後15年前後の公団団地は、一つ
の人の暮らしの理想郷のような空
気に満ちていた。これ、事実。
まだ、社会民主主義的な事柄が輝
きを持っていた時代の事だ。
現代とは真逆の。
反戦平和の庶民の生活地が公団の
団地だったような雰囲気があった。
そして、事実、団地の住民たちは
全員がとてもリベラルだった。
1960年代は。
まだ、この日本国は、世界の言語
を韓国語にしてしまおうとする
思想を骨子に持つ世界支配を狙う
ショッカーのような外国の統一
に実効支配されていない時代
だった。

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