渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

書籍『バイク界の逸話』(船山理)

2023年12月22日 | open
 


元MFJ全日本ロードレースチャン
ピオンで雑誌編集畑を渡り歩いた
船山理(おさむ)さんの著。
滅茶苦茶面白い。おすすめ。
著者は私の10才年上の人。
この人自身が伝説の人だが、あ
り他の書籍等では紹介され
日本人ライダーたちを多
く紹
介している編集が本書は
秀逸。
私は荘利光さんの事が書かれて
いるので買った。荘さんはスズ
キワークスだったが、マシンが
用意できなかった為、ヤマハ
TZ
で世界グランプリにスポッ
ト参
戦した。
1977年の事だ。
250ではマシントラブルで5位。
350では優勝した。そのタイム
はその後7年間WGPの世界で破ら
れる事はなかった。
日本人で唯一ハングオンをして
いた人だった。
当時はハングオンという日本語
造語は無く、私や後に国際A級
なってマン島を走ったクラス
メートの17才あたりのレース
係者は「荘乗り」と呼んで
いた。
膝を路面にこすりつけるのは
1972年に世界チャンピオンの
ヤーノ・サーリネンが初めて
やったが、ハングフォーム自体
はWGPの世界では1960年代
ら存在した。
1977年時点で、サーキットだ
けでなく、峠でハングフォ
ーム
していたのは、私の
高校の多
バイク乗りの
間では私と後
国際A級に
なったS特進のク
ラスメート
の二人のみだった。
ブレーキングでブリッピング
シフトダウンしながら腰を
スト
ンと前下にねじり落と
して膝を
出すので「変な
り方。なに
それ?」とかよ
く言わ
れていた(笑
まだ国内では見た事ない乗り方
だったからだ。その6年後には
バリ伝でも描かれたように、高
校生でもごく普通に乗り屋はハ
ングフォームをやるようになっ
ていた。
日本人では荘さんが極端な世界
レベルのハングフォームだった
ので、日本人レース関係者の間
は「荘乗り」と呼ばれた。
ネモケンさんや敬済さんもハン
グフォームだったが、荘さんこ
そがWGPの世界選手たちと同じ
ような乗り方だった。
WGP優勝経験のある(つまり、
そのレースでは世界一。一人し
か地球上に存在しない)荘利光
さんは、今もイベントレース
に出るが、普段は埼玉県川口市
でライブハウスを経営している。
サックス奏者でもある。
実はかなりの男前。
 
日本の富士スピードウェイ=
FISCOで開催された世界GP
350ccクラス。1967年。
ホンダ6気筒を駆るマイク・
イルウッドも他のライ
ダーも
皆がハングフォームだ。
この後2ストが台頭し、ホンダ
を退けてヤマハの絶対王者時
が約30年間続く。
ホンダも社是を曲げて勝つ為
2ストを開発してからは時々
世界戦で優勝し、83年にはヤ
マハの牙城を崩して「世界の
ンダ」に復活した。
以降、ヤマハとホンダは世界
のライバル同士となった。
ホンダは企業の総力戦でヤマハ
を蹴散らすパワーマシンを続々
と投入した。ワークスマシン
が1レース10数台というヤマハ
には出来ない事さえホンダは
やってのけた。決死の総攻め、
のような。

膝出しハングフォームは二輪の
世界に60年以上存在するトラ
ディショナルなフォームで
あり、
二輪の高速度旋回の
スタンダー
ドフォームだ。
これは歴史的事実なので、否定
しようがない。
 

この記事についてブログを書く
« スーパーカブ(2019年記事再掲) | トップ | 新原付制度決定 »