渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ヤマハが失ったハンドリング

2024年08月08日 | open


ヤマハが失ったハンドリング。次のエンジンに期待されるものは/第10戦イギリスGP | MotoGP | autosport web

ヤマハが失ったハンドリング。次のエンジンに期待されるものは/第10戦イギリスGP | MotoGP | autosport web

 シーズン後半戦の幕開けは、ヤマハにとって厳しいものとなった。ファビオ・クアルタラロ(モンスターエナジー・ヤマハMotoGPチーム)は予選で18番手、土曜日のスプリント...

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ホンダだけではない。
ヤマハももうかつてのヤマハ
ではない。スズキはGPから撤
退。カワサキはとうに撤退。

エンジンじゃないんだよ。問
題は。
そして、世界選手権で今では
最後尾しか走れなくなった日
本のオートバイ。
ヨーロッパのマシンが突出し
て性能が良くなったのではな
くて、日本の二輪が軒並み右
倣えで駄目な事やり始めたか
ら立場が逆転したという事実
に日本メーカーは気づこうと
しない。自省ゼロ。
日本のオートバイに未来は無
い。
もう完全に「世界一の二輪を
作る日本のメーカー」は消滅
している。
自滅だという事を悟ろうとは
しない日本の二輪メーカー。
そして、更に頓珍漢な事を続
けようとしている。
シャシとステムの抜本的見直
しをせずに、的外れな開発方
法で的外れな方向をどんどん
目指す事を継続させる。その
ような姿勢だけは保守的だ。
改革や改良を求めるならば、
そのような自分らの道が正し
いと盲信する事を根本から
見直さないとならないのに。
本当に、日本の二輪メーカー
は真実オシマイだと痛感せざ
るを得ない。

ヤマハはやや気づいたようだ

が、もう遅いようにも思える。
平忠彦氏や本間利彦氏を切り
捨てて善しとするような今の
体質のヤマ
ハに未来は期待で
きない。社内でも有益な二輪
開発をした責任者を左遷や閑
職に追いやる事もやっている。
現在のヤマハは我々1970年代
~80年代のヤマハファンが知
るヤマハではない。全く別物。
本当に未来を作れるのかとい
うと、かなり期待薄だ。
トヨタの完全子会社になった
あたりから完璧にヤマハ発動
機の体質がおかしくなった。

一方、独自路線をかねてから
歩んでいたカワサキは、ここ
10年で大躍進したが、最近
体質を他メーカーと同じよう
なものに変質させ始めている。
カワサキファンがなぜ爆発的
に増えたのかを見失うような
車作りはしない事を望む。

二輪のモータージャーナリス
ト(自称)たちは、忖度おべん
ちゃらの太鼓持ち記事しか書
かず、ネットでもその闇をえ
ぐる発信さえもしない。ある
のはよいしょを言っての保身
のみ。
モータージャーナリストの故
三本和彦氏のような骨のある
コメントをする人間は現代で
は皆無だ。すべて提灯持ち。
メーカーにおいても、イエス
マンだけを重用する社内体質
が現在の製品自体の体たらく
を現出させたと断言できる。
自省なき傲慢さゆえの結果だ。
出来上がった物の現実を見よ。
ろくでもない物しか作れない
「低能力」のメーカーになっ
てしまっている。すべては
自分のせいだ。メーカートッ
プ陣の。
止まらない、曲がらない二輪
しか作れなくなったヤマハ。
果たして、ヤマハがかつての
ヤマハのお家芸だったグッド
ハンドリングを取り戻す日は
来るのか。

「ハンドリング、といえば、
以前はヤマハの強みとして知
られていた部分である。しか
し、今はそうではない、とク
アルタラロは述べている。
『僕たちは少しハンドリング
に戻らなければならない。今
はエンジンが速くなった。た
だ、旋回しないし、止まらな
い。苦しんでいる部分がたく
さんあるんだ』」





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