【速すぎたモンスター】ヤマハ
YZR700が魅せた1984年デイトナ
200マイルの奇跡!
極めて貴重な1984年の映像。
世界グランプリを引退した
キング、ケニー・ロバーツ
が新人のエディ・ローソン、
平忠彦とヤマハ代表として
AMAの圧倒的超高速レース
デイトナ200マイルを走る。
200マイルだ。総距離320km
もスプリントレーシングマ
シンで走る。
アメリカヤマハのインター
カラー、イエローのマシン
がかっこいい。ツナギ、ブ
ーツ、グローブは高井幾次
郎さんのプロショップ高井。
日本のヤマハのメーカーカラ
ーは白と赤の日の丸カラーだ
った。ヤマハの色は白地に赤。
ヤマハのワークスライダー
のウエアも白に赤が基調だ
った。
現在はヤマハのマシンの色は
濃いブルーになってしまって
いる。
「青いヤマハ」はかつて世界
グランプリではフランスのソ
ノートヤマハの水色が印象的
だった。
実に色調が美しいマシンだ。
フランスヤマハの色はスポン
サーのタバコメーカーである
ゴロワーズのパッケージカラ
ーだった。
ゴロワーズがパッケージカラ
ーを濃い色に変えるに伴い、
1980年代後半にフランスヤマ
ハのマシンカラーも濃い青に
変更になった。
たぶん、ゴロワーズはジタン
と似ているライトブルーから
の脱却を図ったと思われる。
現在はタバコメーカーの広告
が禁止されたので、タバコ会
社のスポンサードは無い。
かつては日本のJTなどもキャ
ビンレーシングでロードレー
スをサポートしたりしていた。
ちなみに、ゴロワーズについ
ては、日本国内で販売されて
いたのは国産の葉であり、本
家フランスのゴロワーズとは
全く味が異なっていた。日本
のゴロワーズはピースにトル
コ葉を入れたような味だった
が、本家のフランスのゴロワ
ーズはもっと軽やかでフルー
ティーな味がした。香りも良
かった。国産ゴロワーズは韓
国産バドワイザーのように、
全く別物の味だった。
1981年に日本で発売された
歴史的名車RZ350のカラーは
フランスヤマハのカラーだっ
た。ゴロワーズカラー。
ヤマハがアメリカAMAの
デイトナ200マイルロード
レースにかける意気込みは
並々ならぬものがあり、ま
た常勝ヤマハの牙城を崩す
事はホンダでさえできなか
った。
もっとも、世界グランプリ
最高排気量の500をベース
とするホンダに対して、ヤ
マハは必殺の排気量アップ
スペシャルマシンで臨んだ
のだが。
だが、勝敗の行方は排気量
差だけではない。完璧に走
るマシンに仕上げていない
とレースでの勝利は無い。
ヤマハが勝てたのは排気量
が大きいからだとするのは
早計であり、ド素人判断だ。
ただ、排気量差というのは
確かにファクターとしては
あるにはある。
ちなみにGPレースにおいて
は500ccクラスであろうとも
350のマシンでの参加も可だ
った。
しかし、パワーが圧倒的に違
うので350マシンで参加する
人はいない。
ところが、排気量差がタイム
を決するのではないという事
を証明する現象が起きるサー
キットもある。
1987年の全日本選手権での筑
波サーキットなどでは、250
が500よりも良い予選タイム
を出したりした事もあった。
250のほうが500マシンより
も高速度のまま高速旋回す
る特性があるので、峠のよう
な筑波ではタイムが上回った
のだ。
そうした現象が起きるのは走
らせるライダーの技量にもよ
るが。
なお、レースの世界では、排
気量が大きいカテゴリーが偉
い、などという妙ちくりんな
マウントは存在しない。
50であろうと80だろうと125
だろうと250だろうと350だろ
うと500だろうと750だろうと、
世界チャンピオンは世界チャ
ンピオンとして正当に評価さ
れる。
大排気量車に乗る者が125の
世界チャンピオンを指して、
「なんだ、たかだか125か」
などという超絶バカな発想や
発言をする者はレースの世界
には一人もいない。
そういう排気量マウントとい
う極限バカ言動を為すのは、
鬱屈したコンプレックスが根
底にある一部の公道載りの日
本人だけなのではなかろうか。
サーキットで戦うレジェンド
たちは、そうした俗世間の下
世話な価値観とは無縁の世界
で純粋に戦っている。
美しい。
まるで、強いのに真摯なボク
サー、世界王者の井上尚弥選
手のように。