渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ナイフバトニング一考

2020年06月26日 | open



私、思うんですけどね。
ナイフでの巻き割りバトニングというのは
実は日本人が一番やっているのではないか
と。
北欧の人たちはナイフで薪割りなどしませ
ん。薪割りには斧を使います。
だって北欧スカンジナビアナイフの造りを
見れば明白かと。北欧ナイフは薪割り用の
造り込みなどにはなっていません


ナイフでのバトニング薪割りというのは、
適切なチョッピングツールがない場合の
外での生木割りでやむなく使うのであって、
通常北欧の人たちはナイフなどは使いま
せん。
日本で最近流行しているブッシュクラフト
=森林野営創作行動において、まずナイフ
での薪割りバトニングありきの風潮は、
それは私はちょっと違うのでは、と思う
のです。ナイフは薪割り道具ではないので。
勿論、緊急時に小さな薪を小割にすること
もできるくらい丈夫なナイフであってくれ
るととても助かるのですが、バトニング=
ナイフで、という短絡的な様式は、それは
本場の森林野営活動からは乖離した夢想的
なロマン創作だと思うのですよ。
北欧の人たちは薪割りには斧を使います。
薪の大きさに関係なく。


特に薪ストーブの燃料用には斧での薪割り
が必須となる。


このような簡易薪ストーブであっても。


ナイフで薪割り+フェザー作り+メタルマッチ
でのファイアスタート、というのは一つの
「楽しみ」ではあるかと思います。
でも、それがブッシュクラフトの本式だよ、
と思い込むと大きな間違いのように思える
のですよ。


ブッシュクラフトは、森に入り、自然と共生
することを通して人間を見つめなおす時間を
得て、またいろいろな先人の知恵を確かめて
そのクラフトスキルを磨いて自分の力で自然
の中で状況を乗り越えていくことを体験する、
というジャンルの野遊びです。
それが、レジャー感覚で、森との関わりに
おいて大切なことを見失うと、なにか大きな
落とし穴を自分で掘っているように私には
思えるのです。
折角の森の中での野遊びで、いくら遊びとは
いえども、本末を転倒させてしまうと、大切
な森やその中で必需品であるナイフさえも
ないがしろにしかねないと思うのです。
ブッシュクラフトはまずナイフでのバトニング
ありきではない。
「バトニングもできるナイフ」を選ぶことと、
「バトニングできなければ良くないナイフ」
と判断することは大きく違います。そこなん
です。
どうか、人気の出てきた森林野外創作活動=
ブッシュクラフトが変な方向に行かないこと
を願っています。


直近の傾向としては(これは多分商品を
売らんがなが背景にあるとは思うが)、
ブッシュクラフトにおいてバトニングは
ナイフ専一ではなく斧を使うことも紹介
され始めています。
日本の業界販社の動きを見ると、商品を
大量に販売するためにナイフが飽和状態
の中で「次は斧だ」となっているのは
明らかなのですが、森林野営活動において
斧を使うことは北欧のみならず多くの国
でごくごく当然のスタイルです。
それは、斧こそがファイアウッドのチョッ
ピングツールだから。
まっとうな方向で日本でもブッシュクラフト
で斧が多くの方に愛用されることを個人的
には願うのですが、まだベテランの一部に
しか斧は定着していません。かのJP鹿ハンター
の先生でさえ、6年前に「初めて斧で薪割り
をしてみる」という程です。

ナイフで木を割るというのは、北欧という
よりもアメリカンスタイルでしょうね。
プーッコの構造では薪割りバトンはでき
ないし、そもそもそういうことに使う為
にプーッコがあるのではない。凍傷になら
ないために、金属部分をむき出しにする
フルタングなどにはできないんです。
そして、薪割りにはチョップツールとして
適切な道具である斧を使う。
なので、小型プーッコと同時に斧を専用
シース(革製や紐の編み込み)で保護して
身に着けて携帯して森に入ります。

最近日本限定で蔓延している「ブッシュ
クラフト=ナイフバトニング薪割り」と
いう固定観念は、北欧スタイルの本式から
は大きく外れた数寄者的なものであるので、
どうか「あれ?これ、なんかおかしくない
だろうか?」とご一考される人が増える
ことを私は願っています。
楽しみ方は人それぞれですし、ナイフでの
薪割りバトニングは私は全く否定しませ
ん。むしろバトニングにさえも耐える
ナイフを望んでいる。刃物の性能として。
でも、ブッシュクラフト=ナイフバトニング
というのは、何か大きく違うと思うのです。

このテーマは、なぜブッシュクラフトでは
ククサを使うのか?
否、人はなぜブッシュクラフトのような
森で時間を過ごす時に北欧のククサを使い
たくなるのか、ということにも共通する
ことかと思うのです。
人それぞれスタイルがあっていいと思う
のですが、「ブックラ=バトニング」と
決めつけるのは、よくないのではないか
なぁ。
それって、「刀=ニンジャ」「日本=フジ
ヤマ、ゲイシャ」のような、間違っては
いないけど大きく外れている狭い「作られ
た」狭窄固定概念
のように思えるのですよ。
で、アメリカ映画では日本の武士のシーン
なのに中国の銅鑼
が鳴るような感じの。

逆に、「ナイフ1本で薪割りも食材切りも
なんでもこなす」ということを「ジャパニ
ーズスタイル」として高らかに宣言して
確立させるのならば話は別。大いに良いか
と。あたかもサンカの常時携帯刃物のウメ
ガイがそうであったように。
(三角寛の主張のサンカ研究と刃物ウメガイ
の形状については、あれは完璧な捏造である
ことがほぼ確定しているので、捏造によって
取得した博士号も学術論文も意味を持たない。
ウメガイという万能刃物が山の漂泊の民たる
サンカが持っていたのかどうかも検証が必要)

でも、「ナイフ1本ですべてをこなす」という
のを「日本スタイル(各国軍隊の空軍サバイ
バルが原初だが)」とするならばよいのです
が、それを北欧スタイルにインスパイアを
受けたとして日本人が「これが北欧本場の
ブッシュクラフトだから」と言って必ず
ナイフで薪割りするのは、それは根本から
間違いであると思うのです。
北欧人以外の国の人たちは北欧文化への
敬意が無意識下でもあるからククサを使う。
なんだかいいなぁ、と。
敬意なければ日本人ならば日本の緑茶用の
湯飲みあたりを使うでしょう。あるいは、
日本製金属マグカップ専一とか。

楽しみをも本物本場本式に肉迫させていく
その楽しみ。
そこから何かを得て、深めて、より豊かな
時間にして行く。
それは、道具を見つめることからもはじめる
ことができると思うのです。



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