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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

海景色

2025年02月15日 | open





いつからかR185は「さざ
なみ海道」と名付けられた。








エデンの海という所。
昼食の帰り道の国道185号
ぞいにあるパーキングエリ
ア。


 

 







原チャでGO! ~昼飯ツー~

2025年02月15日 | open



三原の城町仲間の原チャで
GO!の
人から昼にヘルプミー
コール
ありゆえ、お助けマン
参上!で駆け付けた。宮沢賢
治じゃないけどよ~。困って
いるなら駆け付ける。

お城のそばだからうちからも
とても近い。シュッと行って
パッと取り掛かった。

すぐに問題は解決した。

丁度お
昼時だったので、海沿
いの国
道を走って一緒にシー
サイド
レストランに行ってみ
んべ、とあいなった。

ウマいピッツァの店。
三原市街地から海際をずっと
走って18km程。
















おいしおすえ。
ついでにデザートまで食べた。


お店の人のおすすめの「イチ
とハチミツ」と黒板メニュ
ーに書かれていた期間限定版
のこれがかな~り
おいしかっ
たのだ。
オーダーの時「イチゴとハチ
ミツとろ~りとけてる♪」と
口づ
さんだら、お店の女性が
「カ
レーですね」と笑顔で言
ったのだ(笑

これでいいのだ。
ヒデキ感激!なのだ。





 


キャブレター

2025年02月15日 | open



キャブレター(英語carburetor
<カーブレイター>)の二輪車
が現在ではほぼ消滅した。
排ガス規制の影響だ。
今では四輪車と同じく、4スト
二輪の新車ではフューエルイ
ンジェクション車が一般化し
ている。

キャブレターもFIも同じ目的
だが、構造とカラクリが全く
異なる。
キャブの場合は霧吹きと同じ
で、負圧で空気を吸い込んで
キャブ内底部に溜めたガソリ
ンと混ぜて機械的に噴射する
装置だ。厳密には噴射という
より負圧で吸い込まれて押し
出される構造。


FIは電子制御で押圧したガソ
リンを最初から霧状にして
噴射する。
燃調としての気化気の状態は
あらゆる場面でキャブよりも
インジェクションのほうが優
れている。
ただし、キャブにもFIには存
在しない優位な点もある。
それは、二輪も四輪も押しが
けが可能であ
る事と、もう一
つ最大のもの
がある。
それは、FI車のようにコンピ
ュータのマップを書き換える
という専門スキルと機材を必
要とする作業が一切無く、機
的にキャブ内のジェット類
交換したり油面調整したり
る「セッティング」が簡単
できる、という点だ。
ジェット交換などはネジを回

して外して取り換えるだけ。
このセッティング可能な気化
器というのは整備性において
絶大なアドバン
テージを持つ。
メカニックや自分がセッティ
ングを自由自在に選べて、即
変更する事が可能だからだ。
キャブ車だからこそ、昔の
オートバイはスクーターから
大型までユーザーが自分で自
在にいじれた。専門特化した
高度なスキルや機材が無くと
も。
ベストセッティングを出すに
は専門的で正確な知見が必要
だが、セット自体
はプラグ交
換とさして変わら
ない。作業
自体は極めて簡易
だ。

四輪車の世界ではFIが今や
常識と
なったが、日本の歴
史として
極めて残念な事が
ある。

それは初級整備士免許試験
から
キャブレターの項目が
近年
外された事だ。
ということは、整備士とい
う専門職であるのに旧車は
一切いじれないという事に
なる。整備士全員が資格取
得とは関係の無くなった旧
車の構造やキャブについて
も自主的に勉強するような
研究熱心ではないからだ。

整備士の中には、免許があ

ろうとも一切整備ができな
い者もいる。学卒棚ぼた免
許を得た者等がそれだ。
大昔の四輪免許に自動二輪
免許がついていたようなも
のだろう。一切バイクに乗
れなくても免許は取得でき
た、というような。
尤も、現代であっても二輪
に乗れないのに運転免許を
所有している人間は世の中
ワンサカと存在しているが。

資格の有無はその道の実力
とは直接的には一切関係が
ない。

これは大学卒業の学士資格
があるかないかがまさにそ
れであるように。
それは大学にもよるだろう
が。
日本人は大卒であっても

英語が話せない者が圧倒的
に多い。中学から3-3-2の
8年も英語を学習していて
もだ。
これなども学卒の資格と実
力は別物である事を如実に
示している。現実として。
goの過去形さえ知らない、

中学の英語さえ理解できて
いない高卒や大学卒業者も
かなり
いたりする。信じが
たいが
それが現実だ。
世界有数の「外国語(主と
して英語)が話せな
い国」が
日本であるのは、日本の

育システムが不適切であ

のと同時に、国民本人にコ
ミュ
ニケーションツールと
して
の言語を使用する事の
大切
さの自覚が欠如してい
るか
らだろう。
それはすべて自分とこ
の方
言のみで押し通そうと
する
のに似ている。

これは国際的にやばい、と
いうので国は小学校から英
語教育を開始する方針に近
年転
換したが、さして期待
はできない
だろう。教育を
受ける側の大多数が
権利で
はなく義務と感じて
いる限
りは。

四輪車や二輪車の整備の実
相も
それと似たようなもの
だ。


 
 

 

 
 

 


 


メインジェット ~バイクのキャブレター~

2025年02月15日 | open



メインジェット、間違えて
発注しちゃったよ~(笑
本当は上の画像の並びの
番手が欲しかったのだけ
ど、一つ上のラインセット
を注文してしまった(笑
#124なんてイエロー原付
でどこに使うの
かっつーの、
俺。

再度、発注しましたとさ。

メインジェットの仕事とい
うのはこれね。
半開から全開領域で仕事す
る混合気噴き出し穴の部品。

 


旧古往還道(東西往路) ~広島県三原市~

2025年02月15日 | open




(PC/クリックで拡大)

海の上に三原城が築城されて
城下町ができる以前、現在の
三原城跡も市街地も全て海の
上だった。
旧古往還道はこのようなルー
トだったか。
たぶん獣道のような通路だっ
ただろう。
古代山陽道はこの画像よりも
さらに北の内陸部を通ってお
り、まさに山中の道路だった。
律令制時代には現代距離で約
16乃至20kmごとに駅家(うま
や)が置かれ、全国からの徴用
物資を運ぶための馬が20疋程
常備されていた。

三原市内市街地西端の近江堂
にある説明によると、築城以
前の東西の往来は上掲のよう
なルート(推定)を通行者は通
ったと思われる。
ただ、伝承はたぶんに創作も
多いので、俄かには措信しが
たい。
しかし、民俗伝承譚は何かし
らのいきさつがあるだろうと
類推できるケースも多く、民
俗学的には無視もできない。




旧古往還道については、鎌
倉幕府成立前後の鎌倉付近
を調査研究するのが非常に
面白い。
古代は既に過ぎて中世の時
代に入るが。
ただ、律令制時代の頃の国
内の道路整備との絡みで中
世を紐解くのもかなり面白
い。鎌倉切り通しのあたり
とか。
刀剣史でいえば、よく由比
ヶ浜近辺の浜砂鉄を鎌倉幕
府時代の刀剣製作では使用
したと巷間人口に膾炙され
ているが、これも確定的な
物証は無い。
古代製鉄からの連面性を考
古学や文献史学の面だけで
なく民俗学や地学、植物学
等の世界での研究成果と刀
剣研究が合体しないと解明
はできない。
刀は刀だけ観ていては刀が
見えない。木を観て森を見
ないのと等しく。
ただ、学術界というのは、
各分野で鉄柵を設けて個別
自分らの分野だけに固執す
る傾向があるので、なかな
か円滑かつ科学的な研究成
果が結実しない、という現
実がある。
まことに残念至極に御座候。

刀剣界、冶金界で現在も解
明されていない事案として
「三原鉄」という物がある。
鉄自体は残存している。
だが、その産地が全く特定
されていないのだ。
どこの三原なのかさえも。
現在の三原市内に三原城築
城以前に鋳物師(いもじ)が
いた事は確実で(山中谷あい
に住し「大工」として釣鐘
を鋳造、現存)、それらと
刃物用の鐵の生産との関連
も推測できるが、学術的に
は三原鉄の産地が現広島県
三原の地であるかどうかは
一切明らかになっていない。
なお、「三原」という土地
は広島県だけでなく全国各
地に存在する。
現在の三原市の地名の由来
が「三つの原が集まった土
地」とするのは行政も説明
しているが、それは物理的
にはあり得ない。
上掲画像を見てもらえば即
判るが、山中村の東の原、
駒ケ原、西野原が合体する
のは戦国末期の築城以降だ。
よくいわれる「三原」という
のは現在の三原市の事では
ない。これは確定的だ。
まだ無い時代、到来してな
い状況を後世にあたかも従前
よりあったかのように作るの
は、それは捏造だ。
「三原」という地名の場所が
三原城築城以前にあったとし
たら、それは現在の広島県
三原(城周辺)の事ではない。
原三原がどこかにあったか、
あるいはまったく別の土地
だ。
刀剣界でよく常識のように
言われている大嘘に「鎌倉
南北朝時代の刀工正家は
三原の地で鍛刀したので
それが三原物と呼ばれるよ
うになった」というものが
ある。
海の上でどうやって刀を作
るのか。
これなども後世の後付け嘘
情報の付与と捏造でしかな
い。「東京湾のお台場で
徳川家康が云々」とか言う
のと全く同じ類だからだ。
木を観て森を見ないやり方
だとそうなってしまう。
そもそも、広島県三原の地に
訪れたり地元の歴史を地質
学的にも調べた事のない人
たちが刀剣界を牛耳ってい
たので、そういう齟齬、誤
謬があたかも真実であるか
のように蔓延してしまった。
常識的に考えればすぐにそ
れは事実とは異なる事が判
るのに。
初代~数代の備州正家の鍛
刀地は現在の広島県三原で
はない。
これは推測(根拠あっての)だ
が、多分尾道が初代正家の
鍛刀地だろう。
二代目は因島での鍛刀の伝
承譚も存在する。
いずれにしろ、三原市ではな
く尾道市だ。
ただ、刀工からのちに鍔工に
なった五阿弥の子孫が尾道市
内に勝手に「日本刀発祥の地」
のオブジェを建て、また石碑
も立てて「天平年間の刀鍛冶
正家の子孫」としているのは
大捏造も甚だしく、尾道市の
行政側も「学術的根拠は一切
無い」として公的に説明して
いる。
事実は、広島藩の記録による
と、江戸末期に五阿弥の当主
が呼び出されて来歴を質され
た。
するとその時の当主は「三代
前以前は全くわかりません」
と正直に答えているのが記録
に残っている。
「そのほう、尋ねるが」と

藩の役人の詮議に始まり、五
阿弥は「はは~」とひれ伏す
状況だっただろう。
今では「歴史的名家であり、

尾道の町を肩で風切って歩
いていた」と自家の自慢を
ネットサイトで展開してい
る。天平の奈良時代などは、
刀剣(直刀)はすべて官製

であり、銘さえも切らぬの
さえも無視して大言壮語を
繰り広げている。
現在のような大捏造で自家の
来歴を誇大妄想のように大嘘
を告げたならば、江戸期なら
ば確実に首が飛んだ事だろう。
まして市中に勝手に自家こそ

が日本刀発祥の始祖というオ
ブジェまで建立してしまうに
至っては。
もしかすると、磔獄門になっ
ていたかも知れない。
嘘はいけない。いつの時代も。
ただ、江戸期、広島藩浅野家

においては、刀工正家の鍛刀
地についてはかなり調査をし
た。
だが、結論的には鍛刀地不明、
という結果だった。
極めて正しい公正妥当な結論
づけをしたと思う。
「ここがその場所、天下の刀
はここで作られた」とする手
前味噌の我田引水は排除して
いるからだ。
これは広島藩主浅野殿の采配
に拍手を送りたい。
江戸期、嘘をつくかどうかは
武士にとっては命が落ちるか
どうか、命をかけるかどうか
の問題だったからだ。虚言を
弄するかどうかは殺し合いに

発展するのが武士という種族
だった。
武士にも外道はいるにはいた
が、松の廊下の殿中での刃傷
の一件を浅野分家の内匠頭殿
が実行したのも、天下の御政
道御法度を冒してでも武士の
一分を遂げる為のものだった
し、その原因を作った上野介
の首級を挙げた赤穂浅野家中
も武士の一分を貫いた。
武士とはそういうものだ。
武士以外は嘘っぺだ
ろうと世
間ではお構いなしだった。

広島藩浅野家ならびに浅野家
中の家
臣は、この刀剣探査の
一件に
関しては武士を通した。

 
 
 



 

  


 


 





 



キック

2025年02月15日 | open



人間は日々学習しないと退化
する。
オートバイにキックスターター
が着いていた頃は、全員がキッ
クスタートができた。たとえ
コンプレッションが高いオート
バイであっても。
キックができないと始動ができ
ない=乗れないという事だから
だ。

だが、セルによる始動が一般化
してから、なんとオートバイか
らキックが消滅する事態が到来
した。(2スト車はほぼ最終モ
デルまでキックのみ)
すると世の中の多くの二輪載り
たちはどうなったか。
キックスタートが一切できなく
なった。
また、1996年以降の極めて簡易
な二輪新免許以降の新参たちは
まったくキックができなくなっ
た。
コツさえ知れば初体験でも5分
もあれば要領をつかめるのに、
その機会がない事と新人たち
の「乗れない」に代表される
要領の悪さ、二輪への不向き
さが合体して全くキックがで
きない。
バイク好きとかで拡散している
有名な芸人もたかだか400ccの
オートバイのキックスタート
が全くできない。デコンプさ
え着いているのに。

だが、1980年代から大型バイ
クに乗っている(自称)と言
う人間でも全くキックができ
ず、原付さえもまともに走ら
せられない人間がいる事には
正直なところ、ぶったまげた。
観ていると、キックペダルを
一番上にして、足を浮かせて
キックペダルを思いっきり
蹴っていた。
最初にテンションがかかる
ところまで踏み下して、ク
ランクの圧縮上死点を探る
知恵など皆無だ。
そのような足浮かせ蹴りの
キックの仕方を
やろうとす
るので、125バイクさえ

ンジンをかけられない。

というか、そんなやり方を
していたら、キックの内部
の歯車が損耗損壊してしま
う。バカだ。
そして、250の2ストはおろ
か原付スクーターのキック
での始動さえできない。
ただ、何度教えても、同じ
やり方、自分の間違ったや
り方を改めないので、要
が悪いというよりも本バ

なのだろう。

走り方も、これまでのバイ
ク人生50年で一人も見た事
がないほどド下手だ。とい
うか、まともに二輪に乗れ
ない。125オートバイで立ち
ゴケまでするし、125スクー
ターでも信号停止で前輪ロッ
クさせて転倒しそうになる。
話にならない。

そうした事例は極めて特異の
特例のケースだろうが、一般
的にもバイクをキックでエン
ジン始動でき
ない人は現代は
やたらめった
ら多い。
これ、慣れてない、経験がな
い、というのとは少し違うよ
うに思える。
オートマ限定免許だからMT
車を能力的に運転できない
のとはかなり違う実態かと
思う。
つきつめると本人の自覚と
二輪に対する感覚の優劣の
問題ではなかろうか。
外国人でさえ、教えてもらえ
ば箸が使えるのに、てめえ勝
手な解釈とやり方を押し通し
て、日本人のくせに箸が全く
まともに使えない、という
に似て。

それは、手皿をするのが極め
て行儀が悪い事に無知で公の
場でも手皿で食事して澄まし
ている、という世に多い勘違
いさんたちの類とは違って。

つまり、キックができるか否
かなどは、本人の感覚がどれ
ほど鋭敏か鈍感かが基本の根
幹にあり、そして教えてもら
ったらそれを素直に無垢の状
態になって実行できる素質が
あるかどうかの問題、という
事だ。
キックなどはごくごくあたり
前の装置だ。かつては全ての
オートバイに着いていたのだ
から。
昔の人間を齢をとっているか
らという事だけで馬鹿にする
本物のバカが最近の日本には
多すぎる
が、その馬鹿にして
いる昔の
人間が簡単にやって
のける事
をそれら馬鹿にする
奴らは全
くできない。能力と
して。

そうした人間力が圧倒的に劣
っている連中が優れている連
中を馬鹿にして嬉々としてい
る。
本バカまる出しで馬鹿馬鹿
くて話にならない。


キックができるできないは
分の責任。

バイクのせいではない。
コンプの強いハーレーやトラ
イアンフでさえかつてはキッ
クだったんだよ。
マッチョなアメリカンやグレ
イトな世界覇者の英国人だけ
がハーレーやトラを始動でき
たのではない。
そこの大切な基本を押さえな
いと、てめえの無力を自覚せ
ずになんでもかんでもバイク
のせいにしたり、他人のせい
にしたりするドカンチをかま
して平気でいる厚顔無恥にな
ってしまう。
ほら、前傾ポジションモデル
を「きつい」とか「疲れる」
とか「腰が痛い」とか口に
するド勘違い野郎みたいに。
てめえの乗り方が間違って
るのにそれを自覚したり自問
したり検証したりせず、車の
せいにして開き直っているよ
うなトンデモの勘違い連中。
二輪車メーカーは拷問器具な
ど作ってないんだよね。
それなのに変な乗り方して
いながら車のせいにする。
これまた本バカまる出し。
一言でも前傾モーターサイク
ルの事を「きつい」とか「疲
れる」とか口にする奴は、全
員がガチでドカンチの無知者
であり、考え方とか捉え方が
愚鈍の極みなんだよ。
(「ポジションが窮屈である」

というのは物理的な特性を指
しているのでドカンチではな
い。てめえの間違った感想を
車のせいにする思考がドカン
チのトンチキ)
これ、俺の意見とかでなく、
事実確定のガチ。俺の意見
とか関係ない。どうでもいい。
真実の事がそれだから。

キックできるかどうかなどは
自分次第。
自分の能力が「二輪車に乗れ
る=乗ってもいい人」である
のかどうかの問題。
ちょっと辛口ながら真実を指

摘されたら脊髄反応で反発す
るような人間は本当の武術武
道や本物のスポーツの世界に
は一人もいないが、「レジャ
ー」となってしまっている
バイクの世界では、甘ちゃん
が多すぎて結構唖然とする。
「立ちごけはよくある事」と
か言って連鎖拡散しているよ
うな危険認知度が低すぎる連
中とかもまさにそれね。
てめえ自身でてめえの在り方
を見つめ直す能力さえも消失
させてしまってる。
とことん人間力が低下してい
る。

実はこれはバイク業界のみ
に限った事ではないらしい。
各方面各分野で同様の態様
と現状を聞く。
仕事とかの業務関連でも同様
の状態らしく、そりゃあ日本
の産業や教育や医療の世界さ
えも雪崩のような質の低下の
一途であるのも頷ける。
端的にいうと、人間がしょぼ
すぎる、というだけなのだが。
自力更生と自浄作用を持たず
にいるようなのばかりが増え
ている。
それは自然治癒力自体が低下
した人類のように。
「走れない」「ボールが投げ
られない」「しゃがめない」
という信じがたい事態が現在
の日本の若年層に蔓延してい
るが、これは運動能力だけで
なく脳の働きとしても思考力
含めて極めて退化しているの
が現況なのだと思われる。