渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

土方隼斗プロ 〜ポケット・ビリヤード〜

2023年03月26日 | open
 





グランプリイースト第2戦決勝。
土方隼人プロ優勝。

昨年秋までのフォームから完全
改造のフォームの土方隼斗
プロ。
極めて美しいフォームだ。
下半身の使い方が変わった。
プロも進化する。
現状維持ではない。
人一倍研究して、人一倍練習
して、人一倍努力するのがス
ポーツのプロだ。
アスリートなのである。

瀬戸内海のタイ

2023年03月26日 | open


ご近所さんから三原沖で釣れた
タイを頂いた。
かたじけなし。
焼いて、有難く頂戴する。
瀬戸内海のタイとタコは格別に
美味だ。
特に瀬戸内海随一の多島エリア
である三原沖が釣りの穴場だ。
潮の流れが急流なため身がよく
締まっている。
特にタコは三原のタコが絶品で
明らかに他のタコと味が異なる。
最近は収穫が少なく、店にもあ
まり並ばないようだ。




今最低の時代劇、NHK大河

2023年03月26日 | open
 

戦国武将徳川家康が総髪。
 
家臣も総髪。


みんな総髪。


全員総髪。


こいつら兜は被らないのか?


服部半蔵も総髪。
 
最低の時代劇だ。
戦国武士は兜を被る戦闘者だ。
兜被りはそんな髪型には絶対
にしない。
 
ファンタジーはほどほどに。
ねつ造はよくない。

ビリヤードの話をしながらお寿司何皿食べれるのか⁉︎

2023年03月26日 | open

ビリヤードの話をしながら
お寿司何皿食べれるのか⁉︎

たまにはこういうのもいい。
はま寿司で会話を楽しむ二人。
平口さんが言うように、はま
寿司はしゃりがかなりうまい。
ネタもいい。刺身載せ機械握り
だが、うまいことはうまい。
そして醤油が凝ってる。

平口プロが「はや"どぐぅ~ん」
と言わなくなってから久しい。
放送を意識しての事かも。
この二人のコラボは結構いい
空気だ。
波長が合ってるのだろう。

平口さんは、勝負強くてプロと
しても勝気なのに、人として毒々
しさがまるで無いのがいいよ。
こういう人、とても業界では貴重。
ケンの強いイガイガしている女性
大集合だから。この業界(笑)。
撞球が巧くて強い選手などは世界
中でも日本でも大勢いる。
でも、それだけだと、それだけだ。
やはり、人柄が魅力ないとさ。

特にプロは。
平口さんはとても素敵な人だと
思います。
土方プロは平口プロと接している
時は、業界によくいるデレデレした
いやらしげな男性としてではなく、
歳の離れた兄貴みたいな感じで接し
ているのも爽やかでいい。
プロの先輩後輩というよりも仲の
良い兄妹みたいだ。
二人はできてるとかのいやらしい
邪推の声も多い
が、そんなこたぁ
関係ない。
仲良い二人が仲良くしている。
そういうのはいいもんだ。
たとえ男女の関係だろうとそうで
なかろうとも、仲良いのが一番
いい。
この二人のコラボ動画は良い。
こういうのやっているの、日本では
この二人だけ。



撞球人

2023年03月26日 | open


昨日、華台で玉を撞いていたら、
別台で一人練習をしていた人が
練習上がって帰る時に「お先に
失礼します」と声に出して挨拶
をした。
「お疲れです」と返した。
全く見知らぬ人だ。
だが、きちんと挨拶をする。
その人は、店に入って来て自分の
テーブルに着いた時も挨拶をした。

なぜか。
ここは玉屋であり、彼は撞球人
だからだ。
まだとても歳若い。
しかし、本物の玉屋育ちである
事を体現している。その日常性
において。
これが玉屋であり、撞球をする
撞球人のトラディショナルな姿
だ。
スポーツマンがスポーツマンと
しての立ち居振る舞いをしてい
る。

まだ若い20代の人でも、きちん
とした場所ではきちんとした人
材として育っている現実に接し、
とても心地良かった。
出鱈目ではないちゃんとした
玉屋は、やはり良い。
本人の人的質性や心掛けもある
が、人が健全に育つ環境は最近
めっきり少なくなって来ている。

はごろものスパゲッティ

2023年03月26日 | open


昼はスパゲッティ。
はごろもフーズのスパゲッティが
おいしい。



武士の食事

2023年03月26日 | open
 

外国人の友人が、侍はどんな食事
していたのかと問うので画像見せ
て答えた。
「こんなのだよ」と。
日常的には一汁一菜である。
非常に栄養価が低い。


「ウッソ!」
と言うので
「いや、ほんと」
と。


魚など出た日にはご馳走だ。
メザシは武士は食べなかったが。
たくあんも一切れは「人切れ」、
三切れは「身切れ」なのでふた
切れが原則。鰻も腹開きなどは
食べない。


こうなるともう宴の席でしか
食べられない。それが武士の
日常。


武士の食事はそれが常識だった。
映画『武士の献立』のような豊富
な食材を一般武士が毎日楽しんだ
などというのはファンタジーだ。
そうした食事は将軍や大身旗本、
大名の殿様や御家老位のものだ。
 
ドラマ『仁-JIN-』ではリアルに
考証されていて、旗本橘家では
このような膳が出された。

たくあん三切れと思うは早計。
ナスの漬物もついている。
皿に三切れだけ載るのは武家
はやらない。「死ね」という
失礼にあたるからだ。武士が
死ぬのは主君の出陣にて戦士
として死ぬのみ。私闘は士道
不覚悟なのでやらないし、命
の使い方については極めて敏
繊細であるのが武士だっ
た。
「いざ鎌倉」の時以外、武士
は勝手に死んではならないの
だった。

タイムスリップした現代の医師
驚く。
なんだ?これは!?と。
ご飯のおかずはご飯(笑
 
白米ばかり食べていた江戸の
人々は、武士も町人もカッケ
というビタミン不足から来る
江戸の病に多くが罹患してい
た。
 
旗本の娘橘さきはおかずが無い
食膳に驚く医師のジンに言う。
橘家は旗本ながら百五十石の
禄高なので、と。
150石は幕末のレートで仮に
1石が1両5万円とすると収入
ベースは750万円。
だが、知行は四公六民なので、
150石取りの武士の実質収入は
300万円。
武士全体が生活貧困層であるの
が江戸時代なのだが、年収300
万円で家族が食べ、使用人も
雇い、武役には郎党を連れて
兵役参加しなければならない。
武具は自弁だ。
旗本でそれだ。その下の将軍
目見得以下の御家人、同心や
日本全国各藩の徒士、足軽に
至っては、もはや生活自体が
り立たなかった。
江戸時代に裕福なのは商人や
階級的には最下層に置かれた
祭りや出版や下肥のリサイクル
や神事取り仕切りや興行、出産
介助、看護、医療行為、皮革生
等の独占権益を有する階
級の
人たちのうちの一部の支配
層だ
った。
武士で裕福なのは将軍や大名の
みで、大多数の武士は貧困に
あえいでいた。
 
海外では大きな誤解があるよう
で、武士は支配階級だったので
超大金持ちかと思っているケース
がかなりある。
以前、中国人やフィリピン人、
アメリカ人、英国人、オースト
ラリア人、アイルランド人、ド
イツ人、ウクライナ人、オラン
ダ人、カナダ人たちとの対話の
中で、日本のヒストリカルカル
チャーの話題で武士の生活に
いて触れた事がある。
日本の歴史をよく知らない外国
人たちは、全員が日本のサム
イは誰もが大金持ちかと
思って
いた。
武士は階級は上だが、裕福には
させない政策が幕府と藩に
より採
られた事を説明する
のに一苦労だった。
典型例が参勤交代で、あれは
幕府が諸藩を経済的に疲弊さ
せるための国家政策であったの
は社会科の歴史教科書で習った
通りだ。
 
生活が苦しかった武士は、四公
六民などは守らず、とんでもな
い税率にして農民たちから搾り
取ろうとした。
百姓たちは生きて行く事すらで
きない。
一揆というのは戦国期に発生
した軍事同盟の事だが、江戸期
には農民の決起が百姓一揆とし
て起きた。命がけである。
お上の許しを得ずに直に提訴し
ただけで死罪になるのが江戸時
代だ。民権などは一切存在しな
い。武士階級のやりたい放題だ。
だが、武士の階級は庶民よりも
上に人為的に設定されていた。
武士などは、農民からも城
下町
の町人たちからも毛嫌
いされて
いた。
理由は、「搾取者」だからであ
る。支配者階級であり、人々を
踏みしだいてその上に君臨する
階級だったからだ。
 
経済的には武士たちは火の車だ
ったのが実情だ。
だが、支配者たる武家としての
体面を保つためにからいばりで
見栄を張っている。多くの制約
があろうとも自由に生きる民衆
から好かれる道理がない。
「花は桜木、人は武士」という
赤貧ながら清貧の武士もいたが、
実際には、日々生きて行くのが
やっとだった。
農民を支配して苦しめている階
としての武士が、その大
多数
が極貧状態だった。
戦争も無いのに生産活動に従事
しない武装階級が郎党含めて国
民の約1割を占め、それが階級
として政権を掌握している。
収入は搾取によるものだけだ。
藩によっては産業開発や国内商
取引、密貿易等で財を成す藩も
あったが、それはごく一部だ。
幕臣も各藩の下級武士も、アル
バイトをしなければ生きて行け
なかった。
江戸の産業での実質的な担い手
は御家人たちだった。虫の飼育、
金工小物作り、花栽培、生活消
品群の製造、それらは実
質は
武士たる幕臣御家人や各藩
下級武士が担っていた。
軍人が軍役無き為に花を栽培し
てそれを売って日々の暮らしを
立てている。藩も財政は破綻し
ている。
そのような社会構造がいつまで
も続く筈もない。
江戸時代は、武士が羽振りがよ
かったのはごく初期のみで、
鎖国以降、すでに元禄期には
支配階級なのに極貧という構
造的な社会的矛盾が顕著に
って来ていた。
 
武士などはかっこいいものでは
ない。
内情はヒーヒー言ってるような
ものだ。決してヒーヒー言わな
いで耐えていたのが武士だった
が。
そのあたりの本当の歴史実相は、
藤沢周平がよく捉えていて、武
士を新国劇のヒーローのように
は扱わず、武士が武士であるが
ゆえの悲哀を正確に描いている。
だが、社会体制が血脈主義だっ
た江戸期には、武士は自分で
好き好んで武士の家に生まれた
のではない。これは、他の階級
や階層の人々と同じく抗えな
った。
「自分では選べない」という
理不尽のみが江戸時代の万人
に強制された「平等」であった
のである。
自分ではどうしようもできない
属性(=血脈や家柄や出自の場所
や性別、身体的特徴等)を以て人
が人を区分けして差別する社
会は
破壊されるべきであり、
それは
現代でも何ら変わら
ない。
そうした構造や意識性によって
成立している社会は、それは人
無き社会であり、もはやま
とも
な社会とは呼べない。
人が人として万人が暮らせる世
の中がまともである事は、
論を
俟たない。
人が人である人としての幸せは、
人が人を踏みしだく事によって
は得られない。

タップの手入れ

2023年03月26日 | open



きょうは雨なので走りに行かず
タップの手入れをした。


走りに行っても日記にはアップ
などしないのだけどね。
粘着サイコパスの偏執犯罪者が
鬱陶しいから。

玉屋にはニャンタマ

2023年03月26日 | open

【ビリヤード対決】川端聡プロvs土方隼斗の9ボール対決‼︎



11:24と11:28にニャンタマの
声が入っている。
玉屋だけにタマがいるみたい。
最初、うちの猫の声かと思って、
探すように部屋を見てしまった(笑)。

実際のところ、ニャンタマがいる
玉屋は結構多い。
昔、私が馴染みだった店にも猫が
いて、
お客さんたちにも可愛がら
れてい
た。
あと、ワンコ(大き目)がいる
玉屋も結構ある。
昔の早稲田のイナホさんには
ワンコがいて、ドアストッパー
みたいだった(笑)。
大人しくてとてもいい子だった。

今まで玉屋にいた猫で可愛かった
のは、愛媛から高知に行く途中の
街道ぞいにあった玉屋の猫だ。
台の上に乗ってラシャで爪とぎと
かはしないそうだが、木製のパー
テーションでガリガリやっていた。
ありゃ可愛かった。
しばし、玉を撞くのをやめて、猫

をずっと見ていた。動きが面白い。
お店の猫なので人慣れもしている。
こっち見てすり寄って来る。
やあ、こんちは、てなもんで
とても愛想のよい猫だった。
今はその店は無い。
海が見える崖っぷちにあった店。

この動画のお店は大阪の玉屋で、
看板猫のニコというネコがいる
らしい。




キュー作りの根幹

2023年03月26日 | open



元プロにしてキュービルダーの
ラッキー菱沼さんは言う。
「シャフトが作れるようになって
はじめてキューが作れる事になる」
との旨を。
その通りだと思う。

よく入り、よく切れる。
これタッディーのおかげ。
(「デレッチョ」とはスペイン語で
「まっすぐ」の意味)

グダグダいつまでも粘着キチガイ
うぜえ。