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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

実は別解があった!?入社試験の数学・論理クイズに挑戦!

2022年08月22日 | open

実は別解があった!?
入社試験の数学・
論理クイズに挑戦!

おやどりさん、最高(笑)。





素晴らしかった撞球場

2022年08月22日 | open



毎年年末には必ず寄っていたこの
撞球場は戦後間もなくから開業
した古い店だ。
私が行き始めた全盛期末の頃は
現オーナーの御
父上が経営して
いた。感じの良い老紳士だった。

2台店だったが、その後、私の
10才
年上の息子さんが経営を引
き継いで、
ポケット5台店に改装
した。
自己所有のビルの最上階にこの
店はある。

戦後はずっと四つ玉メインの店だ
たらしい。
昔はカウントさんの女性もいた
という老舗。
県庁所在地の都市の繁華街にある。




大昔の名残の箱台。
この店の箱台は手入れもよく、
私は一番
好きなテーブルだった。

この個体の箱台は穴の奥が深く、
しっかり狙わないとポケット
インしない。

暫く訪れなかったら、営業してい
ない情報がネットにあったので
心配していた。
そうしたら、どうやらマスターは
体壊して3年程店をやっていなかっ
ようだ。
よく朝まで一緒に撞いて、朝飯は
近所のうどん屋に一緒に行ったり
した。
マスターが朝飯にお好み焼きを
買ってきてくれたりもしたりした。
朝からやってるお好み焼き屋とい
のもなんだかすごいが。
駅前、繁華街のど真ん中にあるの
で、年末の仕事納めの後にはこの

街に宿を取り、必ず顔出しした。
また、この地方に行くたびに宿泊
出張では仕事後に顔出しした。
それでも遠いので、年に10回は
行っていない。
もし、この店が私の居住地のそば
ならば毎日通うだろう店だ。
最初域始めの頃は1時間430円だっ
た。
店は通常営業が深夜1時までだが、

私一人になってもマスターは「朝
までだろうが昼までだろうが、
好きなだけ撞いて」と言って店を
開けてくれていた。
結果、マスターと一緒に朝まで
撞いて朝飯となる事が毎度のよう
だった。
年末12月31日に寄った時は、正月
をこの店で迎えるのも定番だった。
ビルの下のテナントが営業時間中

ならば、その店で食事したり、別
なテナントで玉仲間とちょい飲み
に退出したりもしたりした。
玉仲間がバーを経営していたりも
した。この土地の人たちは陽気で
明るく、どの人もとてもいい感じ。
これは取引先の仕事の顧客や業界

の地場支点の人たち、関係業者の
人たちも全員そうで、
明らかに
そうした人柄は土地柄なのだろう
と思う。

みんなとってもいい感じ。
私は今でも大好きな町だ。


今、お兄ちゃんマスターが体調が
芳しくないようで、
現在の運営は
というと・・・何とこの人がやっ
いるとの事だった。

私に90年代にTADを譲ってくれた
人。通称タマちゃん。

TADの前のオーナー。ハタチで既
にマスワリ小僧だった。ブレイク
で割れたら全部マスワリ。マス
ワリしか出さない(笑)。
フランスに留学してパン職人と
して帰国後に店をオープンした。
なんでも今も結構流行っている
らしい。何度か食べたが、とても
美味しいパンを作る。
出会った頃は俺ハタチだったと、
きょう電話で言っていた。
1997年の事。会ってすぐに意気
投合して、何度目かに相撞きし
ている時に私にTADを譲ってくれ
た。
まだこの玉屋の店は現オーナーの
父上がやっていた頃だ。先代オー
ナーも自分の孫のように可愛がっ
ていた。多分、ティーンの頃から
通っていたのだろう。

今はタマちゃんが中心になって、
古い常連さんたちが集まって会
員制クラブとしてこの玉屋を運営
しているようだ。

TADは彼の前の所有者は玉屋の
マスターお兄ちゃんの物だった。

私たちはその先代父上の子息の
マスターのオーナーの事を「お
兄ちゃん」
と呼んで親しんでいた。
ごく親しい常連さんはみんなが
「お兄ちゃん」と呼んでいた。
人柄温厚で最高の人。ホセ・
パリカに感じが似てる雰囲気。
大学は入学したら全共闘のバリ

スト封鎖だったので、ほとんど
大学には行かなかったと言って
いた(笑)。
この店のマスターは、実家稼業
の玉屋の育ちという点や、人の
雰囲気、育った住環境は、私が
かつて
よく行った東京中野商店
街のど中の玉屋
のマスターに似て
いる。人柄温厚で
朗らかな感じも。
商店街の中の
街育ち、という感じ。

「お兄ちゃん」のキュー。


今は今の運営形態になってから、
タマちゃんによると台は3台に減
らしたとの事。
「え~?残りのスペースはどう

してるの?」と訊いたら、メン
バーの寛ぎ自由空間にしている
との事だ。
そして月額費用は1万円で撞き放題
形式らしい。
新規会員募集はせずに、古くから
の常連さんたちのみのメンバー制
にしたようだ。
私は特別に来る前に連絡くれたら
店開けていつでも撞かせてくれる、
と言っていた(笑)。
月額定額会費で撞き放題というの
は、
私が球友と広島県の地元で運営
していた倶楽部撞球会の撞球室

形式と同じだ。


撞球会クラブハウス。(2005-2010)




撞球会撞球室はブラスリーと
ガリオン台を入れていた。
調度品等はメンバー各人の持ち
寄りでまかなった。
地元に撞球場がなければ、有志
で力を合わせればこういう事も
できる、とビリヤード専門誌で
もカラーページで紹介掲載され
た。

ほんとの事言うと、私個人は箱台
を撞球室に置きたかった(笑)。


カナブン

2022年08月22日 | open


朝、カナブンみっけた。

歴史的

2022年08月22日 | open


歴史的一歩が、きょう甲子園に
刻まれた。



水難事故注意

2022年08月22日 | open
 



















河川での水難事故にはくれぐれも
ご注意ください。
私は一度、四国高知の渓流で流さ
れました。結構水量があり流れも
急なアマゴのいる山岳渓流。
師匠と四国遠征のキャンピングで
泊まりがけのフライフィッシング
中でした。
まるでサーフボードで海で沈した
時のように水中に持って行かれ
た。
水中はが巻いていた。
「これは死ぬかも」と思いました
が、存外パニくらずに冷静。水を
飲まないようにした。三半規管が
機能不全になるから。水中で揉ま
れながらそうした事を超速度で
考えた。
その時、オービスのフライベス
にパンパンに入れていたフ
ライケ
ースが浮き輪の役目を
果たして、
水中でもんどりうち
ながらも運良
くたまたま浮上。
そして、そこからあえて背面浮かび
に体勢を取り、流れに任せながら
何とか方位を身体使って操作
して岩
のある岸に。背面浮かび
の対処法は
知っていたから何とか
なった。
かなりの距離を流されました。
師匠も驚いて駆けつけましたが、
私は悪運強く、無事でした。
あれ、普通なら死んでるケースで
す。助かったのはほんのラッキー
であるだけの事。ベタ伏せした頭
の上を銃弾がビュンビュン飛んで
いても、たまたま中らなかったの
と同じような、たまたまのほんの
ラッキーでしかない。
 
リアル「リバラン」をやったけど、
死んでたらリバランにならな
かっ
た。


渓流でのフライフィッシングは、
気をつけないとこうなります。
こうなると助かるケースは少ない。
なぜなら、浮き輪代わりになる
フライベストに浮力が足りないと
ウエーダーに水が入ったな
確実
深く沈むから。


釣りもレジャーも、川遊びは非常
危険が大きいので、最大に
注意
してください。
特に山岳渓流は危険度がかなり高
い。
むしろ、水量の少ない渓流源流部
ほうがまだ危険度は低いよう
す。


 

黒檀

2022年08月22日 | open



全黒檀のキュー。
黒檀といってもマグロではなく
縞黒檀だ。
ネジまで含めてサウスウエスト
風のデッドコピー。多分台湾製
だろう。
20年程前に新品を日本で購入。
撞球能力は悪くはない。

「ズンドコベロンチョ」 草刈正雄

2022年08月22日 | open

「ズンドコベロンチョ」 草刈正雄
1991/4/18

ズンドコベロンチョ.avi - ニコニコ動画

ズンドコベロンチョ.avi - ニコニコ動画

ズンドコベロンチョ.avi [エンターテイメント] 知る人ぞ知る作品

ニコニコ動画

 


「アーバンライフにおけるコン
テンポラリーのニーズに応える
為に、今のインテリジェント
ビルにはアメニティ空間として
のアトリムは欠かせないわけで
す」(三上課長)

(笑)。


ビリヤードのある宿に泊まって観光する旅~ビリ宿~ 河口湖温泉 河口湖ホテル編【VLOG】

2022年08月22日 | open

ビリヤードのある宿に泊まって観光する旅
~ビリ宿~ 河口湖温泉 河口湖ホテル編【VLOG】

河口湖北原ミュージアム。
トライアンフタイガー。
1938年、世界で初めて女性が二輪
レースに参加したモデル。
1988年、世界で初めて世界グラン
プリでポイントを取った女性レー
シングライダーは、F1界と二輪界を
完全支配する英国の賄賂王のよう
な独裁者(ヒトラーを肯定してい
た人物)により1990年にレースへ
の出場資格を一方的にはく奪され
た。これは歴史的にひどすぎる話。

女性初の二輪レース世界チャンピ
オンは、カワサキのニンジャ400改
を駆り、2018年に歴史的に誕生した。
世界初の女性ライダーのレース参加
は1938年の英国トライアンフによる
ものだった。
ビリ宿とは関係ないネタですが。


今回のビリ宿の撞球室はかなり
立派な部屋です。
ボルルムとは舞踏場、ダンス場、
宴会場という意味の単語。


完璧なるアメニティー空間。


広く開放感がある。


テーブルは名器ブランズウィック
ゴールドクラウンⅢ。
通称ブラスリー。
とても作りがしっかりした歴史的
な名品です。
米国ブランズウィック社が台湾で

OEM製造した製品で、厳しい品質
基準のため、かなり作りはピシッ
としている台です。
ブランズウィック台はこれまでの
長い歴史の中でいくつか特筆的な
名品を作りましたが、この1986
ブラ3モデルは、一番の歴史的名品
とも
呼ばれています。


良質材

2022年08月22日 | open

極めて良質な材を使用している
シャフト。
これはテーパーは私好みに仕上
げているが、私のオリジナル製
のシャフトではない。アダムの
2003年製の最廉価版キューの
シャフトだ。
ブランズウィック社のゴールド
クラウン3のビリヤードテーブル
を買った時に業者さんがオマケ
で付けてくれた6本のハウスキュ
ーのうちの1本だ。
極めて良質というのは、木目判断
でのAAA区分けとかではなく、
実際に撞いてみて最高なのだ。
この個体は、クラブの据え置き
ハウスキューとしてメンバーが
ブレイクキューに使用していた
個体のシャフトだ。
2005年から2010年まで毎日何
百回とシバキまくられた。
そして、クラブハウス閉鎖の時
に一番最初のクラブ発揮人とし
て全体会議の意向決議にてクラ
ブのハウスキューを4本譲り受
けたのだ。そのうちの一つ。
曲がり一切無し。信じられない。
 
だが、世の中恐ろしいもので、
この時のアダムの1本6000円の
ハウスキューのシャフトは6本
ともとんでもなく良い物だった。
そのうち、一番木目が詰まった
シャフトを私はオリジナルキュー
のスペアシャフトにした。
これもクラブハウス運営中に、
功労賞のような形でメンバー会議
で私に進呈してくれた。
その個体は象牙先角を着けて、
リングも製作して貰ってLuke.6
のスペアシャフトになった。
木目が1本のシャフトの中に21
年輪ある。詰まった目で。

この画像のブレイクシャフトの
個体は、クラブハウス閉鎖後に
私が譲り受けて後、私の好みの
データに基づいてテーパー加工
した。
今、手持ちのキューのうちカス
タムキューを除けば、一番切れ
るシャフトだ。音はキンキン音。
 
木目が素晴らしい。
まるで日本刀の古刀の山城物の
ような木の目を見せている。


6本のうちこの個体だけバーズ
アイ調が見られるハードロック
メープルだ。


とにかく木肌が素晴らしい。


このあたりなどは本当に日本刀
の古名刀山城伝の肌に似ている。


先端付近の木目も素晴らしい。
年輪数を別にすれば、この個体
が一番良質だ。


画像でお分かりになるだろうか。


これ、日本刀です。まるで(笑


今、18山でのメインシャフトは
この個体。
アダムの今世紀初頭のハウスキュ
ーラインのシャフト、恐るべし。
良い材料がまだ豊富にアダムさん
には残っていて、それを惜しみな
く最廉価版ラインナップにも使っ
ていた時代の製品だ。
時代を感じる。
このシャフトでさえ作られてから
もう20年近く経つが、原木からの
製材は何十年もの寝かし材とアダム
独自開発の強制乾燥だろう。
ネルソナイトは使用している時代
の製品だが、材料がとても良い。
良い材料がまだあった良い時代の
木材だ。
そして、もっと驚異的な事は、
こうした良質メープルの原木樹木
は、日本の歴史では戦国時代あた
りに発芽したメープルなのだ。
それが数百年の年月をかけて大木
となり、その森林が建材や家具や
道具用として伐採された。伐採
されまくった。
そして、その良質樹木の枯渇が
20世紀末期にやってきた。
それは寒い地方の北米メープル
だけではなく、中南米、東南ア
ジア、アフリカ等の各地のトーン
ウッドと呼ばれる銘木も同じ状
況になった。
17世紀から伐採されまくってい
て絶滅寸前になったブラジルの
ハカランダ=ブラジリアン・ロ
ーズウッドは、早くから国際条
約で伐採禁止措置となったが、
日本でも一般家庭のテーブル等
は勿論、楽器などでもごく普通
にブラジリアン・ローズウッド
が普及材として使われていた。
ブラジリアン・ローズウッドが
伐採禁止となってからは、ホン
ジュラス原産のローズウッドが
ハカランダに取って代わったが、
それも絶滅危機に瀕し条約対
となった。
そして2017年以降、ほぼ全ての
地球上のローズウッド系が取引
禁止措置となった。ナイフの柄
の定番だった廉価ローズ系のコ
コボロでさえ。
黒檀なども、マグロ本黒檀は
今世紀初頭にはほぼ無くなった。
今はアフリカンエボニーで代用
しているが、それも時間の問題
だろう。
今は規制対象外であるボリビア
のパーフェロー(ローズウッドで
はないが、商品名はボリビアン・
ローズウッドと命名されて伐採
されまくっている)も、じきに
伐採禁止措置になるだろう。
私が今世紀初頭にココボロの
行く末は輸出入禁止になるかも
と言ったり書いたりしたら、
「まさかぁ」という声も多かった。
だが、実際には、それからかなり
近い時期にココボロの輸出入禁止
が現実化してしまった。
この先、良質メープルやローズ
ウッド系トーンウッド群の安定
供給が望めるようになるには、
あと500年位待たないとならな
い。

大昔の日本の製鉄産業が駄目だ
った事は、木炭製鉄のための
の森林を伐採しまくり、山が
裸になったら別の山に移動する
という事を繰り返していた事だ。
そのため、「死んだ山」が限り
なく作られ続けた。
資源は無尽蔵にあるかと思い込
んでいるような方法で古代製鉄
は実行されていた。
計画的植林などはしない。
二次植林である落葉樹の木炭
原料に対してもそうで、後先考
えずに古代製鉄では伐採しまく
った。
古代製鉄から近代製鉄になり、
現代製鉄の鉱石還元製鉄になっ
てようやく計画的原料確保に頭
が回るようになった。
だが、日本の木炭製鉄は同時に
死滅した。完全死滅。
それが日本刀界の先人たちに
よってようやく1978年から旧
たたら吹製鉄が復元された。
だが、黒松の木炭原料の壊滅的
枯渇問題は何ら改善されていな
い。闇雲に獲り尽くしたからだ。
そして、戦後高度経済成長期に
は、何の反省も未来への計画性
もなく、住宅建材として針葉樹
が伐採されまくった。
その人的迷走により、膨大な杉
が植林され、スギ花粉症被害
という新たな公害を発生させる
に至った。
日本人、結構頭良くない。
目先の利益だけ求めるアキンド
国になってしまい、それによる
被害は国民にとんでもない被害
をもたらした。
四日市、水俣等の公害や薬品の
いい加減な製造販売による薬害
がアキンドたちによって発生さ
せられた。
そして、日本は、環境問題や
健康被害に関する警鐘や啓蒙は、
いつの時代も西欧からの影響で
開始されて来た。てめえの頭で
考えて何とかしようとしたため
しは無い。
20年程前からブームが作られた
「エコ」も、エコは儲かるから
やられている。
そんなもんだ。この国は。
いつからかこうなったとは思う
が、古代製鉄の山荒らしの風体
を見てみると、大昔から日本人
は目先の利益しか興味なかった
のかも知れない。
 
ただ、言えてる事は、事実とし
て良木材は、全種類において
深刻な枯渇問題がある、という
事だ。
ロシアがやってる戦争のせいで、
ロシアからの建材輸入も停止し
ている。
それは無計画伐採によるもので
はなく、政治対立に起因するが。
 
上掲の画像のシャフトはこの
キュー個体のシャフトだった。
撞球能力格別。

 
うちの猫のシルエットでシェル
インレイを手作業で入れようか
プランニングしている個体だ。
本格インレイというより、イル
アートなどで使用される本物の貝
のシートを利用しようかと思って
いる。ギターのポジション用にも
今は本貝シートが発売されている。
それらをうまく加工して、段差な
く表面はクリア塗装で仕上げる
予定。埋め貼りだけではシールの
ようになるからだ。