渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

野営野食会

2022年06月11日 | open


二泊三日組、雨中盛り上がりの
模様。

雨の日

2022年06月11日 | open


雨の日にはこれ。ノーラップ。
最強。

本日の研究会、10時間撞き。
600分で約80ラック撞いた。
途中食事休憩3回あり。


グラスファイバー・シールド・シャフトのキュー

2022年06月11日 | open



キューテックやジョニー・アーチャー・
シグネイチャー・モデルのスコーピオン
などは、かつてはグラスファイバーで
メイプルがシールドされたシャフト
った。

このシャフトは好みが分かれていた。
総体的には評価は低く、「使えない

キュー」などとも揶揄されていた。
だが、特性を概括的に説明せんと

包括的に言うならば「コシが強い
キュー」
となる。手玉をピュンと
持って行く。押し引きは特筆物だ。

だが、逆ヒネリを入れた場合には、
ノーマル・ソリッド・スタンダード・
シャフトよりも手玉に横跳びが出る。

ところが、イングリッシュはよく乗る
し、押し引きもキュー切れ大魔王の
ような玉筋を出すことができる。
アーチャーのように。
妙なキュー。

私は嫌いではない。

そして、こんな玉も撞けてしまう。
逆入れなので合わせの具合を掴むの
に度数感知の自己能力を上げる事と
撞き込みの慣れが必要だが、このよう
な通常とはかけ離れた玉筋を撞く事
が可能なキューだ。


一般的なキューだと、逆ヒネリを入れ

て押しても、手玉はラックエリア付近
の中央へ戻るコースとなる。
このグラスシールドシャフトは、トビ
は大きいのだが、それを使いこなすと
TAD以上の変化球を繰り出せる。
キュー先はサイドポケットの左端あた
りまで向くほどに見越しを取るマック
ス押し左ヒネリだ。
するとキュキュッと出る。
手玉が逆振りだったら真上押しで、
入れ穴側の長クッションに2-3クッショ
ンUターンしてトトンと入り4番にレー
ルに沿うように出せる。こちらの順振
りのトトンスー出しは他のキューでも
簡単にできるが、逆のイングリッシュ
利かしでの押し出しはよほどキュー
を切らないと出せない。
真上撞きでのキュー切らしの場合には、
長クッションに入って戻ってからU
ターンしてまた長クッションに向かう。
いわゆる平撞きのマッセのような
軌道の玉筋。
そういうのが簡単にできるキュー。
変態キューのようで面白い(笑)。

芯撞きしたらそのキューの独自の音質

が判る。
これは私の個体のみかもし
れないが、
私のアーチャー・モデルは、
撞くと
「スピン」という透き通る高音

する。

こうした濁らない澄んだ高音を発する
キューは、プレーに際して気持ちが引
き締まるし、モチベーションも上がる。
音の要素は、キューの動き以上に大切
な要素かもしれない。
ある世界チャンピオンはキュー選びの
基準を尋ねられて、インタビューで
「サウンド」と答えていた。
なるほど頷ける。
どんなに動きが良いキューでも、音が
ペシペシ音だったりボンボン音だった
りしたら、なんだかなぁ、というのは
ある。



Johnny Archer 7-7 Tanaka Masaaki

2022年06月11日 | open

Johnny Archer 7-7 Tanaka Masaaki

なんとな~くだけど、この試合会場
での場内アナウンスは北山アッコの
よう
な気がする。声の記憶からする
と。

違うかもしれないけど。




塗り

2022年06月11日 | open



友人の一人に撞球者がいる。
その彼はプリントキューである
のに、頗る動きの良いバットと
シャフトのキューを1本持っている。
何本もキューを持っているが、

そのキューが総合能力が高いので、
ここ数年はそれを多用している。
キューの金額は能力とは比例しな

いという典型例。
最近のプリントは技術が発達して、
プリントなのか本物のインレイな
のか一見すると判り難い程のプリ
ントを見せる。ペイントとプリン
トの時代の違いを感じさせる。

プリントキューの特質は、表面
のみ模様が印刷されているだけ
で、実は中身は一本物のいわゆる
業界用語で「坊主」、つまりプレ
ーンの造りである事が殆どだ。
だが、それは時としてカスタム
キューでも珍重された技法と奇し
くも同軸を形成する要素を持つ。
アタリに出会えば、そこらの高級
キューと比肩できる程の動態性能
を見せる個体もあったりする。
ハウスキューの中にもごくまれに
アタリがある事実と同じく。

友人はかつて「塗り」のプロだった。
本職。
その彼は、プリント部分(ナチュラ
ルのメイプル地を見せるクリアの
中にフルール・ド・リスがプリン
トされている)の配置がどうも
気に入らないらしく「ここのこの
部分さえ無ければこのプリント
柄も悪くないのに」と言う。
確かに。私もデザイン配置の感想
とし
て同感だった。
「そこだけ剥がして、クリアを
塗り直したら?プロだったし」と
私は言った。

すると友人は「それもありかと
考えた。しかし、もし万一現在
の性能が大幅に変わってしまった
ら?それを考えたらリスクあり
過ぎだと思うのでこのままで
我慢(笑)」と言う。
これまた、ある面大正解かと感じ
た。
塗りのプロであっただけに、クリア
塗装如何で製品の品質が左右される
事を知悉しているのだろう。

ビリヤードキューは木製品だ。
木は生きている。
そして、気乾比重や質量等は関係
なく、それぞれ個体により道具に
仕上げられた時の動きに個体差が
発生する。
その個体差は木の種類や接着密度
による個体差とは別な物としてある。
簡単にいうと、メイプルとエボニー
では木の質としての性格が異なる
が、同じメイプルでも個体によって
すべて性質が異なるのだ。
木は生き物なのでそれは仕方ない。
石油化学で生まれた画一的な工業
製品ではないのだから。
逆にいうと、だからこそ木製品は
道具にした際も面白いのである
のだが、一つ欠点がある。
それは「アタリとハズレ」という
個体差が存在する事。
時にその個体差は微細な繊細な差異
として現出するのであるが、人間は
そのごくわずかな差異を感じ取って
しまう。木製楽器がよい例だ。
音質の違いは、どんなに微細なもの
でも、人間はそれを識別できてし
まう。

かくして、ビリヤードのキューに
おいては、木製構成パーツを使った
トラディショナルなキューでは
「個体差」からは絶対に逃れられ
ない。
そしてそれは、人をして「アタリ」
か「ハズレ」かを感知せしめて
しまうのである。
アタリ⇔ハズレに明確な指標として
の目盛りのような基準は無い。
そこがまた難しい要素を増幅させ
るのであるが、単純な表現を使えば、
料理と一緒。味は「おいしい⇔
まずい」の基準を数値化できない
のと似ている。
曖昧な言い方だが、キューは撞い
てみて「お!」と
思える物はア
タリであるケース
が多い。
しかし、その「アタリ」か「ハ

ズレ」かの基準枠は各個人に依る
ものなので、殊更に曖昧だ。
どういう性質の物を「アタリ」と
捉えるかは各人による。

ただ、物理現象は各人の感想や
好みとは別に厳として存在する。
例えば不思議なもので、誰がやって
もまったく「引き玉」が苦手な
キューも存在したりする。厳密
にはキューのシャフト部分なのだ
が。
逆に「押し玉」が苦手なキューも
ある。
さらにはイングリッシュと呼ばれる
ヒネリのスピンが乗りやすいキュー、
そうでないキューもある。
手玉の横跳びのズレの大小もある。
そして、「ただの棒」のような
キューもある。全く手玉を自在に
動かせないモップの柄のような
キューも現実に存在したりする。

それらの物理的な現実的現出現象
に各個人の好みという全く別要素
が接触するので、キュー選びは困難
混迷を極める。
ただいえてるのは、「自分のプレー
スタイルに合った道具」を選ぶ事
が必須だろう、という事。
昔あるプロが私のキューを5本程
撞いてみて「分類としてはどれも
似た性質のキュー」と評したが、
そうした事にもなってくる。
切れ物の刀が好きな人は切れ物
の時代刀ばかりが手元に集まる
し、実用性度外視のキンキラの
美術刀剣が好きな人はそのよう
な日本刀ばかりを集める。

友人の「塗り直しは思いとどまる」
という選択肢は、判断としてある
正論を実行しているように感じる。
クリア塗料にどんな物を使ってい
て、どのような塗り方で厚みが
何ミクロンであるかが判明しない
事には、性能面の原状回復は困難
と彼は判断したからだ。

クリア塗装の状態によって全然
打球性質変わりますよ。ビリヤー
ドのキューは。これ、ほんと。



トビが多いキュー

2022年06月11日 | open




逆入れの時にノーマルソリッド
スタンダードシャフトよりもトビ
が大きいスコーピオン。

このノーマルシャフトよりも遥か
に逆入れのトビが強い。




だから、キューテック/スコーピ
オンのグラスファイバーコーティ
ングのシャフトは多くの人たちに
は敬遠されたのかも知れない。
新素材新工法をハイテクというの
ならば、これはハイテクシャフト
の嚆矢のシャフトと呼べる。
だが、ハイテクシャフトというも
のがシャフトの個体差の解消と同
時に資源枯渇を乗り換える為に存
在した事を忘失してディフレクシ
ョンの減少による手玉直進性のみ
を求めるようになってからは、そ
のような目的で作られた工法と素
材のシャフトがハイテクシャフト
と呼ばれるようになった。

しかし、この潮流は一考を要する。
手玉が何が何でも直進する玉筋し
か出せないシャフトを「性能が良い」
とするのは、果たしてその視点、
思考解析の立脚点は正当であるの
か。
私は答えは否であると思う。
思考回路が短絡的過ぎであり、多角
性の欠落は複合的なファクターと
その対処技術のリンクを断裂させ
るからだ。
つまり、オートマ車で緻密なギア
レシオに適合したアクセレーション
ができるのか、という問題。
現代ではオートバイがオートマ化
されて来ており、まさにハイテク
ノロジーが導入されている。
電子制御をふんだんに駆使し、
トルクコントロールでバックトル
クを流したり、フロントリフト
アップを抑えたり、自動回転同調
シフターがついていたり。
そうしたオートバイは現代では
主流になりつつある。
だが、それらは「良い車」なのか。

ビリヤードのキューも全く同じで、
手玉直進性のみ純化させたキュー
=現行ハイテクシャフトの質性を
「良質」と捉える解釈は私は誤謬
であると感じている。
答えとしては、それは「別な次元
の別なファクターを質性の良否と
いう判断軸に誤変換している」と
いうところが真相である事が見え
るからだ。物事を見る目、として。

最近、中国製のHOWキューの評価
が高い。特に日本人のトッププロた
ちによる評価が。
HOWキューはノーマルシャフトで
ある。
往年のカスタムキューの上出来の
作と同種同系統の撞球性能を実現
させているキューとの評判だ。
この流れには、一つの「正論」の
答えが隠されていると感じる。
単なる「キュー選びは好き嫌いの
類いのもの」などという規定概念
を超える普遍性がそこにある。
単一能力特化の事物は、それは
「優れている」とはしないのだ。
例えば、学校での学業で、現国の
みが偏差値80近くあっても、他
の科目が偏差値50であったなら
ば、その人間を「学力優秀」と
は呼ばない。
つまり、それ。
ビリヤードの世界で、手玉の直進
性のみに特化させたキューを能力
が高いとしたがる風潮は、それは
大きな誤認、誤謬であると断言で
きるのである。
キューの能力とは、そうした単一
事象に規定されるものではなく、
複合的な道具としての諸能力の具
備如何に規定されるものだ。
キューにはフォースはあっても自
力の「パワー」という物は無いの
だが、キューを指してパワーパワ
ーと呼ぶ安直な傾向性からして現
行のキューに対する解析視点は
暗愚不明な潮流が多い。昏い。
手玉の押し出し性のフォースや
跳ね出しの強さのバネや腰、
ブレ=不正振動のディフレクショ
ンの大小、音質、e.t.c.・・・。
キューという道具にはいろいろ
な撞球性能の要素がある。
ピーキーな性質のものもあれば、
平均的中庸な物もあるし、特定
性質を特化抽出した物もある。
それら多様な性能面のある特定
能力を特化摘出した事象を以て
それを「優れたキュー」とする
のは間違いなのだ。

ティップの事をタップと呼ぶ業界、
認識不全が結構横行しやすい。
そして、流行りに乗せられた金太
郎飴と集団洗脳が蔓延しやすい。
これは、現象を見ていれば判る。
金太郎飴のグローブなどはその
典型だ。
良い物ならば40年前から全員使っ
ていた。
そうではないファクターに乗せら
れているから、人の流れに自分も
乗りたがる。
それは集団感染だ。
そして、それは、事物事象の本質
的意味合いとは別次元の問題とし
て現出しているのである。
赤信号、みんなで渡れば怖くない、
というのは、赤信号の意味を無視
するものであり、安全性確保や
交通ルールの存在とは無縁である
ばかりか、そうした視点での身の
処し方は、人間的にとても危険な
指向性であるのだ。

キュー選びは「好み」で選ぶ物。
だがそこに特定性能特化物を指し
て「(全体)性能が良い」とする
概念を動員させて潮流を形成し
ようとするのは、それは根本的
視点と思考方法が誤りなのである。
「どう思おうが自由じゃないか」
などは存在しない。
間違いは間違い。学力評価で述べ
た引例の如し。