知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~
2021年8月20日21時40分。
ジャストナウの三原の街。
今夕の竜王山(葉田の山)と筆影山。
海の向こうには佐木島。西を見ると、空が夕色に染まっている。どんどん茜色になる。何か飛んでいる。北を見ると桜山。はぐれ雲が浮かぶ。カブトムシとクワガタくんたちがここ から遊びに来る。山頂には中世の山名
氏の城跡がある山。
この山頂から見る三原の町の眺望は
なかなかいい。
そりゃあ怖いだろう。
だが、この教頭や加害者の生徒たちや
その親たちは「怖くない」んだよ。
それがイジメだから。
でも、いてはいけないんだよ。こうい
う教員が教育の現場にいては。本当は
教育現場でこの手の教員の生存や風潮
があってはならないんだよ。
でも、よーく冷静に考えてみて。
教員なんていうのは、ただ学校の勉強
だけしてきて大学出て資格取っていき
なり教職に就いた人間なのよ。一度も
社会に出て社会的に成長した者では
なく。
つまり、社会人の経験ゼロの段階から
「人の上に立った」と勘違いして、
自分らが世間知らずのくせに生徒たち
を「指導」するつもりの職業なのよ。
なんの労働も、勤労奉仕も何の苦労も
肌身で知らないまま。
そして、人格形成においても、ただ
学校の単位取ってただけの奴らでも
教員になれる。誰でも紙とペンだけで
教員などになれる。人格破綻者でも。
どうです?
そんな連中が、どうして人を指導など
できようか。なぜ子どもに教育などが
できようか。
そして、この教頭みたいな絶対に人の
社会ではあってはならない感覚を持っ
ている人間が「指導者」面して生徒に
「何かを教えて」来た。
その結果は、「人殺し、みんなでやれ
ば悪くない」、「イジメても、イジメ
かどうかは数次第」てな事を教えて
いる事をやっている。
ゆえに、加害者生徒もその保護者も
知らぬ存ぜぬだ。責任や良心の呵責は
一切無い。
そうした人間を「育成」することをこ
の教員と学校はやって来たという事な
んだよね。
これ、この教員と加害者の保護者たち
を国会に証人喚問招致して国会で言及
すべき問題だと思いますよ。
日本の教育現場は腐れきっていると
いう事が改めて明るみに出た「みにく
い日本」の実の姿ですがな、これは。
あまりに学校と周囲の人間たちがひど
すぎて、イジメで命を絶って死んでし
まった子が浮かばれない。
「日本のため」にならないのは、お前
だよ、教頭。
「いろんな人がいていい。それが民主
主義だ」じゃないんだよ。
人が人を集団イジメで死に追いやるよう
な「自由」はあってはならないんだよ。
「数が正義」が民主主義じゃないんだよ。
人が人を虐げてそしてその上にふんぞり
返る社会構造はあってはならないんだ
よね。人の社会は。
未成年時分に、子どもたちには、その
人の世の大切な事を教えて、自分の頭
で自覚して考える事に教師は手を差し
伸べないとならないんだよ。
旭川のこいつら、なんだ?これ。
こりゃあ、この教頭を縛り首か電気椅子
かギロチンにしないと問題は解決しませ
んな。
また同じような事がこの教員の所では
起きる。こんなのがふんぞり返って教頭
でいる限り。
加害者の親もそうだが、こんな人間だか
ら何も生徒に教育できていないため今回
の事件が起きたのではないか。
教育指導を受けるべきはこの教員だろ
う。
「先生商売クズばかり」の典型例で子
どもが殺されてはたまったもんじゃな
い。
で、こいつら全員のうのうと生きてる
んでしょ?
そら、理不尽やわ。
いやという程、中高の教員を知って
いるが、高潔な人間はほぼいない。
狡猾なカスばかりだ。
心得違いの不届き者ばかりなのだ。
この旭川の不幸な事件も、この教頭の
質性が浮上する事で、凄惨な事件が起
きた背景がはっきりしてくるのではな
かろうか。
よく、おめおめと教師面して生きて
いられるな、この教頭。
槍術についてはよく知らないのだが、
たんぽの着いた軽い木製稽古槍では
なく、真剣の穂が着いた槍は、構え
てしごくと結構しなりますよね。
よく正確に一点を突けるなあと思うの
ですよ。
武士の腰の大小は、武器というよりも
護身用刀剣の意味合いが強かったけど
も、槍や鎧通しは完全に殺傷の為の武
器だものなあ。
源平合戦の頃には散々しなかった槍だ
が、戦国時代などはもう槍は戦争の
主軸武器で、武士などは弓馬と共に
「槍の家」などとも言われた。
また、武将だけでなく、足軽や徒歩の
軽輩に至るまで武器は槍。あと石。
(投石による死者は非常に多かった。
おにぎり大の石が雨あられと降って
きたら、刀剣では勝てない)
槍はかなりの技術がないと使いこなせ
ないという面はあるが、雑兵でも突く
だけとか、遠距離から叩くだけとかは
使えたみたいで、シンプルな棒の先に
刃物が着いただけなのに、入口広く
奥域深い武器だったようだ。
本職のデークの友人との間で、ある
大工さんが打つ能面のブログが話題
になっていた。
能面だけは、そこそこ器用とかでは
打てない。面打ちは能に対する深い
見識がないと製作できないからだ。
技法の巧い下手とかではない。
その注目していた大工さんの能面の
個展が開催されるとのブログ記事を
見た。
やっぱり、本職の能面作家だった。
昨夜19日の小倉の月。
月齢11.5。
満月は22日(日)。
けさの竜王山。朝6時28分。
雨雲がかかり、山頂は見えない。
海は見える。瀬戸の内海だ。
瀬戸は元は迫門とも書かれ、狭い
海峡の事を指した。平安時代の源平
合戦での悲哀を生み能の演目にも
なった岡山県倉敷市の「藤戸」も、
元は児島の海であり、迫門だった。
能の藤戸は、執心男物として四番目
物の現行曲として演じられている。
能の演目のうちの三千ほどは失伝
し、現在は二百数十演目が伝承され
るのみだ。
三原市内西方の広島県立大も見える。
この広島県立大のキャンパスの丘のふもとの短い峠が吉備の国備後国と安芸国の国境になる。ただ、竜王山(葉田の山)とその左の
三原湾に面した筆影山(ふでかげやま
/ひつえいざん)のみが見えない。
赤白のタワーの場所が三原港。
島しょ部へのフェリーが就航して
いる。
昨日の東京の雲龍。
ここは三原の南の竜王山。
峠のロードは白線の実線センターラ
インである。ここは全線白線実線の
「はみ出し禁止」道路だ。
どんな状況でもはみ出してはいけな
いという法規定。
道路の黄色の実線は「追い越しのた
めのはみ出し禁止」であるが、但し
書きで、道路に駐車中、停車中の車
両がある場合にははみ出してもよい
法規定になっている。
白線破線は追い越しのためのはみ出し
OKの決まり。
三原には竜王山が二つある。
こちらは元々は平安時代の源平合戦
で屋島の戦いに敗れた平家の落武者
葉田(秦とも)氏が開いた。山頂には
葉田氏を祀る鎌倉時代創建の古い神
社もある。
北のふもとの現宗郷町に残る古い祭り
の「ちんこんかん」は、平清盛の霊を
鎮める平家踊りであるとの伝承も残さ
れていると1990年代の毎日新聞の地方
版の説明にあるとの事だ。
となると、「ちんこんかん」は鍛冶の
音色ではなく、「鎮魂歌」の訛りか。
片岡義男作の小説『彼のオートバイ.
彼女の島』に登場する岡山県白石島の
白石踊りも、平家の敗残武士たちの霊
を鎮める踊りだ。
三原の「南の竜王山」は地元の古老
たちは「はたの山」と呼んでいる。
また、田野浦ハタ(含登町)、和田ハタ、
須波ハタ(含沖浦町)、と地元では古く
には山の各ふもとの場所が呼ばれて
いたようだ。
竜王山みはらしラインは「葉田スカイ
ライン」とでもしたほうが歴史を感じ
て良かったようにも思える。
私などは「ドラゴンキング=ドラキ
ン」と呼んでいるが。
みはらしラインの開通のための開発
費は31億円。1991年に着手されたが、
毎年のような土砂災害により工事は
難航し中断再開が続いた。
みはらしラインは2018年に全線が
開通した。
北側に山の下まで下りられる旧道と
繋がっているので、頂上の特定区間
までの私有の観光道路ではなく「峠」
である。
箱根ターンパイクなどは「峠」とは
呼べない。私道の自動車用路だから
だ。
峠とは、A地点からB地点までに山越
えする往路の事であり、ゆえに必ず
峠には「頂点」がある。
「はたの山」のみはらしラインの場
合は、それは頂上駐車場にあたる。
その上のローカルTV局の電波塔が
ある展望台エリアは、峠の路線内に
は該当しない。