渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

自粛警察

2020年05月19日 | open







ひどいことする。
油性ペンの文字を消すにはそれなりの溶剤
かケミカルを使うことになる。
当然、ナンバープレートの白と緑の塗装も
傷む。コンパウンドなどで擦るとすぐに
ナンバーは剥げてしまう。
落書きは法的には器物損壊だが、それ以上
にこの落書き行為はいわゆる自粛警察とい
う集団ヒステリー感染者の暴挙たるテロで
あることを見逃してはならない。
そうした私的リンチ、私的制裁を正義と
する誤認は、時により人を殺してでもそれ
が正義だとする風潮になりかねない。
実際、そうした愚かな行為を人間は踏んで
来た事実がある。
西部開拓時代のアメリカ人の「市民」に
よる私刑での縛り首殺人しかり、関東大震
災の時の日本人による朝鮮人虐殺しかり、
ナチスドイツのユダヤ人大虐殺しかり、
ネット時代における現代日本人の私刑賛美
のファシズム潮流しかりだ。
このナンバー落書きは、単なる器物損壊で
は済まない、深い心の闇が日本人を蝕んで
いることの現れだ。
自粛警察にみられる傾向は、日本人が古く
から持ち続けている前近代的な「ムラ意
識」と同根の全体主義的排外意識の現れな
のである。
そして、それらの担い手は、平気で人を
差別、排外する。差別や攻撃的な排外圧力
を「正義」だと信じ込んで行なう。
始末悪い。自分が正しいと信じ込んでいる
からだ。
それが進むと人殺しをも正義だとする神経
に必ず行く。過去の歴史がそうだった。
こうしたテロルは、単なる器物損壊では
なく、果てしない社会犯罪であるのだ。
人びとが苦しむ時こそ手を携えなければ
ならないのに、日本人はなんということ
なのだろう。
これが私たち日本人が望む我らが母国の
「美しい日本」なのか。

いや、ダメでしょ。そういうの。
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