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トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

日記/新型インフルエンザ流行の懸念・気になるニュース

2009-08-21 23:14:45 | 日記
 水曜日に退院してから、昨日は透析のためクリニックにいつものように歩いて行きました。帰りは図書館に寄ってきました。入院のために、返却が遅れた図書もありましたし。図書館の入口には、スプレー式のアルコールが置いてあります。新型インフルエンザ対策のためです。薬局では、1箱60入りの不織布の使い捨てマスクが山住にされていましたが、買っていく人が目に付きました。100円ショップでは、もう、安価な使い捨てタイプのマスクはもうありませんでした。前日の新型インフルエンザの流行を伝えるニュース報道から、マスクの売れ行きが伸びているようです。

 病院の中は、空冷装置のおかげで過ごしやすい環境にありましたが、今日の自宅は暑くて身体がかなりまいりました。時々、うつらうつらの状態で、昼間の奇妙な夢をその都度みていました。昼前に、近所のドラッグストアに行きましたが、マスクは安い箱入りのものは売り切れ状態でした。店員にマスクの販売について聞いている人もいました。またもや、マスクの品薄状況が続きそうです。僕は、前回の購入困難の経験から、新型インフルエンザが下火になった時に、一定の数のマスクを買っておきました。透析患者は、重症化のリスクの高いグループなので、今後は、人込みへの外出を控えたりする必要がありそうです。かなり、行動範囲が狭まることになるようです。患者団体の全腎協は、厚労省に、新型インフルエンザのワクチン接種の優先順位を考慮してもらえるように要請しました。また、透析医会と透析医学会も、透析患者へのワクチンの優先接種と、タミフルの透析施設への確保を厚労省に要請しました。

 今回の死者も、透析患者(それも特に糖尿病性腎不全患者)や、血液のガンなどの基礎疾患を持つ人が目立ちました。また、子どもたちの重症化も問題となりそうです。なお、糖尿病も重症化リスクの高いグループですが、その予備軍も入れればかなりの数になり、優先順位からは外れる可能性が高いようです。

 もうすぐ、新学期が始まります。また、お盆の帰省や旅行で、インフルエンザの拡大地区に入った人たちも少なくないと思われるので、東京でも、今後は患者の数が増加するかも知れません。不必要なパニックは避けなければなりませんが、まずは、妊婦を含めた重症化グループの対策を急ぐ必要があるようです。また、ハイリスクグループも自衛策を検討する必要があるでしょう。

新型インフルが流行期入り 先週だけで11万人受診(朝日新聞) - goo ニュース

新型インフル「ハイリスク者優先を」 厚労省、ワクチン接種で意見交換(産経新聞) - goo ニュース

インフルエンザ、都内でも流行拡大傾向(医療介護CBニュース) - goo ニュース

病院でのバリアフリー

2009-08-18 19:03:26 | 日記
 今日も、透析が終わり、夕飯も終了。
 最初の日に受けたCTの装置、ピクトグラムが使ってありました。息を大きく吸い込んでいる顔の絵に点灯します。その後に、息を止める顔の絵に点灯が移ります。その絵の下に、デジタル表示の数字がカウントダウンして、息を止める時間が判るようになっています。耳の聴こえない人にも分かりやすくなっています。人は年をとると、誰でも身体能力が落ちる可能性があります。だから、こんなユニバーサルデザインのものが増えるていいですね。誰もが使いやすいものが。
 以前に、余命わずかな中途失聴者の方が、不便な病院生活を送らざるを得なかった事を踏まえての講演会がありました。
 また、10年程前に、透析導入の入院の時に、ろう者の男性と同室しましたが、やはり、不便な入院生活がありました。
 現在は、当時よりは幾分ましになった程度でしょうか。
 ユニバーサルデザインの器械をみて、少し嬉しくなりました。でも、課題はまだまだですね。
 さて、今日のニュースで神戸で77歳の男性がインフルエンザの重症化で亡くなったそうです。やはり、糖尿病の透析患者だったそうです。気になったニュースです。

明日、退院します

2009-08-18 13:18:56 | 日記
今日の午前に、お尻のドレインという管が取れました。腕のシャント瘤の手術もうまくいったので何時でも退院可になりました。明日の午後、昼食をとってからにしました。明日からまた、暑い夏の生活が始まります。病院の中は冷房きいていました。ちょっとした、痛い夏休みでしたね。

痛みの相対化

2009-08-17 19:46:59 | 日記
コメントありがとうございました。携帯からは、コメント返しができないので、帰った時に、返事をさせていただきます。ひとまず、ご心配いただき、ありがとうございました。
今日の午後、腕のシャント瘤の手術をしました。途中、麻酔が切れて、激痛に耐えてました。もちろん、追加の麻酔をしてもらいましたが。隣の手術室から、複数の泣き声。家族が亡くなられたようです。病院は、複雑な所です。
さて、手術の後は痛みます。痛み止めは、処方されませんでした。ただ、おかげで、お尻の痛さは忘れています。痛さの相乗効果と思っていましたが、相対化だった訳です。
では、おやすみなさい。病院の消灯時間は、9時です。眠れるかな、今晩は?

思いがけずお盆・夏休みを病院で

2009-08-16 15:36:30 | 日記
 14日に、腕のシャントの静脈瘤の切除手術の予定で病院に行きました。手術室で、いざ始めようとする前に、体温が38度8分もあり、手術を決行するか検討になりました。
この1週間ほど、肛門の異常があった事を、医師達に話して、その場で診てもらいました。そのあとのCT検査の結果、肛門周囲膿瘍と判明、当日緊急手術をして入院となりました。
その日は、脊髄麻酔のため、下半身は全く動けませんでした。
そんな訳で、今、病院の玄関で、痛みの中、ブログに投稿しています。院内は携帯禁止なので。
ブログ休んでしまいました。残念!
当日、パソコンの前にはいられません。
調子の良いときに、携帯から投稿します。
今日も、午後から微熱が出て、明日の腕の手術が無事出来るか心配です。
まあ、病院でのんびりするつもりです。

日記/ 痛い

2009-08-12 21:38:33 | 日記
 ここ数日、体調悪し。今までも、無理するして身体に負担をかけると、痔のような症状が出る。一応は、痔の処方をしてもらったのだが。昨日は、透析中から激しい痛みに襲われる。昨日は最悪で、家で横になってうとうとしていた。その時は、痛みを忘れられる。以前は、テレビゲームに熱中していたら、そうした症状になった。一種の天罰かもと思った。今回は、体力の使い過ぎかも。痛みは疲労をもたらす。今日も、なるべくじっとしていたかった。
 プロクトセディル軟膏は、あまり聞いていないようだ。乙字湯も服用2日目だが、効いているのかな。咳をするたびに、痛みが身体を走る。人間とは、いともかよわき存在であることを思い知る。
 歩く時も痛みを感じる時がある。明後日は、腕のシャント閉塞の原因となった瘤(りゅう)の切除手術だ。そちらの方が、局所麻酔も使うので、痛みは少ないであろう。

 今日のブログ投稿は、これ以上は諦めた。

日記 / 八王子まつり3日目

2009-08-10 00:58:16 | 日記
 8月9日、甥っ子を連れて祭りに参加。結局、下地区の行列の先導役の曳き太鼓を甥っ子と一緒に曳くことになる。こうしたことは、うん十年ぶりのことである。

 下地区は、八幡八雲神社が統括する。



 神主や巫女が行列を先導する。太鼓は、浄めの意味で行列の先頭である。



 子どもたち、おじいさんに交じって綱を曳く。



 各地区ごとの山車の上には、歴史や神話上の人物の人形が乗っている。



 御神輿もたくさん出た。お祭りには、やはり威勢の良い御神輿がよく似合う。



 お囃子に合わせての舞が子どもの頃から大好きだった。狐の踊りが一番好きだった。おかめ、ひょっとこ、獅子舞など。タヌキも登場する。





 子どもの踊りもある。小さいときには、こうした山車を曳いた思い出がある。



 今日は、曇りの天気だった。幸い、雨は、お祭りが終わってから激しく降り出した。暑い照り返しがなかったのは良かった。でも、蒸し暑い日であった。人の熱気も関係するのかもしれない。

 祭りの後は、静かになってなんだか淋しい気分だ。

日記2 / ランドセル地蔵今年最後の御開帳

2009-08-09 01:12:58 | 日記
 太鼓合戦と露店のそばを通りながら、祭りの気分を少しだけ味わいながら、歩行者天国の甲州街道を歩いて行った。8月8日は、ランドセル地蔵の今年最後の御開帳だった。神尾明治君の命日の7月8日、その前は八王子城が落城した6月23日に御開帳があった。普段は閉じられている地蔵堂の扉が開かれる。今年、初めて、お地蔵さんに会いに行った。8月8日は、夏休みの子どもたちに観てもらいたいというお寺さんの配慮で、3回目の御開帳が行われる。3回目もどうしても会いたくて、透析日だったが、まずはバス停まで歩いて行った。歩行者天国のせいで、結局は、4中近くのバス停まで歩いてしまった。バスも大幅に遅れ、30分近く待った。
 ようやく乗り込んだバス。バスだと早く着く。駅からだと、時間がかかるのだが。バスの中は、祭りから帰ってきた親子連れが目立った。

 祭りの日、明治君のことは、地元の人も知らない人の方が多いのだろう。このままでは、明治君の記憶は人びとから忘れ去られてしまう。祭りの日だったので、余計、そう思えた。





 地蔵堂の中は、天気がわるかったので暗かった。天気が良ければ、日が差し込むのだが。他に、お参りに来る人の姿がなかった。やはり、段々と忘れられていくのか。それとも、早い時間に子どもたちが訪れたのかもしれない。





 八王子は、終戦間際の8月2日に米軍のB29、169機による大空襲を受けた。市街地は焼け野原となった。明治君が亡くなったのは、7月8日。もし、戦争を遂行した責任者が、一日も早く降伏をしていたら、明治君も亡くならずにすんだかもしれない。また、八王子も焼かれなかったかもしれない。死ぬことがなければ、国民学校4年生の明治君も、お祭りを楽しめたのに。品川の国民学校であった。母親も、翌年2月28日に亡くならなかったかもしれない。
 今日も出る祭りの山車や神輿は、古いものは空襲を免れたものだ。しかし、空襲で焼けてしまったものも多く、去年、やっと新しい山車が完成した町会もある。だから、祭りの時も、空襲のことがいつも頭をよぎる。

 来年も、身体の調子がよかったらまた来るね、そうランドセル地蔵に心の中で言って、地蔵堂を離れた。

 帰りは、歩いていくことにした。祭りで、バスの時間もあてにならないし、空から雨が少し落ち始めていた。



 今回は、城山川の遊歩道を歩いてみた。そこが近道だった。家まで、30分くらい歩く。雨を気にしながら、足を速めた。

日記1 / 八王子まつり2日目

2009-08-09 00:41:35 | 日記
 透析をしていると、1週間がすぐ経ってしまうような気がする。時間の流れが速く感じられる。8月8日、もう土曜日だ。八王子まつりの2日目。前日に引き続き露店が並ぶ。透析の帰り、寄るところがあったが、甲州街道が歩行者天国で、バスもいつもと違う道を通っている。どっちにしろ、バス停が遠くなり、祭りを見ながら歩いていく。
 ちょうど、太鼓合戦が始まっていた。八王子をはじめ、近隣から太鼓のグループが参加して、甲州街道の何か所で、それぞれパフォーマンスをしている。甲州街道もこんな時でなければ歩けない。

 太鼓の演奏のそばを通ると、すさまじい振動がかばんを通して身体に伝わってくる。耳の聞こえない人も、風船を持って太鼓の演奏を楽しむことがある。振動を感じるのだ。

 祭りは、甲州街道を上地区と下地区に分けて行われる。甲州街道の方角と同じで、甲府方面が上にあたり、新宿方面が下にあたる。今の感覚とは違っている。普通は、東京方面、あるいは江戸方面が上に思えるのだが。

 上地区は、多賀神社が、下地区は八幡八雲神社が統括する。

 3日目の8月9日の今日は、わが町会も下地区の行列に参加する。調子がよかったら観に行こうと思う。神輿も参加する。

 一番最後の写真は、上地区の「千貫神輿」である。下地区のライバルか。














日記/鉱物と化石に惹かれて

2009-08-08 00:33:49 | 日記
 8月7日、本屋に予約したあった「月刊 化石コレクション」(朝日新聞出版)の創刊号をとりに行く。毎号、化石の標本が付いている。1号は、最初のアンモナイトといわれるゴニアタイト。
 かなり以前から、子どものころから化石が欲しかった。最近は、この前の国立科学博物館の大恐竜展の売店でも化石が売られていた。本屋で売られていることもある。透析の透析仲間は、最近、市内の山の中に化石を掘りに行った。そうした経験は、まだない。地学も教科書の範囲の知識だけ。

 今回、この化石コレクションがよい機会だと思った。

 鉱物標本は、デアゴスティーニの「地球の鉱物コレクション」をとっている。2週に1回の発売だから、全部のコレクションを集めるのには、まだまだ時間がかかる。

 なぜか、こうしたものに心が惹かれる。小中学校の時に購読していた学研の科学の影響もあるのだろう。付録に鉱物標本が付いていたことがあった。今は、もうどこかに紛失してしまっているが。








今日も日記

2009-08-07 01:49:51 | 日記
 8月6日に関連したことを書こうと思っていたが、透析から帰って、少しばかり片付けごとをして本を読んでいたら、寝てしまった。しばらくして起きようとしたが、身体が動かない。多分、完全に覚醒していなかったのだろう。部屋の中は暗くなっている。頭の中で起きようと身体に命令するが、身体がまったく動かない。頭の位置を変えることもできない。身体が壊れたのかと思った。脳がいかれたかな、なんて考えているうちに少しずつ身体が動けるようになった。この所の疲労が出たのであろう。金縛りの一種だったのだろう。当然、寝覚めはよくない。やっと頭を上げて、時間を見る。もう7時を少し過ぎている。夕食の時間だ。

 すっきりしない頭で、夕食をとる。

 今は、窓から風が吹き込んでいる。早く、ブログを書いて寝なくては。内容は、とりとめのないことにしよう。

 ガンダムのフォルダーがついたカミソリを今日から使う。前は、ザクのフォルダー付きのカミソリを使っていたが、汚れが目立ってきたので、ガンダムにとりかえる。399円で買った特価品だ。

 ガンダムをテレビで放映している時は、敢えて見なかった。子どもが戦争をするのが気に食わなかったからだ。

 ガンダムのストーリーも当然知らなかった。ただ、ガンプラを見かけることはあったが。

 ガンダムの世界に触れるようになったのは、数年前からだった。友人の趣味に合わせるためであった。最初は、友人のゲーセン通いに付き合う。その頃、三国志大戦と並んで、ガンダムのカードビルダーのアーケードゲームが盛んであった。どちらも、カードを組み合わせたデッキで、オンラインで相手と対戦する。ゲーム終了後に、機械からカードが排出される。このカード、めったに出ないカードが貴重なものとされる。ゲームで使用する時も、能力が高い。きらきら光っているので、きらカードなどと呼んでいた。普通は、レアカードと称している。この手の、対戦型ゲームは苦手である。でも、ゲームに負けようが、カードは排出されるわけであるから、カードを集めるという楽しみは味わうことができる。ガンダムのストーリーが分からないのに、カードの登場人物の種類は覚える。このカード、その手の店で取引されている。カードに値段がついて売られているのだ。スーパーレアカードになると、1万円以上で売られている時があった。もちろん買い取りもやっている。もし、高いカードが排出された場合は、売ることでお金が手に入る。不思議な世界だと思った。ICチップが埋め込まれたカードが売買の対象になるのであるから。また、流通量で値段が上下する。子どもも含めた若者世界での、相場のような世界の展開は驚きであった。さほど、ゲームに興味が持てない僕は、1枚5千円でカードを売ったこともあった。労せず儲けるというのは、ホリエモンの時代は、肯定的に受け止める社会だった。

 その頃、八王子の市立夢美術館で、安彦良和氏の展覧会が行われた。それに関連するイベントとして、市内のホールで劇場版の機動戦士ガンダムの3部作の上映会が行われた。いい機会だったので、そのうちの1日目の上映会に参加した。透析をしていると、なかなか催し物の日程に合わないことが多い。1日目は、『機動戦士ガンダム』と『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』の上映であった。内容は、テレビ版の再編集である。ここで、やっとガンダムの世界の一部を知ることになる。二日目は『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙(そら)編』と『アリオン』の上映だったが、透析日なので参加できず。第3部は、例の友人がDVDを貸してくれたので、1年戦争のストーリーの概略は理解できた。
 そのうちに、テレビのローカル局でガンダムの放送が始まった。東京はMXテレビ。旧作を毎週火曜日に放送した。

 その中で、一番好きだったのは、OVAの0080『ポケットの中の戦争』だった。サイド6という中立地帯で起きた話で、戦争を格好いいと思っている少年アルと、ジオン公国の新米兵士バー二ィとの間の話で、クリスマスの日に起こった悲劇を描いていた。戦争の虚しさを感じさせる小品であった。珍しく、モビルスーツの登場よりは、人間ドラマの要素が強い作品であった。
 
 今でも、まだ、子どもが戦争で成長していくというストーリーは、あまり好きにはなれない。

 今、同じ美術館では、ガンダムのメカデザインを担当した大河原邦夫氏の展覧会が開かれている。また、ちょっと寄ってみようと思う。

 

たまには日記

2009-08-06 01:28:25 | 日記
 火曜日は、透析が終わってから忙しかった。その日に限って、穿刺の時間が遅かったので、終わる時間も当然かなり遅くなった。予定では、家の近くの病院の外科に、主治医の紹介状を持って行くことになっていた。受付時間は、3時半まで。慌てて服を着て、バスに乗り込んだのが3時5分前。そのバスも、ちょうどバス停の手前の信号で止まっていたのを幸いに、バス停まで走って行ってやっとこさ乗った。時計を気にしながら、病院近くのバス停で下車。病院まで早足で、受付に到着したのは、3時20分。※でも、待っている間に様子を見ていると、3時半以降も受付をしている人がいた。本当は、遅れても大丈夫だったかも。
 今回の来院の目的は、数ヶ月前に詰まったシャントの瘤をとってもらうこと。シャントは、透析の時に太い針を刺すために、腕の動脈と静脈をつないで強化された血管。そこが詰まると、透析ができなくなるので、透析患者には大切な個所だ。前回は、閉塞が分かった透析日にすぐに病院に行って、その日のうちにシャント再生手術をした。今回は、手首のところのこぶをとってもらうのが目的であった。このこぶは、もう何年も前から存在する。閉塞したのを機会に、とってもらうことにしたのだ。医師に診てもらって、手術日は来週の金曜日に決まった。局所麻酔で行う日帰り手術にしてもらった。このこぶは、すぐには取らなくてもよい性質のものなのだが、人目が気になっていた。手話を使う時も、長袖を着ている時は問題がないのだが、夏など、半袖の時は、緩めのリストバンドで隠していた。来週の手術、無事終了して、手首がすっきりするかな。

 もう昨日になってしまったが、水曜日は、またプラネタリウムに行ってきた。新番組の投影が始まっているので、それを観るためだ。投影の前は、いつも、今晩の星を映し出す。月が出ていた。満月かと思ったら、その一日前だという。つまり、今日が満月である。夏の大三角が、この前観た時より、天頂の近くに来ていた。ベガとアンタレス、本来の旧暦による七夕は、今月の26日だそうだ。
 投影の番組は、「ダイナソーDX パタゴニア・巨大恐竜の謎」。今年、阿修羅展の時に寄った国立科学博物館の大恐竜展でも、南半球の恐竜が紹介されていた。今回の投影は、その時の展示された標本の年代とは違うが、アルゼンチンで発掘された巨大草食恐竜のアルゼンティノザウルスと巨大肉食恐竜のギガノザウルスに関する番組であった。プラネタリウムで、恐竜の投影というのもいいものかも。最近は、CGの技術の発達で、本物の恐竜たちを観ているような気分。もちろん、宇宙関係では、恐竜が滅びた原因とされる彗星の地球衝突もリアルに映し出されていた。
 プラネタリウムが家の近くにあるので、これからもちょくちょく行けそうだ。

「アカ」という言葉は死語になったのか

2009-08-05 01:24:56 | 日記
 今の若い人には、「アカ」という言葉の持つ意味は分からなくなっているのだろう。「主義者」という言い方もそれに近い意味で使われた。当初は、戦争に反対するコミュニストを指して使われていた。当時の治安維持法の下で、当然、言論の自由などない時代に、弾圧対象として彼らをそう呼んでいた。しかし、この概念はやがて、国体に反する考え方をする者に対しても使われるようになった。要するに当時の戦時下の体制に反対する者は、そう呼ばれたのである。

 戦後、しばらくしてからも、ある年代の人びとはこの言葉を使った。否定的な使い方をしたのである。

 僕が行っている透析施設に、独り暮らしの老人が通ってきていた。毎朝、彼が吉野家から朝定食を食べてから出てくるところに、よく出くわした。
 ある時、透析を待つ間に、日本の戦争責任と教科書問題の話になった。普段は、当たり障りのない話をすることが多いのだが、その日は、どうした具合か、そんな話になった。僕は、侵略戦争であることを普通に話したつもりだが、突然、興奮しだした。彼に言わせれば、日本が世界に追い込まれて仕方なく行った防衛戦争だというのだ。いわゆる靖国史観とでもいうものか。別に、個人的にはどう思うと自由だし、患者同士なので、それ以上論争する必要がないと思っていたら、「あんたはアカだ」と言い出した。それを聞いて、まだ、この言葉を使う人がいるんだと呆れた。要は、自分の考えに沿わなければ、「アカ」と言うことで、それ以上論争も思考も停止されるという免罪符を得ると思う心情なのだ。確かに、ある時代、相手のことを「アカ」といえば、相手の口を封じ込めることができる時代があった。その時代は不幸な時代であったが。その後、彼は、遠くの老人施設に入所させられた。孤独な人だと思った。家族がいても独り暮らしをし、結局は行く着く先の淋しいことだ。

 ドイツでも、ナチスが政権をとる過程で、同じような展開がみられた。当初はヒトラーを礼賛していたが、後に、批判するようになったマルティン・ニーメラー牧師は収容所に送られた。幸い、収容所から生還できた。彼の「彼等が最初共産主義者を攻撃したとき」という詩が「アカ」攻撃に通じるものを示唆してくれる。

 彼らが(ナチ党が)最初、共産主義者に攻撃を加えようと向かって来る時に、声を上げなかった。なぜなら、私は共産主義者ではなかったから。
 それから、彼らが社会民主主義者を刑務所に入れた時も、私は声を上げなかった。なぜなら、私は、社会民主主義者ではなかったから。
 次に彼らが労働組合員に向かって来る時も、私は声を上げなかった。労働組合員ではなかったから。
 それから彼らがユダヤ人に向かって来た時も、私は声を上げなかった。ユダヤ人ではなかったから。
 そして彼等は私に向かって来た。でも、その時は、私のために声を上げてくれる人は誰もいなかった。

 原詩には、病人や障害者もナチスの攻撃の対象として描かれているという。事実、ナチス政権の下、精神病患者、知的障害者等も多数収容所送りや、「処分」の対象となった。同性愛者も収容所に送られた。

 日本における「アカ」の対象も、当初の共産主義者から自由主義者まで拡大していった。「横浜事件」は、いまだ、解決されていない。

 しかし、この「アカ」という言葉は死語となっていると思っていた。しかし、その精神は今も生き続けていることを最近痛感した。

 僕が書いたブログの内容に対して、ある御仁が気に障ったようで、何かとコメントをしてきたのである。その時に、あなたの文章は、共産主義者のもののようだ、理由はわからないが、と言ってきたのである。相手のことを、共産主義者といえば、口を封じることができると思うあの「アカ」の精神がいまだ健在だったのである。

 そして、捨て台詞を残していった。それがコメントの文章の落ちになっていた。この落ちは、那智の滝落ちと呼んだ方がよいだろう。

日記/団子まつり

2009-08-01 00:43:53 | 日記
 この所、雨の日が続いている。今は、もう日が変わって8月となったが、今日は、花火大会の予定である。雨天の場合は、日曜に延期なのだが、日曜の天気も怪しいものなので、今日、無事に花火大会が開催されればよいのだが。

 昨日は、団子まつりであった。地元には、食べ物の名前がついた祭りが多い。今月末ごろには、諏訪神社でまんじゅう祭り。そのあと、しょうが祭りも続く。

 サークルが終わってから、帰りに、初めて団子まつりによってみた。冨士森公園の中にある浅間神社のお祭りである。公園の名前の通り、昔は富士山が見えたのだろう。富士山といえば、浅間神社である。あさまではなく、せんげんじんじゃである。
普段は、神主さんがいない小さな神社だ。お祭りや行事の時には、八幡八雲神社から神主さんがやってくる。※酉の市の市守神社も、これからしょうが祭りがおこなわれるお稲荷さんも、お祭りの時に、やはり、八幡八雲神社の神主さんはやってくる。

 釜で湯を沸かし、その中に塩を入れたものを、清めのために、湯呑茶碗で参拝客に飲ませている。飲んでみたが、しっかり塩味がした。こうした風習があることは知らなかった。

 厄除けの団子は、これを食べれば病気をしないということのようだ。1本100円。普通の串団子よりは高めかな。縁起ものと考えれば妥当である。家族の分も買っていく。家に帰ってから食してみたが、みたらしが辛めであった。

 団子を食べて元気になろう。

 なお、サークルは、講演会が行われた。講師のろう学校に関する大切な話であった。内容に関しては、できたらいつか投稿してみたいと思っている。なお、東京都では、石原都政になってから、分校も含めて10校あった都立のろう学校が4つに減らされた。また、立川ろう学校にあった宿舎も、父母らの反対を無視して廃止されることが決定した。本当に、石原都政になってから、教育委員の構成をはじめとして、教育行政が悪くなっている。やはり、国家主義者が知事になったことの反映であろう。三鷹高校の前の校長先生のことや、旧都立七尾養護学校の性教育に対する不当な介入など、東京都の教育は息の詰まる状態になっている。