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トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

初めてのコインランドリー体験

2010-06-12 02:00:20 | 日記
 一昨日、初めてコインランドリーを利用した。洗濯は、家族がやってくれるので特に必要がないのであるが、透析患者の将来を考えて、前から試してみたかったことであるから。

 人のいない店の中で、壁にかけられた説明書を読みながら、何とか、無事に任務完了した。

 透析患者には、慢性腎炎や腎不全が発症した時期により、独身者が少なくない。同じクリニックでも、結婚をしないで親と同居し、親の高齢化により、男手で慣れない親の介護をしながら、透析を続けている患者が少なくない。

 親の死後、今度は、自分が孤独?な独居生活を送ることになるのだろうという不安感は、表にこそ出さないが、多分に持ち合わせているようだ。

 死の看取りは、誰がしてくれるのか、終末医療で、透析ができなくなってから、死への時間を考えることがあるのかもしれない。

 以前、やもめの透析患者のためのアパートが経営できたらいいなと思っていたことがある。患者同士が暮らせれば、少しは孤独感も解消されるかもしれないと思って。その話をした友人の患者は、その後、脳内出血で左片マヒになってしまった。運が悪いと言うのか、無年金者で、今は、年老いた母親のもとに身を寄せている。

 僕自身も、やがては、1人で暮らさなくてはならなくなるのだろう。そのために何かできるかは、患者会で模索したいと思っている。
 しかし、より可能性の高い生活形態を考えての、コインランドリー体験であった。この次は、電気炊飯器で御飯を炊くことか。あまりにも、生活に関しては無知がことが多過ぎる。

 今日、また、年を重ねて、死への時間が近づいていく。冥土の旅の一里塚経過である。

 しかし、今は、よりよく透析ライフを生きていくかが、去年立ちあがった地域腎友会の課題でもあり、自分にとって考えねばならない問題となっている。

 その陰に、生き方ではない死に方のことも、思考の隅に存在を主張し始めている。

2010環境フェスティバル 八王子

2010-06-05 23:33:34 | 日記
 今日は、腎友会として初めて地元の障害者団体に加入を認められた総会に参加しました。本来の予定では、今日が透析日でしたが、是非参加したくて、会長と一緒に参加しました。
 会議が終了後、八王子駅近くの西放射線で開催されている「2010 環境フェスティバル」に寄ってきました。いつもは、透析の帰りに寄っているのですが、今日は、会場から徒歩で会場へといきましたので、結構歩くことができました。
 今年は、国際生物多様性年なので、余計に意味のあるイベントでした。

 心配していた天気も、終了後に夕立が来たので、何とかセーフでしたね。



 水を吸収する道路の素材や、太陽光発電パネルなどの紹介展示のブースが並んでいました。



 八王子も、最近になってやっと下水道が普及したおかげで、市内を流れる河川の水質も改善されています。川の生物の展示も行われていました。なお、市役所でも、ロビーに浅川の魚が水槽の中で泳いでいます。



 八王子のゴミのリサイクルのシンボルのゆるキャラのクルリかな。有料のゴミ袋に描かれているリサイクルマスコットと同じでしょう。八王子市の市の鳥がオオルリだからだと思います。



 各ブースでは、環境に関係するグッズの販売の他に、無料で市民に配布される物が色々あるのも楽しみの一つですね。

 東京都水道局のブースでは、エコバッグと災害時の水を運べるビニール製のかばん、それに噂の「東京水」が配られました。「東京水」といっても、中身は、東京の水道水なんです。かつては、水道水は、まずいというイメージが先行していましたが、「東京水」のペットボトルには、「世界に誇る」ということと「超高度浄水の水道水」と書いてあります。

 夏に向かって、簡単にできるエコアクションの一つは、高い?お金を払って買うミネラル水などの天然水よりは、水道水を、空のペットボトルや水筒に入れて持ち歩くことですね。大いに水道水を飲みましょうということでしょう。

 もらって帰った「東京水」を、風呂上りにの見ましたが、おいしかったです。

 環境が身近に感じられるイベントの開催、なかなか有意義なものでした。


第14回目のアートムーチョ ②

2010-05-24 00:16:03 | 日記
 アートムーチョでは、可愛いものも売られている。今回、小さな豚の素焼を見つけた。幸せの豚だそうだ。この手のものには、心が惹かれる。

 僕は、理性の分野では、合理主義者でありたいと思っている。でも、心情的には、宗教に心が惹かれるのである。この矛盾は、別に気にしていない。人間の弱さを補うものとして、仕方ないものと思っている。

 宗教家でも、尊敬すべき人物が歴史上でも少なくない。いつも、障害者や病者や、女性をはじめ、弱い立場の人間に寄り添って信仰を広めた人がいた。

 現代は、宗教ビジネスという言葉があるように、エセ宗教家が世に満ちている。派遣村やホームレスの存在が問題となった時も、積極的に動いた宗教団体は果たしてどれほどあったのだろうか。イラク戦争が起こった時、戦争に反対した教団がどれほどあったのか。

 高齢者の孤独死や、無縁死が増える現代社会で、高齢者や弱者の居場所として、宗教施設を開放した宗教家はどれほどいるのであろうか。

 我が街に、また一つ、宗教施設ができた。巨大教団の施設も存在する。イスラム教のモスクもある。小さな名も知れぬ教団のビルも、いつの間にか建っていたりする。在日の人とは違う、最近、わが国にやってきて働いている韓国人のための教会が、街の至る所に出現している。経済の問題も関係している。商店街のシャッター街かに伴い、空きビルの空き部屋に、急遽作られた教会。古本屋で、ハングルの聖書を見かけた。

 古くからの信仰を集める薬王院のある高尾山は、休日ともなれば、原宿並みのラッシュ状態である。外国からの観光客も増加しているという。ミシュランの観光ガイドの3つ星獲得が大いに影響しているようだ。しかし、少し前までは、そんな喧騒状態の山ではなく、聖地であったはずだ。

 この街は、何故か、商店街や経済の衰退に伴って、宗教色を強めている。

 さて、今回のぶた、この前買ったタイガーアイで作られたガネーシャの彫りものと一緒に、適当なきんちゃく袋に収まった。御守りもいくつか持ち歩いているが、その仲間入りした結果になる。心情的に、原始的な宗教心を持ちながら、エセ科学と、ブランド品に身を固め、お布施の額と信仰心が比例するとする宗教家に、大いに敵意を持っている自分の姿を、自然と受け入れている。
 





第14回目のアートムーチョ ①

2010-05-23 23:42:36 | 日記
 最近は、八王子駅北口の西放射線通りで、色々な催し物が行われることが多くなった。透析帰りに、ふとその通りを通ってみると、何らかのイベントに出くわす機会も少なくない。帰り道、それをのぞいていくのも結構楽しいものである。

 そうしたイベントの中でも、お気に入りの一つが「アートムーチョ」だ。アーティストやクラフト作家たちのマーケットである。僕の好きな鈴木ちささんの陶器の人形に出会ったのも、第1回目のアートムーチョの時であった。
 昨日から始まったマーケットは、第17回目を数えるに至った。ただし、車は進入しないが、屋根のない通りは、雨天中止のリスクが高いのが気がかりだ。アートムーチョも、これまでに雨で中止になった日が少なくない。
 今回も、今日は雨が朝から降っていて、残念ながら中止となった。

 昨日、透析の帰りに見ていてよかった。いつものことであるが、アート作品よりは、アクセサリー類が多く売られている。売れ筋のものなのだろうが、もう少し、アートの香りがするお店が増えてほしいと思っている。







 今回は、特に購入の予定はなかったが、ふと、ある絵の前で立ち止まってしまった。作品の絵ハガキと一緒に、オリジナル作品も売られていた。

 その中の、犬の絵の商品が目についたのだ。千年死んだ愛犬を思い出した。トイプードルの老犬なのか、家の前に捨てられていたのだ。じっとしてその場から一歩も動かずに、我が家をのぞいているのに、朝食中の僕が気付いた。

 体も毛玉だらけで、歯もかなり傷んでいた。犬だから、何という名前で、どこから来たのかも話すことができない。しばらく、情報を集めながら、我が家で預かっていたが、結局、うちで飼うことになった。足の裏の肉球も柔らかくきれいだったので、外に出て散歩などしたことがないようであった。肛門腺がひどく腫れて、直ぐに獣医に診てもらったが、その時に登録をしてもらい、年齢は推定9歳とされた。でも、本当のことは、誰も知らない。

 うちの家族以外には、少しも慣れなかった。頭をなでられても、唸っていた。吠えることもしなかった。そこで、僕が吠えるように教えた。食事もろくに与えられていないようだったらしく、来た当初は、小食であった。食べるものも限られていたようで、新しい味を覚えるまで時間がかかった。その後は、良く食べる犬となった。

 その当時、我が家に来たことは、家族の間の潤滑油になってくれたことを思うと、神さまのプレゼントのような気がした。

 毎朝の散歩は、僕の担当であった。今のように夜更かしもしないで、毎朝、早めに起きて、冬の寒い時も一緒に散歩を続けた。僕の健康にも寄与してくれた。

 プライドの高い犬であった。家族にも、強情なところがあった。

 僕が見つけたその年に、僕は、慢性腎不全で透析に備えて、2回入院した。その間、留守番をして待っていてくれた。透析導入の年が、同じスタートの年となった。

 しかし、犬の寿命の進み方は早いものだった。駆けるように散歩をしていた犬も、やがては、歩くのも億劫そうになった。気の強い犬でも、ひどく臆病な時があった。近所の他の犬たちが、花火の音におびえていたのに、一向に平気であった犬だった。それが、夜中に、恐怖に満たされたような声で鳴くようになった。死を感じていたのだろうか。

 アートムーチョで見つけた小品は、そんな愛犬を思い出させた。

 今は、部屋の中にある。生前、ほとんど写真を撮っていなかった。その絵は、彼の遺影でもあるのだ。


園芸日記/パキポの花

2010-05-21 02:54:22 | 日記
 最近は、すっかり植物の世話を焼かなくなったいる。自分の時間がコントロールするのが難しくなった分、植物たちには申し訳ない思いをさせている
 
 僕の好きな多肉植物のコーデックスものと呼ばれる塊根性の種類の中の、パキポディウムのロスラーツムが花を一輪だけつけてくれた。放置していても、しっかりと育ってくれる。とはいうものの、成長の遅い植物であるが。
 夾竹桃の仲間になる。

 植物を育てるのではなく、育ってもらっているのが、本当の所なのだろう。しっかり面倒を見れば、もっと花をつけるのだが。

京王線9000系ストラップコレクション/京王線グッズ

2010-05-13 02:33:08 | 日記
 地元の八王子から、東京方面に出かける時は、大抵は新宿駅まで京王線を利用して、その先は、地下鉄やJRで行くことが多い。運賃の関係で、その方が安く利用できるからだ。JRは、新宿までの料金が高すぎるのだ。一応は、並行している京王線を意識して、いくらかは安くはしているようなのだが、基本的には高い運賃である。
 そんな訳で、京王線は身近な路線である。最近は、京王線グッズに注意が向くようになった。今回、10日に売り出されたストラッフは、11日に購入した。7000の限定販売とのことで、以前、ストラップグッズを買いに行くも売り切れの時があったので、今回は、何とか購入できた。
 大中小の3つのタイプがセットになっている。

 以上、そんなお話でした。

第2回八王子古本まつりに、また行ってきました

2010-05-06 01:49:56 | 日記
 古本まつり、4日は透析の帰りに、5日は家から出かけました。連休中は、特にコンサアートも演劇も博物館にも行きませんでした。専ら、最近の睡眠不足の状態が続いていることへの調整に当てました。でも、昼寝は結局できませんでした。今も、睡眠不足の状態が続いていて、限界ぎりぎりかも知れません。

 さて、古本まつりには、池袋から「ふくろうもなか」の販売がありました。何でも、ちい散歩に取り上げられた丸佐東京園さんの最中だとのこと。
 看板のフクロウも可愛かったです。池袋のふくろという言葉と、池袋のある豊島区の形がフクロウに似ていることから出来たお菓子です。白あんと小倉あんの2種類買って食べてみました。最中がフクロウの姿をしているのは、なかなかいいものです。







 歌と踊りのパフォーマンスも、連日行われていました。

 古本まつりなのに、花より団子ではなく、古本より最中ではいただけないので、古本も求めました。岩波の日本古典体系の謡曲集上下を1500円で買いました。でも、世界文学全集や思想全集などの本が、とても安くなりました。おそらく、若い人を中心にした読書離れが影響しているのでしょう。人類の知的遺産ともいうべき作品群が、コミック本より安く売られていることが珍しくは無くなりました。買う方は、安い方がいいのですが、大切な事がいっぱい詰まった宝の本が、あまり良い待遇に置かれていないのは、複雑な気持ちでした。









追記:最近は、脳ブームを反映した本がたくさん売られています。でも、大方が、エセ科学の本です。
 マスコミでは、脳科学者の先生のところへ、脳の事で問い合わせすることが少なくないとのこと。でも、テレビ番組などは、決められた時間内に、物事を単純化して、台本のようなものが先に出来ているそうです。右脳型、左脳型に分類するという根拠のないことを、番組で取り上げ、そのコメントをしてくれる「脳科学者」に接触してくるそうです。でも、ちゃんとした学者ほど、テレビ局が要求する短いコメントで、研究成果を言い表わすことはできません。当然、テレビに登場する「専門家」は、テレビ番組に合わせた短いコメントができる人ということになります。
 そうした番組などの良く出演していた脳科学者がいましたね。税金の申告漏れか、脱税か良くは分かりませんが、庶民から見たら大きな額の申告をしなかったことがありました。某テレビ局の科学番組の司会を担当していましたが、その事件があっても、テレビ局では司会の続投を決めていました。でも、視聴者からの批判が多く、結局は番組を登板することになりました。
 この人、ある時、巨大新興宗教の指導者の本の新聞広告に、推薦文を書いていました。おやっと思いました。昨日、古本まつりの帰りに本屋に寄りましたが、そこで、雑誌に先の宗教指導者との対談文が載っていました。なるほどねと納得しました。裏で何かが行われたものと推測してしまいます。科学者が迎合する姿は嫌ですね。先日亡くなられた免疫学者の多田富雄先生と比較してしまいました。多田先生は、原爆を描いた新作能も作られていますし、厚労省が、予算の関係で、リハビリテーションの期間を、何の根拠もなく短く設定した時に、批判をして反対運動をされています。また、死の直前には、東大の安田講堂で日本の農を考える催しがありましたが、その呼びかけ人でもありました。
 さて、その「脳科学者」は、最近流行りの○○脳というエセ科学の本が読者獲得のために使う言葉を使った本を書き上げました。それも、やはり最近流行りの坂本竜馬にちなんだ「竜馬能」なる言葉を使用。
 間違った情報を読み手に伝える「脳ブーム」に対しては、日本脳神経科学学会も憂慮して、エビデンスを求める研究指針を発表しています。
 テレビ局が要求する短いコメントを、彼に対して求められたら、こう言うでしょうね。「堕ちたものだ」と。

今日の日記

2010-04-21 13:15:42 | 日記
 昨日は、朝から嫌な気分の一日でした。朝、透析に出かけるときは、何とか天気がもっていて、曇りでした。その日は、透析前に胸のレントゲンがありました。心臓の大きさを、胸(両肺)の大きさと比べるためです。心胸比の検査といいます。透析患者は、ほとんど無尿になるので、体に取り込んだ水分は、尿から排出されないことになります。そこで、決められた量(一応は前日の排尿量+500ccとなっていますが)を超えて水分を取ると、体の中にたまってしまいます。最近の透析技術の進歩で、体の中の余分な水分もかなりの量をとることができますが、透析自体がかなりの体力を要するものですから、過度の序水は体には良くないですね。
 透析中に血圧が下がったり、足の痙攣が起こりやすくなります。足がつるということです。あれは、かなり痛いですね。という訳で、余分な水分を取りきれないケースもあり、その場合は、嫌な貯金として次回まで「お残し」ということになります。こうした状態が続くと、心臓が、水ぶくれで大きくなり、ボディーブローのようにだんだんと心臓の機能が低下していきます。最終的には、心臓病で心停止という自体を招くことになります。
 どこの透析クリニックにも、大量に体重を増やしてくるモンスター患者さんはいるようで、いってみれば、緩慢な自殺行為を行っていることになります。
 体の中に、余分な水分がたまると、肺のレントゲン写真が真っ白く写るそうです。そして、ひどい場合は、口から泡となって出てくるとのこと。モンスター患者さんは、そうしたことを認識していないようです。
 心胸比が大きくなったら、水分管理を厳しくする必要があります。
 大体、透析が中1日で行うときは1kg、中2日で行うときは2kgsが標準体重の人の体重増加の目安になるでしょう。
 ただし、体重の増加が少なくても、体がやせてきているときは、注意が必要です。今までと、同じ量の水分を取っても、肉が落ちた分、水分が体に残るからです。
 と、心胸比について長々と書いてしまいました。話を先に進めます。僕の通っているクリニックでは、自力で施設まで来るのが困難な患者のために、ヘルパー付きの送迎バスによるサービスが行われています。費用も無料です。このバスによる送迎が始まってから、検査の時などに、いっぺんに患者がやってくるようになりました。次の時間帯の患者が、先に検査室に入ってしまうと、待ち時間が遅くなり、透析開始の時間が大幅に遅れてしまいます。その日も、そんな状態で、透析が始まったの遅かったわけです。ということは、透析終了の時間も遅れるということです。
 クリニックの建物を出てから、まもなく雨が降り出しました。いつもの時間通りだったら、傘をさす必要もなかったのに。
 家に帰ってからも、色々とトラブル発生。そんな日があるんですね。体調も関係しているようです。ブログもあまり書く気が起こりません。結局、寝る前には書くことができませんでした。無為に時間だけが過ぎていくようです。
 何かのつまづきが、いつまでも尾を引く一日。昨日は、そんな日でした。

記録映画『いのちの作法』上映&トークに行く

2010-04-11 00:14:10 | 日記
 5月20日に、八王子のいちょうホールで映画『いのちの山河 日本の青空Ⅱ」の上映会があります。先日は、一足先に試写会に行きました。

 冬の間雪に閉ざされた岩手県の沢内村は、長い間、豪雪、多病多死、貧困に苦しむ村でした。村人たちも、希望を捨て、宿命と受け止めて生きるほかない村でした。この3つの困難に立ち向かった深澤晟雄(まさお)村長の話です。国に先駆けて、医療費の無料化、乳児死亡者数ゼロの達成を行った村長です。”いのち”に格差があってはならない、健やかに生まれ、健やかに育ち、健やかに年老いていく、そうした憲法25条に基づく深澤氏の考え方が、日本で一番貧しいと言われた村で、実現されたということには驚くと同時に、今の日本の貧困化をもう一度考え直す上でも、忘れてはいけない事だと思います。

 政治家とは、誰のために政治を行う人間なのか、この問いかけは、今の多くの政治家には、答えることのできない課題なのでしょう。

 この映画をたくさんの人に観てもらいたいという市民の有志の願いを込めて、宣伝活動が続いています。
 昨日は、本番の上映会のプレ企画として、記録映画『いのちの作法』の上映と、その映画の企画・プロデューサーの都鳥琢也・伸也兄弟を迎えてのトークの会がありました。
 映画は、平成の合併で、西和賀町となった町に、旧沢内村の「生命尊重」の思想が今でも生きている事を伝える映画でした。この映画のキーワードは「地域」でしょうか。今では、地域のコミュニティーはすっかり破壊の過程をたどっているようです。人と人との関係も希薄になり、隣人にも、過度に接近することすら避けるような世の中になってしまっています。子どもたちも、自己肯定感を失い、児童虐待で傷ついている子どもが増えている。お年寄りは、邪魔者扱いされ、障害者も地域で住民の一員として暮らすことが難しい世の中。

 西和賀町の老人施設、障害者の授産施設等、また、都会から虐待を受けたりして心が傷ついた子どもたちを受け入れる試みなど、人に対する優しさや思いやりの心を持った「地域」の精神を、6か月に渡る撮影で記録していった映画でした。深澤氏の思いは、今も生き続けています。

 トークでは、制作にあたっての視点や、「地域」をそれぞれの人が住む所で、自分たちに合った方法で、もう一度、作る必要などが語られました。

 「地域」で受け継がれてきた『いのちの作法』も、また、西和賀町とは違った形で、自分たちの住む町に相応しい形で、住民たちに共有されることが、「地域」の再生につながるのでしょう。しかし、「無縁社会」の現在、容易な事ではありません。トークで都鳥さん達が語ったように、深澤氏が行ったように、まず、地域の中の問題点を探りだし、その課題を一つ一つ解決できるように、分析から始める事が大切だと思いました。


記録映画『いのちの作法』予告編 1.


記録映画『いのちの作法』予告編 2.


映画「いのちの山河」予告編



この春の見納めの桜かな

2010-04-10 01:41:14 | 日記
 昨日から、手話サークルの新年度が始まった。会場まで、最近の寝不足からの疲れ気味の身体を動かしながら、歩いて急いだ。

 今年は、桜の花をたくさん見たが、道すがら、名残りの桜を見ることが出来た。

 まずは、中央線の踏切が在った場所近くの公園の桜。中央線は、ひっきりなしの走っているので、踏切では、大体が立ち往生となった。両方向から電車が来る時などは、踏切の前で待たされることになる。この踏切は、「桜横町踏切」という名前だった。多分、公園の桜の木に由来する名前なのかもしれない。中央線の踏切は、自動車にとっても、歩行者にとっても、厄介な棒が遺物となる。また、中央線は、直線部分が長いので(これの関しては、中央線の歴史に詳しい人に聴くと理由を教えてくれる)、飛び込み自殺者が多かった。

 だから、踏切を閉鎖し、立体構造にする工事が少しずつ進んでいるようだ。「桜横町踏切」も塞がられ、その存在は過去のものとなった。今では、線路の下を通ってサークルに通っている。時々、上を見ては、オレンジ色の中央線が通るかなと期待するものの、新型車両ばかりだ。もうすぐ、オレンジ電車は完全に姿を消す。



 線路の下を抜けると、小学校があり、そのすぐ先に、信松院がある。信松院の前のお地蔵さん達が、しだれ桜の花の下に安置されている。小学校の子どもたちをいつも見守っている。



 サークルが終わってからの帰り道、浅川沿いの堤防に、去年同様、白花タンポポが頑張ってつぼみを付けていた。あとわずかで、花を咲かせ、綿帽子を飛ばすのだろう。西洋タンポポや交雑種のタンポポに負けずに、分身を増やしてほしいものだ。今年は、国際生物多様性年である。多様性が保たれるためにも、在来種が生きやすい環境を作る必要性が高い。


博物館にお花見に行ってきました

2010-04-09 02:08:03 | 日記
 今週の6日は、上野公園にお花見に出かけました。といっても、東京国立博物館の「博物館でお花見を」という企画にです。最近は、博物館も素敵な催しをしてくれます。今年のお正月も「博物館で初詣を」という企画がありました。干支の寅にまつわる美術品を展示しました。また、庭では、江戸神楽などのパフォーマンスが行われ、おめでたい気分を一層盛り上げていました。おかげで、1月2日にとても楽しい初詣を味わうことが出来ました。

 今回のお花見企画では、スタンプラリーが行われました。館内の5か所のポイントでスタンプを集めます。集めながら、桜にちなんだ美術品を観賞することが出来るようになっていました。一番の目玉は、国宝の「花下遊楽図屏風」です。確か、切手趣味週間の記念切手にこの屏風からとられた絵が、デザインとした採用されていた記憶があります。





 この期間中は、博物館の庭園も公開されていました。今まで、博物館に日本庭園が併設されていたことは知りませんでした。上野公園は、人であふれていましたが、この庭園は、ちょっとした穴場ですね。

 上野のれん街から、お弁当とお菓子の販売の出張もあり、池のまえには、お弁当が食べられるスペースが設けられていました。

 この催しは、11日の日曜日まで続くそうですが、それまで、桜の花が散り終わらないといいですね。











 無事、スタンプを5つ集めて、可愛らしいピンバッチをいただきました。


御当地キューピー長崎坂本竜馬編

2010-04-07 00:00:14 | 日記
 6日、東京からの八王子に帰ってきてから、そごうデパートの九州物産展に行く。かなりの人出。目的は、御当地キューピーを買うため。本来は、長崎県に旅行した時に買うと良いのだが、透析をしているとなかなか旅行も出来ないし、元々出不精だったので、物産展で求める。

 長崎のキューピーは、坂本竜馬。

 予定外だったのは、お龍さんとのラブラブキューピー。アベックである。

 また、ハイハイ龍馬のハイハイって、どんな意味なんだろう。

 龍馬の写真のクリアファイルも買ってしまった。




4月6日の気付き日記

2010-04-06 23:56:14 | 日記
 ダイエーで売られていたブラボーバナナ。漢字では、富楽宝だって。面白い名前だったので、説明書きを読むと、売り上げの一部(1%)が、NPO法人を通じてアジアの女性と子どもたちのために使われると書いてあった。思わず、買ってしまった。僕は、透析をしているので、血中カリウムが上昇するのを防ぐために、バナナはほとんど口にしないんだが、家族に食べさせる。
 コーヒー豆などと同様に、バナナも本当はフェアトレードされるといいのだが、商社のこんな形での貢献もありだなと思った。





 お茶の水駅で、くねくね手すりを発見。お年寄りなどが、階段の上り下りに重宝しそうなユニバーサルデザイン。ただし、手すりの間の棒がない。階段ん構造上の制約からだろう。棒があれば、杖の代わりになる。



 上野公園は、まだ、桜が見ごろだった。たくさんの人がお花見に来ていた。大道芸もやっていた。





 たくさん歩いたので、国立科学博物館のベンチで休んでいると、雀が、子どもたちのまくお菓子を食べていた。人間が怖くないようだ。


さくら、サクラ、桜…… / 日記

2010-04-05 00:15:30 | 日記
 今日も、12時を過ぎて、やっとブログの投稿です。ですから、日記を書いても、昨日という感じがしませんね。つい、今日はと書いてしまいそうです。

 昨日は、午後から、地元のろう協の総会がありましたが、同じ日に地元の腎友会の打ち合わせがあったので、ろう協の方は、会費の払い込みだけになり、その足で、打ち合わせの場所へ歩いていきました。

 行きは、バスで「御陵前」で下車しました。御陵というのは、「武蔵野陵」で、昭和天皇のお墓があります。ちょうど、打ち合わせの場所が、ろう協の総会の会場と近くて良かったです。人生の中には、ちょっとしたうまい組み合わせが起こることが時々ありますね。

 御陵へ通じる橋を渡ると、陵南公園があります。その日は、桜まつりが行われていました。せっかくなので、見学と相成りました。これも、都合の良い符合のようです。



 露店がたくさん出ていて、食べ歩きながら桜を見物している人が多かったですね。



 会場では、熱気球が上下の短い旅をしていました。あらかじめ、乗船を申し込んだ人が、短い時間ですが、上空から桜を見ていました。





 陵南公園の桜を見てから、川に沿って、打ち合わせの場所に急ぎました。桜の木の下の道を通って。気を付けないと、桜の根に足がぶつかって転んでしまいそうです。

 打ち合わせが済んだら、さあ、サクラロードの長い道のりの始まりです。川に沿って、市役所方面まで、サクラ並木が続いています。

 最近は、体力が限界だと夜になると感じることが多いのですが、不思議と桜の道を歩いていく時は、疲れを感じませんでした。初めての道なので、無事に迷わず家に帰れるかなんて思いながら歩いているのは、小学生になった気分です。知らない所を歩くのは、ちょっとした冒険のようです。
 




 桜の根元に、平和の花であるむらさきはなだいこんの花が咲いていました。日本と中国の花が一緒に咲いています。もう、戦争はしませんから、させませんからと心の中で声をかけます。







 歩きました。やっと市役所の横の道です。このあたりも、桜がきれいなポイントです。マラソンをする人、ロードバイクに乗る人たちとたくさんすれ違いました。僕も、運動が出来るといいなと、いつもうらやましく思っています。
 でも、40分近くずっと桜を見ながら歩けたので、善しとします。

 当日は、市役所横の河川敷でも、桜まつりが開かれていましたが、僕が通った時は、もう、片付けの最中でした。でも、桜の木の下では、まだまだ、宴会をする人たちの姿がありました。夜桜を見るんでしょうね。

 地元の仏教会で、一足早い「花まつり」が行われました。法要の後は、100円カレーが食べられます。収益金は、寄付されるようです。毎年行われている行事ですが、今年も、他の用事があったので、カレーライスが食べられませんでした。甘茶も飲んで見たかったですね。



 花に酔うことはありませんでした。火曜日は、上野公園。もう桜は散っているかもしれません。

※最近は、寝不足の影響で、なかなかコメント返しが出来ませんが、少しずつやりますので、コメントをいただいた方には、ここで感謝しているということをお伝えします。どうも、ありがとうございました。

日記/やっぱり桜が好き

2010-04-04 01:56:58 | 日記
 この季節、サクラを楽しまなくては。花の下にて死なんとぞ思うか。そういう妖しさもあり。桜の木の下には、死体が埋まっているなどという云いもあり。

 しかし、素直にサクラを愛でるのがいちばん。

 先週の月曜日の井の頭公園の桜の様子が、下の2枚の写真。久しぶりの吉祥寺、すっかり道を忘れていた。その日は、寒い日であったにもかかわらず、多くの見物人で公園はにぎわっていた。まだ、3分から5分咲きの状態であった。



 高校生の時、井の頭公園のボートに乗ったカップルは別れるなんて噂があった。本当かどうかは定かではない。確率論で解いてみよう。



 花より団子ならず、花よりサクラソフトクリームを食す。たまには、いいものだ。



 サークルへ行く途中にある信松院のサクラの木。お姫様は松姫。



 昨日の土曜の透析日。睡眠不足のため、ベッドの中で白日夢を見ていた。帰宅後も、食後、睡魔に襲われ、また夢を見る。どちらも不条理な内容。死んだ愛犬に顔をなめられた。元気な姿だった。

 当日は、地元のろう協とサークルで、お花見の会があった。生憎、透析日。透析が終わってから、いつもの図書館にも寄らず、バスで公園に向かう。もう、お花見は終わりの頃だが、みんなの顔を見に行く。参加者は、一人一品を持ち寄ることになっているので、バスも待っている間に、はっさくと清見オレンジを買う。

 何とか、間に合う。下の写真は、冨士森公園の様子。人がたくさん出ている。 
 お花見の場所は直ぐに分かる。みんな、手話で話しているから。



 冨士森公園のソメイヨシノもそろそろ寿命か、樹勢が弱っているようだ。去年も、病気が発生し、枝を落された木が目立った。樹高ばかりが高くなり、花は、かなり頭上高し。そろそろ、新しいサクラの苗木を植える必要がありそうだ。



 露天がたくさん出ていた。中でも、子のタコ焼き屋は、行列状態だった。



 帰り道に、八重桜の並木道がある。花は、これからゆっくりと咲く。その時は、サークルの帰り道はそちらにしよう。



 明日は、ろう協の総会。同日に、腎友会の打ち合わせもあるので、ろう協へは、会費を払うだけにする。場所は、武蔵野陵の近く。打ち合わせの場所まで、歩いていく。道に迷わなければ良いのだが。陵南公園から、堤防沿いの遊歩道は、やはり、サクラ並木。サクラを眺めながら、ゆっくり歩いていこう。

 火曜日は、通院の日だが、上野公園に寄っていこう。もう、サクラは散っているかもしれない。