トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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冷静な判断と未来を生きる子どもたちのための『カラー図解 ストップ原発〈1〉大震災と原発事故』

2012-07-23 18:35:56 | 絵本・児童文学
カラー図解 ストップ原発〈1〉大震災と原発事故
新美 景子
大月書店


「日本は地球の表面積の0,3%にすぎない。そこに全世界の地震の10%が起きている」、そこに50基もの原発が存在している。こうした事実は、原発の推進派であろうと、反対派であろうと共通認識にならねばなるまい。厳密に言うと、ここでの面積には排他的経済水域も含んでいるから、それを除いた場合はここでは考えない。

 かつては、原発反対を主張する人たちは、変わり者の少数派と思われていたようだ。それが、昨今のニュースで報道される反対派の集会やデモの広がりという「想定外」の事態が起こっている。

 ただし、その参加者が原発のことをどれほど理解して、感覚的でなく、冷静な理性的な自己の意思で集まってきたかは、いささか疑問を覚える。集会を告知するのにどれほどのエネルギーを使い、まさか、集会後に冷房の利いた喫茶店で冷たい飲み物を平然と飲んだとは思いたくない。エネルギーを消費するときは、反対派もそのエネルギーの使用について配慮しなくてはならないくらい、厳しい運動であることを自覚しなくてはなるまい。

 本書は、脱原発のために書かれたビジュアル版のシリーズの1冊目である。大震災と原発事故というテーマで、原発に関する歴史、原発の仕組み等の基礎的なことを、図を多用しながらできるだけわかりやすく説明し、先の大震災の時の危険な状況と共に、今後の危険性にも触れている。

 反対派に求められていることは、廃炉に向けた行程が、自分たちにとって、生活の質の低下も受け入れなくてはならない覚悟と、賛成派との感情的でない議論を通じての国民的な合理的な合意の形成を、現実的に展開する、将来を背負う子どもたちに対する義務を負っている。

 本書を、子どもたちと一緒に読んでいくことができる大人であってほしい。

絵を読む心、物語を描く心 『スーフと白い馬』

2012-07-21 23:55:29 | 絵本・児童文学
スーフと白い馬
いもとようこ
金の星社


 子どもたちに読んでもらいたい本について考え込む。自分たちが子供の時に名作だとされていた本を、子供たちはどう読むのか。例えば、日本の作品で、今の方が大人を中心に読まれている宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」。プラネタリウムでも、人気の作品となっている。では、山本有三の「路傍の石」や下村湖人の「次郎物語」などは、現代の子どもが読んで、どこまで内容、それと今とは違う日本の姿を読み取ることができるのか。外国の作品も同様だ。普遍的な内容とは何かとカンガエナガラもう古典と評価されている児童文学や、絵本を子どもたちが感動して読みきるかどうか考えている。

 知らない国の、知らない時代の民話や、昔話を読むことは、かえって自分のイメージで読めるから、絵本の場合は挿絵がイメージの手伝いをしてくれるから、子どもたちには読みやすいのかもしれない。

 モンゴルの民話なのだが、意外と古くから知られている少年と白い馬の馬頭琴の誕生をめげるお話。本書の魅力の一番のところは、作者の柔らかい絵である。子馬の時と成長した馬の白さが柔らかい光で輝いているようであった。少年のもとに逃げ帰った白い馬の血に染まった白と赤の悲しい姿が印象に残った。

 権力者も自由に出来なかった白い馬の心は、少年の優しい心につながっているからこそ、馬頭琴の誕生の話の物語としての真実性が担保される。また、理不尽な権力者への民衆の思いが、民話の中に生き続けている。

 登場する少年や白い馬の名前も、本によっては微妙に違う。絵本は、やはり、絵が大きな力を持っている。

スーホの白い馬―モンゴル民話 (日本傑作絵本シリーズ)
クリエーター情報なし
福音館書店




スーフと馬頭琴(ばとうきん) CDつき (モンゴル民話)
クリエーター情報なし
三省堂



植物に流れる時間 絵本『ぼくはここで、大きくなった』

2012-07-20 01:38:34 | 絵本・児童文学
ぼくはここで、大きくなった
アンヌ クロザ
西村書店


 最近は、花屋で寄り道をすることもなくなりました。趣味の世界から園芸が消えてしまったままです。

 かつては、植物の実生を楽しんでいました。命のカプセルというべき種子は、条件が整えば発芽します。この発芽することは、待ち遠しいものでした、サボテンの細かい種子を巻くとき、多肉質の双葉が出てきます。なるほど、双子葉植物だったんだと感心しました。果物を食べたあと、巻いてみると意外と発芽するものです。チランジアのウスネオイデスもタンポポのような綿毛の着いた種子が取れました。風に乗って、木の幹の凹みなどで発芽を待つのでしょう。ヘゴ板につけて発芽させました。

 熱帯果樹も実生ができるものがあります。ライチなども、発芽しやすいようです。園芸の世界では、実生しても親を超えない場合の方が多いと言われていますが、そうだとしても一粒の種子から、芽が出て、木に成長する過程が、また、時間はかかりますが、実が成るに至る場合も少なくないようです。

 実なりや、成長に時間がかかることから、ある年齢に達してからは、実生も園芸すら遠ざかっていきました。自分が歳をとっていくことが、植物の成長を悠長に待つことを諦めさせたわけです。

 人間の一生で、果実などの実生を行なっても、何回の収穫を見ることが出来るのでしょうか。しかし、次の世代とバトンタッチすることが出来るのなら、実生からの園芸も楽しめるかなとも思いました。

 生きているうちに、後何回の花を見ることができるのか。なんて考えないほうがよろしいようで。

 さて、この絵本の「ぼくは」りんごのタネでした。彼の中を流れる時間は、私たちをはじめとした動物のそれとは大いに違うものなのでしょう。彼の語る「彼の歴史」を絵本から読み取ってください。動物や鳥類との関わりや、アリマキというアブラムシとてんとう虫の関係なども読み取ってください。絵本ですから、文章に出てこないアリが書かれていたりしますが、それも意味のあることなのです。はじめは人間のいない森での偶然とでもいえるタネの冬越しから始まった、植物に流れる時間を感じ取ってください。

遊びなら、錯覚を学び、だまされない知恵をもとう 『錯覚の大研究』

2012-07-18 23:04:26 | 絵本・児童文学
錯覚の大研究
クリエーター情報なし
PHP研究所



 自分の持っている理性の力を強めるために、錯覚の勉強をしてみよう。
感覚だけを頼りに行動すると、ものの正しい姿が見えなくなる。

 大人の世界でも、他人をだますことで、お金や地位を自分のものにして生きている人間がいる。だまされたことにも気がつかないで、いつまでもウソの世界から抜け出すことのできぬ人もたくさんいる。

 あなたがだます大人にも、だまされる大人にもなることのないような知恵を身につけるための本の一冊です。

 私たちが見るもの、聞くもの、味わうものなど、感覚がすべて本当の姿を写し出しているとは限らないという見方を身につけてください。

 この本のどこでも好きなところから読んでも構いません。同じ色を違ったものに感じさせる事も、まっすぐな線を曲がった線に見せることもできる錯覚の事を、遊びながらまじめに考えてください。

 なぜ、本当の姿と違って、私たちの脳が感じるのか、仮説という「多分こんなことでしょう」という解説も書かれています。まだまだ、錯覚の原因もよくわかっていません。世の中には、科学では証明できない不思議なことが世界にはたくさんあるのだと強調する人々がいます。多くは、自分のしているお金儲けのための言い訳に使っています。これも、この本の中の錯覚ではありませんが、言葉による錯覚でしょう。科学が進歩してきたのは、ヒトの持つ未知の世界の解明の対象が世の中に満ちていたからです。何事も科学で、今の段階で説明できると思っている科学者はいません。わからないものがこの世にあるからこそ、研究を続けることができるのは、よく考えてみると当然なんですよね。一つのことが解明されても、新しい謎が生まれたりもします。わからないことを、偽薬や不思議な液体、霊魂、健康法などで説明する必要性はありません。証明することもなく、人々の感覚の世界での体験談しか主張できませんが、受け手の私たちが、感覚だけを頼りに物事を判断する限り、彼らはだまし続けることができるのです。

 子どもの時から、大事な知恵を学びましょう。錯覚という事を学ぶと、世界の見方が広がります。

ジェンダーを超えて ― 『しげるのかあちゃん』

2012-07-17 07:12:26 | 絵本・児童文学
しげるのかあちゃん (えほんのぼうけん)
城ノ内まつ子
岩崎書店


 今では、ダンプの運転手から、建設現場で重機を操る女性の姿も珍しくはない。一方、美容師は男性が多いし、料理家、看護師、デザーナーなど、ジェンダーとしての性差は縮まっていくようだ。※男性の助産師は、女性側の反発が多くて実現していない。そんな性差を超越するような仕事に変化するのに成功しないものもあるのであるが。

 マスコミでは、一定の社会の姿は映し出すのであるが、所詮は面白おかしくなるように特集を行なってきた。草食男子や、ヤンママも、テレビで紹介されるのは、ある種ステレオタイプ化したそれで、後者などは、ヤングよりは元ヤンキーのイメージに合うようなテレビ界の意向に答えるようなヤンママが登場し、視聴者も変に納得して番組を見ている。

 でも、現実の社会の「ヤンママ」の存在は、それとは違うのであろう。ちゃらちゃらした生活に対する姿勢では、増加する離婚率と、生きづらい世の中を、子どもと共に生き抜いていくのは大変なことである。

 「しげるのかあちゃん」は、小1のしげるの頼もしい母ちゃんの話だ。ファッションも自分の好きなスタイルで決めている。仕事は2トントラックの運転手。家の大工仕事だって、電動工具も使いこなす。シングルマザーのようだが、子どもたちを学童にあずけながら、力強く生きている。「肝っ玉かあさん」という言葉があるが、今風のそれに当たりそうである。

 受身としての存在ではなく、主体的に生きていく、でも利己主義ではなく個人主義の精神で。

 絵本では、ちょっとした母ちゃんたちの大活躍も描かれている。本当は、もっと苦労しているヤンママもいるのであろうが、世の中も色々な生き方を受け入れる社会にしなくてはね。

知識への扉としての科学絵本―『太陽のかがく』

2012-07-15 23:55:12 | 絵本・児童文学
太陽のかがく
えびな みつる(文と絵)
旬報社


 血液型性格判断や、脳の活性化のためのドリルなど、疑似科学の世界に属するものが、若者たちの間でさえ科学として拡散している。科学教育の衰退が、そうしたことの大きな原因とされる。教師を目指す者も、大学で科学を学ばずに、教育現場へ旅立っていた。この国は、将来は、科学技術で食べていかなくてはならない。最近は、異能の人々を社会の側で求める動きも見られているが、まだまだ、教育現場では、管理教育がまかり通ている。一方で、生活様式の変化で、子どもたちが自然と触れる機会も少なくなっているようである。
 そのような状況下で、子どもたちに、科学絵本が読まれ、自分の頭で考える人間になって欲しい。

 本書は、身近な恒星である太陽がとり上げられている。ビジュアルの多用により、子どもたちに太陽の持っている様々の顔を見せてくれる。科学教育の復興には、科学絵本が必要である。

前向きに生きる事が自然なことなら―絵本『がんばれ、おじいちゃん』の愛情

2012-07-15 00:57:13 | 絵本・児童文学
がんばれ、おじいちゃん (単行本)
西本鶏介
ポプラ社


 こうくんにとって、おじいちゃんはお父さんの代わりもしてくれる存在でした。おじいちゃんは、お百姓をしていますが、昔は漁師でした。こうくんのおとうさんは、海の男でも、漁師ではなく、船乗りになりました。家にいないことの多いお父さんの分まで、こうくんを育ててくれました。もともと、体の弱かったこうくんを山に連れて行っては、嫌いな虫に触らせたり、遊園地のような山で一緒の時間を過ごしました。こうくんの「おとうちゃん」が海難事故で仲間を助けようと力尽きて死んでしまった時、おじいちゃんがこうくんを連れて、山で話してくれたこと。厳しい所があったけれど、愛情いっぱいのおじいちゃんとこうくんの様子が、力強いタッチの、しかし、優しい感じの挿絵で描かれている絵本です。

 そのおじいちゃんがけがで腰の骨を折って入院してしまいます。こうくんは、お兄ちゃんとお姉ちゃんに手伝ってもらって、病院にいるおじいちゃんをはげまそうと、ある行動に移ります。

 現代社会は、核家族化も進み、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に暮らす事も少なくなったようです。お年寄りの生活の知恵や、経験なども孫まではなかなか伝わらなくなってしまいました。

 人間が進化したのは、他の生物と違って、その当時の平均年齢より長生きした「お年寄り」が、「生活の、生きていくための知恵」を家族や共同体に伝える事が出来たからだと説明される事があります。

 こうくんとおじいちゃんの、自然体としての愛情を、素敵な絵と一緒に感じ取ってください。

ひたむきさが自分に運んでくれるもの 絵本『アマンディーナ』

2012-07-13 00:33:42 | 絵本・児童文学
アマンディーナ
セルジオ ルッツィア
光村教育図書


 絵本というくらいだから、絵本にはそれにふさわしい絵が表現されている事が最低限の条件である。当たり前の事であるが、さて、「ふさわしい」のかどうかは、多分に個人の好みが反映された主観面を多く含んだ判断だから、極端な場合は、その作品に対する好き嫌いという次元の話になってしまう恐れがある。
 昔から、名作と呼ばれた絵本は存在するのだから、やはり主観を超えた魅力というものが存在するのは間違いない。
 と、またふさわしくない事を書いてしまったようだ。

 この絵本、小さな犬の「アマンディーナ」が主人公の作品であるが、僕が最初に心を惹かれたのは、その犬の絵の表現であった。特別に毛並みのいい犬ではないのであるが、そのとぼけたような表紙の絵の舞台に立つアマンディーナの表情に目が吸い寄せられたのである。特に目の表情が、こちらをじっと見つめているような気がした。さあ、読んでくださいなと、本の中へ誘導している。そんな絵本との出会いもあるものである。

 彼は、一人ぼっちの犬だけれども、歌も踊りも芝居も曲芸も、なんでも器用な犬でした。すぐれた表現者なのですが、演技というのは観客という要素がなければ意味のない行為であります。観てもらわなくては、ただの自己満足にしか過ぎませんし、才能があっても、それ以上力を付けるためには、良い観客に出会う必要がありますしね。高校の演劇部で活動した後、小さな演劇研修所で演技を学び、小さな劇団に入って、勿論生活のためにはアルバイトしながら、有名にはなれなかった同級生だった友人の事を思い出していました。研修所の卒業公演から、機会がある度に街の小さな劇場での彼女の演技を観に行きました。しかし、道半ばで、外国で語学留学中に、下宿で不慮の事故で亡くなりました。新聞の夕刊に乗っていた記事からは、完全に彼女だとは特定できませんでしたが、その後、同級生から彼女の納骨式が、僕の地元にある霊園で彼女の通っていた教会の人々の手によって行われるという知らせがありました。彼女の最後の姿は、白木の箱でした。この作品を観ていると、日本中にいる働きながら舞台に立つ事を夢見ている若者たちの事を思ってしまいます。彼らの中のごくわずかが成功者として有名になります。その反面、ずっと売れなくても、小劇場、時には座布団敷きの劇場で演じ続ける人も少なくありません。この絵本は、色々な思いをさせてくれます。

 さて、主人公の愛らしい?小犬は、器用貧乏ではないのでしょうが、衣装やら小道具、大道具まで自分で用意して、劇場を借り切ります。最近は、フライヤーと呼ばれる案内状をたくさん配りました。公演前日の夢は、成功するという夢でした。
 用意万端整った上で、さあ、舞台の幕が上がります。あれ、客席には誰もいない。でも、アマンディーナは、演技を続けることにしました。すると、観客がいないのにもかかわらず、演技の世界に没頭していくのでありました。
 さて、結末はというのは、実際に絵本を読んでみてください。ひたむきに色々なパフォーマンスをする姿は、この絵本の見どころでもあります。

 日本中の多くの演劇青年にささげても良い絵本と言えました。

生物の多様性を壊す生き物は人間?絵本『干がたは海のゆりかご: 東京湾の海を守る(自然を守る)』

2012-07-12 00:30:04 | 絵本・児童文学
干がたは海のゆりかご: 東京湾の海を守る(自然を守る)
川嶋 康男
絵本塾出版


 干潟は、生物の宝庫である。バクテリアの排水の中の有機物分解から始まって、食物連鎖を見ることができる。また、干潟は自然の浄水場でもある。

 悪名高い、諫早湾のギロチン水門を覚えているだろうか。次々と下ろされていく水門に、干潟の悲鳴が伴っているようであった。長い時間をかけて育まれてきた干潟は、死の海となり、浄化されていた水も腐っていった。自然を守ることの重大さを知っている人々の運動が起こり、水門を開けよという裁判所の判決を勝ち取った。しかし、政権交代で誕生した政権党は、醜い人間の利害を優先した。未だに水門は開かず、ムツゴロウたちの復活は腐海には見ることができない。

 私たちの身近にも、開発の名のもとに破壊されそうな干潟が残っている。かつては干潟に覆われていた東京湾も、開発の後、さばぜ―三番瀬とその近くの浅瀬と干潟を残すのみである。

 この小さなエリアの食物連鎖、生物の多様性を描かれた生き物たちの生き生きとした姿を、名前と一緒に記憶に残すこと。そして、愚かな人間の試みを止めさせ、一度死んだら蘇るのに長い時間が必要であることを、干潟の大切さを通じて子どもたちに読み取って欲しい。開発を推進する人々は、人工の干潟を作ることで反対運動を鎮めようとしている。自然の営みのどれほどを再現できると思っているのだろうか。

 三番瀬の自然を守ろうとした人々の、運動の盛り上がりと結末もしっかりと書かれている。その記述もしっかりと読んで欲しい、未来のおとなたちn

スローフードってこんな感じかな?絵本『エディのごちそうづくり』

2012-07-11 01:31:48 | 絵本・児童文学
エディの ごちそうづくり (福音館の科学シリーズ)
サラ・ガーランド
福音館書店


 今日は、おじいさんの誕生日。おじいさんから午後2時にかかってきた電話で、おかあさんも気が付いた。エディも忘れていたのだ。さあ、パーティは6時からだ。そこで、質問。皆さんだったらどうしますか?
 まずは、ケーキ屋で誕生日の大きなケーキを買って、ピザとお寿司は出前を頼もうかな。デザートの果物もデパートで買ってね、そうすれば時間なんて余裕だよ。そう思った人が案外たくさんいるのかな。
 エディの家では、パーティーのご馳走もできるだけ家で作るんだ。その方が愛情がいっぱいだものね。そうした料理をみんなで食べると幸せな気分にもなれるんだ。大人は、食事もコミュニケーションの大事な一つの方法だなんて言っているけれど、意味が分かるかな。

 はたして、6時までに全部の料理ができるかな。ぜひとも、この絵本をみてどうなったかを知ってほしいな。エディは、子どもだけれども、立派に料理を作れそうなんだ。それに、料理の材料に使うリンゴや卵も自分の家で採れたものなんだ。大人から見ると、うらやましい気がするんだって。

 それと、最後の方にね、この絵本の中に出てくる料理の作り方も出てくるから、みなさんもエディのように料理に挑戦してみるかな。少しくらい失敗しても、みんなで食べたらおいしいよ、きっと。

早く老いていく犬と暮らすこと 児童書『やくそくだよ、ミュウ』

2012-07-09 22:43:24 | 絵本・児童文学
やくそくだよ、ミュウ (おはなしトントン30)
小手鞠 るい
岩崎書店


 犬と猫はそれぞれ、大昔から人間と共に暮らしてきた。文学やアートの対象にもなるくらい身近な命ある存在であった。メトロポリタン美術館展では、有名な黒い猫の像が公開されるし、メーテルリンクの「青い鳥」では、人間に忠実だが単純な犬と、どこまで人間に心を開いているか、自分の気ままに生きているのは確かそうな猫が登場している。まだまだ、そうした世界には両者がしっかりと足場を持っているのを発見できるのだが、今回はそういう事に深入りは出来ない。

 犬を抱いた時、人間の体温より高いため、命が燃えている感覚を憶える。しかし、人間は、その命をいとも簡単に捨て去ることができる。毎日、日本中で、殺処分という飼い主から捨てられた末の死刑執行が犬や猫に対して行われている。一方で、犬を家族の一員、あるいは、自分の生活のパートナーとして買っている人もいる。犬の幸せは、出会う事になる人間がどんな存在であるか、偶然に左右される面が強いようだ。

 映画作品で、犬と子どもを登場させれば、最低限ほどほどのヒットが期待されるとされているというのが、映画通の声かもしれない。ヒットを狙いたかったら、犬、あるいはそれに準ずる動物と子どもを出せばよい、などと実際に考えられているのだろうか。

 「マイドッグスキップ」というアメリカ映画がまさにそれで、いじめられっ子が誕生日に子犬をもらい、スキップと名づけた犬と少年が成長するのを描いた作品である。透析中にその映画を観ていて、不覚にも最後の方の場面で涙が止まらなくなった。涙を見られないようにごまかすのが大変であったが、青年に成長した主人公が、大学進学のためにバスで街を離れるシーンでは、年老いたスキップが見送りに来ていて、主人公が去った後、彼のベッドで横になっていた。そして、主人公の回想の言葉。スキップの亡骸は、庭の木の下に埋められたが、自分では心の中に埋葬されたのだと。

 犬は、人間と比べると年を取るのが早い。ふつうは、10年ほどで死ぬ犬も少なくない。あれほど、元気で思いっきり飛び回っていた犬が、急激に衰えていき、人間が介護する状態になった時、最後まで看取って上げるのは、飼い主の義務であるが、その覚悟がなく犬を飼っている人間も少なくなく、犬の殺処分が減らない大きな原因となっている。

 本書に出てくるミュウは、主人公の少年にとっては、お姉さんの存在であった。自分が生まれる前に、両親によって飼われていたからだ。一人っ子の少年と、ミュウの共に成長していく時間の流れは、スキップの映画に通じる所がある。しかし、ミュウにお別れの時がやってくるのは、早かった。少年がミュウとかわした約束とは何であるか、犬を飼う意味、犬と人間との関係を、リアルな死という観念を持つ環境が少なくなった子ども達に、こうした作品を通じて感じ取ってほしいと思った。

 我が家でも捨て犬を飼った事があった。おしめをして、すっかり足腰が弱くなった老犬が、夜になると寂しいそうな鳴き声を出していた。死への恐怖なのか、認知症のようなものかわからなかったが、その声はひどく悲しいものに感じられた。眠るように死んでいった。最期まで面倒をみる事が出来たのが幸いであった。彼が我が家で暮らすようになってからは、この本でも書かれているように、家族間のギズギスした感情を鎮める潤滑油の働きをしてくれた。多くのものを与えてくれた。

 あの犬を抱いた時に感じる温かさを、本書を読むことでも感じ取ってほしい。それが新たな子どもの読者に期待することである。


マイ・ドッグ・スキップ [DVD]
クリエーター情報なし
ワーナー・ホーム・ビデオ

ガーナからの絵本の贈り物『岩をたたくウサギ』

2012-07-04 00:34:10 | 絵本・児童文学
岩をたたくウサギ―サバンナのむかしがたり
よねやま ひろこ
新日本出版社


 私たちにとって、アフリカは未だ遠くにある土地なのだろうか。飢えと内戦、戦争、エイズといった悲しい不幸なことは、報道で目にする。
 かつて、人類が生まれて世界に広がっていった人類の故郷だったアフリカ。
地図のそれぞれの国境線が、何故、物差しで書いたような人為的なものに感じるのか。忘れようとされる存在。

 ガーナのサバンナ地方に伝わる話を、絵本で見る事が出来ますよ。こんな機会は、ちょっとやそっとや来ないですよ。ずるがしこいウサギと動物たちのやり取りがおもしろい。悪い事は、報いを受けることになるのか、さあ、お読みください。絵本だから、絵も大切だよね。そのお話が伝わる村で、女の人達が力を合わせて描いたアフリカの絵だよ。見ていて、サバンナの風や香りや土のにおいがしてくるかな。色の使い方も見てくださいね。

 このアートともいえる絵本の挿絵は、アートを制作して、人間として低い存在とされている女性たちの地位の向上と自立を目指すSWOPAという組織の女性たちの作品である。大人たちがこの絵本を読む時は、アフリカアートを楽しむと同時に、ガーナをはじめ、アフリカの置かれている今を考えるきっかけになってほしい。また、伝承物語として、子ども達に語り聞かせても上げたい作品である。勿論、絵を見せながら。

科学的に、理性的に!心情だけでは続かない反原発運動・絵本『どうする? どうする? ほうしゃせん』

2012-07-02 23:51:47 | 絵本・児童文学
どうする? どうする? ほうしゃせん
山田 ふしぎ
大月書店


図書館版 どうする? どうする? ほうしゃせん
クリエーター情報なし
大月書店


 産学官共同の、外圧を背景にした政治的な我が国の原発事業の推進は、今となって少しは国民の知る所となったが、未だに放射性物質の放出は止まらず、マスコミをはじめ、国民の多くもその事はすっかり忘れ去ってしまったようだ。反原発、脱原発運動もかつてないほど盛り上がっているが、放射線と放射能、放射性物質の違いも学ぶことなく、ただ心情面からだけ運動に携わっている人も少なくないのかもしれない。運動に必要なのは、正確な知識を学ぼうという態度と、エネルギー問題と自分との関係性を客観的に見る事が出来て、実現可能な方法を提案(専門家の意見も聴いて、仲間とまとめ上げたもの)をすることである。集会を告知する案内のビラにも、一枚当たりの製紙コストから印刷コストに多くのエネルギーの使用が反映されている事も自覚しないなら、それは大きな自己矛盾となる。こうしてネット上の環境を使う事も、エネルギーを消費する行為である。削減されるエネルギーの再配分という問題の解決案も提案する必要があるだろう。力の足りない所は、専門家の力を借りて、実現可能な方向性を示す運動が求められている。

 本書は、原発事故の発生から数週間経った「ぼく」のおつかいの様子を描く事で、子ども達に放射性物質で汚染された環境でどういう生活を送るのかを、具体的に優しく描いている。何故、原発が危険な存在であるかまでを、知識を持つ事が子ども達にとっても、大きな防御になると同時に、理不尽な大人の世界の論理を見破る武器ともなることを期待しながら、愛らしいキャラクターに語らせている。子どもたちが、新しく身に付けた知恵を駆使して命を守らなくてはならない事態にしてしまったのである、一部の大人たちの欲望が。また、テレビ等で嘘をつき続けている大人たちが。守るべきは、子ども達の未来である。まずは、子ども達に正確な知識を知ってもらう事、そのために本書は大人と一緒に読むとさらに良いだろう。大人たちにも、正確な知識が必要なのだから。

お世話になっています、写真本『写真でわかる日本の物流③宅配便が届くまで』

2012-06-27 22:58:35 | 絵本・児童文学
 パソコン、家電など、私たちにとって便利なものは、どんどんとブラックボックス化している。中身がどうなって、どういう仕組みで起動するにかは理解の外で、それよりかはどう操作したらいいのかを覚えることが大事なこととされる。
 今はどうなっているかは知らないが、かつてはものを分解するのが好きな子どもがいた。時計からラジオ、興味ある対象を分解しまくった。ブラックボックスをこじ開けようとしたのだ。大方は、その「秘密」は秘密のままであり、元へ戻せなければ親の怒りが待っていた。でも、この精神が後の技術士や学者となるのに働き、人間にとって有効な、また子どもたちにとっての新たなっブラックボックスを作り出し、「進歩」に貢献する。

 人間が作った制度も、現在のどうしようもない政治を含めて、ブラックボックス化している。自然科学ではない社会科学上のブラックボックスの開示は、民主主義体制の維持や、人の暮らしやすい社会を作ることに、大いに貢献しそうだ。

 好奇心の強い子どもたちの出現、画一主義ではないユニークな異脳の子どもたちが生き生きと学べる世界が教育界に展開されれば良い。

 白雪姫と王子が小人並みに何人も登場する劇を上演したり、走った全員が1等賞などというふざけた画一主義の教育から一体何が生まれるのであろうか。個人主義ではなく利己主義を間違って教育現場に持ち込み、かくて、多数と違うユニークな子どもがいじめの対象となったりする。

 好奇心が、ブラックボックスをこじ開けようとする、そんな子どもが増えて欲しい意味も込めて、日頃、ネットショッピングなどでお世話になっている「宅配便が届くまで」を、写真というビジュアルに訴えるこの本を紹介した。どんな風にして自分の所に品物が届くかを、わかりやすく解説してくれる。一社だけ「宅急便」と呼ぶことができるクロネコヤマトの宅急便が宅配便貨物の代表として、歴史と共に語られる。

 なぜ?どうなっているの? 善き哉、子どもたちの対象への疑問と好奇心、それに自分で考える意志が。

写真でわかる日本の物流〈3〉宅配便が届くまで
物流博物館
汐文社

単純ではない疑問の言葉、絵本『かみさまはいる いない?」

2012-06-23 22:46:47 | 絵本・児童文学
 子供たちに、教育現場で宗教教育を求める声が、最近になって耳に入ってくるような気がする。今日は、忘れてはならない沖縄の慰霊の日である。あの時代に、展開された国家神道は、沖縄の人たちをはじめ、多くの人の命をいとも簡単に国家に捧げるための手段となった。他の宗教も、ごく一部の宗教者を除き、弾圧を恐れて教義を曲げてまで、国家宗教の下に居場所を定めた。もちろん、国家主義を教義の中に持ち込んでいた宗教は、苦もなくすんなりと国家宗教の下に組み込まれた。だから、宗教教育の必要性を説く意見の中から、特定宗教の教育を目指すものは除外されるべきである。

 反社会性を持ったり、宗教ビジネスを展開する宗教に対して個人を守るために、無神論を含めて、色々な宗教の歴史や現状を教えるとともに、合理的に、論理的な思考の訓練も合わせて教えるべきなのだろう。神を信じるものも、信じないものも、自分たちと違う考え方をする人の存在を互いに認め合う、『寛容』の精神が、もし、宗教教育がなされるなら、その根底にあり続けなくてないけないだろう。『多様性』が遍く世界に広がり、尊重される時代が、いつやってくるのだろうか。

 と、また、理屈っぽいことを行ってしまったが、今回の絵本は、大人たちがその答えをするのに、頭を悩ませ、争いすら起こしている宗教に関する素朴な疑問のことばにより出来上がっている。子どもたちの質問のようでもあるが、著者である詩人の言霊を持った疑問の言葉が、子どもたちの心に焼き付いて、大人になっても考え続けて欲しい。また、清川あさみさんの不思議な感覚を覚える抽象画にも見える変わった素材で書かれた絵も、心の奥深く言葉を届ける役割をしている。

 疑問文の一つ一つに、重い思いが私たち大人に、のしかかってくる。でも、まずはこの絵本を子どもたちのもとへ。

かみさまはいる いない? (谷川俊太郎さんのあかちゃんから絵本)
クリエーター情報なし
クレヨンハウス