しろつめ・楚々・くちかずこ姫のお部屋 goo

安易に清水の舞台から飛び降りるが、意外に用心深い。極めて自己中心的だが、意識がない部分で情が深かったりもする。

もう点滴はいらない

2016年02月16日 21時39分59秒 | 健康・病気

友達のFacebookを覗いていたら、こんな本を紹介していました。

彼女はベテランのケアマネで複数の施設の経営者であり、個性的で聡明です。

 

帯にある文章は・・・

病院のベッドで大切な時間を奪われていませんか。

看取りは、人生の実りを収穫し、満足を覚える時です。

在宅で、施設で、高齢者住宅で、それぞれの場で、

自然で健康的な死に方を考えます。

現在、殆どの病院で、いろんなチューブに繋がれて亡くなることが

「自然」と思われています。

一歩立ち止まってください。

自分の意思ではなく、

家族の意思とも言えず、

医療によって管理される死が自然でしょうか?

エンディングノートでは未だ不十分です。

自分自身は勿論、

家族も決めることが必要になる時があります。

 

 

くちこは、長い間、父の病院での死に方に疑問を持っていました。

明らかに無為な治療がされていると感じました。

肉親のくちこでさえ感じたことでした。

父の苦しみを長引かされているように感じました。

もう一滴も尿が出ていないのに

落ち続ける点滴。。。

父は、むくんでパンパンでした。

それでも、最後の入院は4日間だったのは幸いでした。

新たな検査を勧められましたが、母と私は拒否しました。

それを父の兄妹が非難しました。

でもね、くちこは、それで良かったと思っています。

最後の時は、廊下に母と私は出されていました。

亡くなってから部屋に呼ばれました。

27年前のことですから、

そんな時代だったのかも。

 

17年前、母の最後の入院では、

延命治療は不要と言いました。

そして、最後を看取ることができました。

認知症だったことは残念でしたが、

くちこは、その判断にも悔いは無いです。

 

そして、自分の番について考えるようになりました。

体は賢いですから、自分で死ぬ準備を始めます。

一つ一つ、部屋の電気を消していくように。

その消した部屋に、また電気をつける医療で体は混乱します。

迷惑な番狂わせに振り回されることに。

助かるのであれば、電気をつけるべきですが、

もう最後なのであれば、それを見守る尊厳もあるかと。

 

高度な医療に囲まれて死ぬことが現代人の権利、

そう考えているのが日本人の特性だそうです。

高福祉の国では、もっと尊厳のある看取りが行われているとのこと。

 

抜粋

治療をやめると言う決断は、

近い将来訪れる死を受け入れる、ということでもあります。

しかし、それは同時に、死を怖れるという気持ちから、

最後まで生ききるという前向きな気持ちに切り替わるきっかけであるとも思います。

 

くちこは、断固、胃瘻等は拒否するつもりです。

食べられなくなった時が、「その時」だとします。

無理に食べさせようとする介護は不要です。

食べられないのには、相応の理由があるのですから。

胃瘻の入所者が並んだ部屋を、とある施設長さんが自嘲的に、

「水栽培」と言ったそうです。

なんと。。。。

 

在宅の看取りを援助してくれる医師が増えて欲しいなあ。

在宅には在宅力があるそうです。

在宅だからこそ元気でいられる力。

そして、最後は、自分の体に任せます。

食べられなくなり、

飲めなくなり、

話せなくなり、

目を開けなくなる。

そうありたいです。

もちろん、ウルトラ弱虫ですから、

疼痛管理だけは積極的に受ける所存ですよ。

 

この本は、どちらかと言うと、

介護や医療者向けの本なのでお勧めする訳ではないのですが。

 

 

では、気分転換にバレンタインのチョコでも。

サメ氏、婿、息子達、毎年、全員同じという、手抜きくちこです。

今年は、ルタオにしました。            孫は、はらぺこあおむしにもお裾分けしたそうです。

 

          

 

よく食べる孫王子です。  (※孫王女は掲載不可なので割愛)

 

                   

 

去年、孫姫の初節句の時に記念樹として小さな梅の苗木を植えました。

小さいながら、ちゃんと花が咲いてくれました。

 

          

孫王女も、このように可憐で清楚に育ってくれるかな?

今月末でやっと一歳半ですが。

 

コメント (46)
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