サッカー狂映画監督 中村和彦のブログ

電動車椅子サッカーのドキュメンタリー映画「蹴る」が6年半の撮影期間を経て完成。現在、全国で公開中。

佐村河内氏の作曲のくだりを見て最初に思ったこと

2014年02月07日 | 手話・聴覚障害

本当は他にやらなくてはならないことがあるのだけど、佐村河内氏と新垣氏の一件が気になり手につかない。
それならばと、少しだけ書き込みます。

NHKのドキュメンタリー内の描写のことである。
(今、現在考えたことではなく、最初の時点で見て思ったことを思い出しながら書きすすめます。)
番組を初めて見た時に違和感を感じる部分があった。


脳内で曲が出来て、いったんリビングに出てきてスタッフに「完成しました」と告げ、その後再び部屋に戻り脳内の曲を記譜していくという流れだ。すなわち作曲作業そのものの箇所だ。

作曲のことはまったくわからないが、例えばシナリオや原稿や映像の編集にしても、具体的に文字を書き込む作業や編集作業だけではなく、脳内で構築していく時間というのはある。そしてそこで「出来た」「出口が見えた」と思うことはある。そして脳に定着している間に出来るだけ早く形として吐き出そうとする(文字化したり、編集したりということ)。凡人の私は頭では出来ていても現実化するなかで再び暗礁に乗り上げる。

佐村河内氏が「完成しました」という以上、頭の中では完璧に完成したということなのだと受け取った。
凡人の私ならば一刻も早く記譜しなくてならないと思うだろう。
しかし佐村河内氏の表情からはそのような切迫感は感じられない。きっとそこが天才たる所以なのか?
ならば後は一機果敢に五線譜に書き付けるだけだろう。
しかし作業は12時間に及ぶ。
何故そんなに時間がかかる?頭の回転(曲のスピード)に手が追いついていかないもどかしさすら感じるのではないのだろうか?

疑問点だらけで、この流れ(作曲作業そのもの)が腑に落ちなかった。
番組スタッフは疑問を感じることはなかったのだろうか?
作曲のことは全く分からず、凡才である私には到底理解しがたい天才の流儀があるのかと理解するしかなかった。

ちなみにカメラ撮影を断った点は違和感はまったく感じなかった。
平気な人もいるだろうが、嫌がる人も当然いるだろうし。

世間には「感動しました」という声が多く、そういった違和感を口外することもはばかられた。
本来、聞こえない人の活動にはとても興味がありいろんなところに出かけていくのだが、何故かCDを買う気にもなれずコンサートに行く気にもなれなかった。


それともう一点違和感を感じていた点は、「両耳全ろう」という言葉。
確かにそういう言葉はあるが、あまり耳にしたり目にしたことはない。
番組を見ている間中、とても違和感があった。
「両耳全ろう」とは、両耳の聴力レベルが100db以上という状態で障害者手帳の2級に相当する。
実際は100dB以上といっても、105と110とか、両方120や、まったく聞こえないなどあるわけである。
自分としては、番組側がまったく聞こえないという印象操作をしたいのだろうと、その時は理解した。
しかし極めて重要な部分をキャッチコピーのような言葉でくくっていいのかという思いはあった。



ひょっとしたら、記憶違いで実際の番組と異なる部分があるかもしれません。
もしそういう箇所がありましたら、ご指摘いただけると幸いです。


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